使徒の働き7章17−29節
ここ数日初夏のような気温が続いています。湿度が低いのでさらっとした心地よい暑さですが…。礼拝に行く途中、プールのそばを通るのですが、たくさんの人が来ていました。太陽があまり顔を出さない冬が長いので、太陽が出ると健康のためにも外に出ると聞きました。それでプールにも…。 日曜日はどのようにお過ごしになりましたか。
議会でのステパノの弁明が続きます。この箇所ではモーセの誕生から40歳までのことについての話です。生まれたときからいのちの危機にさらされ、パロの娘に拾い上げられたモーセは、120年の人生の三分の一をエジプトの王家で育つのです。しかし、40歳の時にモーセは「兄弟であるイスラエル人を、顧みる心を起こし」ます。そのような思いも神によって与えられたものですが、モーセは一つの大きな問題を自分の力で解決しようとして失敗してしまいます。
この時彼は、自分はヘブル人の心を持っていながらもヘブル人に受け入れてもらえないということに大いに悩んだのではないでしょうか。ヘブル人にも受け入れられず、エジプト人でももはやない彼は、今で言うならばアイデンティティーを失いかけていたのかもしれません。
そして、シナイの荒野で次の四十年を過ごすのです。モーセ自身、この時点で自分がいつ戻れるのか全く見当がつきませんでした。けれども、この「荒野の四十年」こそ次の四十年のための備えの時でした。
この箇所を読んでおぼえたのは、神の忍耐、そして神の時ということでした。何かのことでしくじりますと、回復まで時間がかかります。それをきっかけにしてだめになることさえあります。けれども、人を用いてご自分のわざを行われる神は、時間をかけてその人を再び整えてくださるお方なのだということを、おぼえるのです。