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小林秀雄「骨董」「トルストイ」

2020年10月15日 21時38分28秒 | 文学
小林秀雄がトルストイの『クロイチェル・ソナタ』(『クロイツェル・ソナタ』)について書いているものを、以前も読んだことがあるが引っ張り出して読んでみる。(『小林秀雄全作品16』所収の「骨董」、『小林秀雄全作品17』所収の「トルストイ」)
どちらも全く同じようなことを全く同じように書いてある。
行進曲では行進できる、舞踏曲ではダンスできる、しかし「クロイチェル・ソナタ」を聴いたらどうすればいいんだ、という話だった。
私たちは何かの行動をすることが目的であり喜びであり生きることであったのに、椅子に座って音楽を聴いたり、ガラスケースに入った芸術品を見たり、というのは間違っているのではないか。とトルストイは言っている。と小林秀雄は言っている。
それは確かにそういうこともあるだろう。よく考える必要がある。
しかし、もはや音楽を聴いて踊り出していた感覚というものがもう僕にはあまり分らない。
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トルストイ『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』

2020年10月15日 20時46分12秒 | 文学
トルストイ『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』(光文社古典新訳文庫)を読んだ。
「イワン・イリイチの死」も「クロイツェル・ソナタ」も一度読んだことはあるけれど、あまり印象に残っていない。『戦争と平和』を読んだので、記念に(?)読んでみた。
「イワン・イリイチの死」は死ぬ話で、「クロイツェル・ソナタ」は殺す話。
どちらかといえば「クロイツェル・ソナタ」のほうがおもしろかった。頭木弘樹の『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』を読んだせいで、詳しいわけでもないのにこれは落語だなと思った。ある人が話をして、その人の話の中で別の人が語るという入れ子構造で語られる。
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頭木弘樹『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』

2020年10月15日 00時03分27秒 | 文学
頭木弘樹『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』(ちくま文庫)を読んだ。
タイトルを見て、これは私に向けて書かれたものだなと思った。何度か落語に惹かれながらそこまで熱心に聴いていない。
頭木弘樹の本を何冊か読んだことがあるが、この人は信頼できる人だと思っている。

「落ち」で終わらせることができるから話をいくらでも膨らませることができるという話はとても納得のいくものだった。
村上春樹の小説なども、広げた話がすべて収拾できていないとよく言われたが、村上春樹の小説にもそのような、これが来たら終わり、というようなシステム(「やれやれ」と言ったら終わりとか)があれば良いのかもしれない。
結末を意識すると話が小さくなってしまうということはあるだろう。

落語では「三軒長屋」の話が聴きたくなった。
基本的に、本を読むことで理解しようとしてしまうのだが、落語は聴かなければいけないのだろうなと思った。それがむずかしい。

黒澤明の『生きる』に興味を惹かれた。そういう話であることを知らなかった。早速見てみよう。

いつか入院するというようなことがもしあれば、落語を聴いてみよう。
父が入院しているときに、あまり受け答えもきちんとできるような状態ではなかったので落語を聴かせるようなことができなかったが、今後だれかが入院して病院で退屈するようなことがあった場合は落語を勧めてもいいかもしれない。まあそのためには自分でも聴いておく必要はあろうと思う。
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