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レオ・バボータ『減らす技術』

2016年02月26日 22時41分09秒 | 文学
レオ・バボータ『減らす技術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を図書館で借りる。
この本の新装版を書店で見かけて興味を惹かれた。
しかしこの本に書かれていることを真面目にやっていると、私の場合やることが減らずに却って増えてしまいそうなのであまり参考にならないな、と思い、後半は読み飛ばす。

私はたぶんどちらかというとやることを減らすのは得意なほうだ。
しかし最近インターネットの時間をもっと減らしたいと思っている。無駄だと思う。しかしやってしまっている。
あと体重も減らしたい。今日計ったらとうとう80キロになっていた。これはいけない。5キロ減らしたい。
毎日早起きして走るというのが解決方法なんだろうなと思う。どちらの悩みも解消される。

会社での過ごし方について、メールの確認を一日二回にするとかは、あまり参考にならなかった。そんなに効率化する必要がない。
会社というのはゆっくり過ごしたいひとがゆっくり仕事をして残業する場所だと思っている。本気でやれば半日以下で終わるようなことを十時間以上かけてやっている、と確信している。
早く帰るわけにもいかないので私も八時間かけてやっている。たまには例外もあるが、会社員を二十年近くやって来て基本的に変わらない認識だ。
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タチアナ・ド・ロネ『サラの鍵』

2016年02月26日 00時31分25秒 | 文学
タチアナ・ド・ロネ『サラの鍵』(新潮社)を読んだ。
重い内容の話は重たい文章で書くというのが、なんとなく常識というか、そのように思ってしまっていて”不謹慎”という言葉すら思い浮かべた。
ホロコーストについてこのように語ることができるのだなと思った。
前半は確かに重苦しく読むのが辛いくらいだったが、後半はもう何を読んでいるのかわからない感じだった。子供を産んで離婚して恋をする女の話だった。お葬式の最中に楽しんでいるような、そのような印象を受けた。
いや、べつにそれがいけないと言っているわけではないのだが、こんな小説もあるんだなと思った。

サラが弟を部屋から救い出すためにパリに戻ろうとするところも迷惑で強引だと思ったが、ジュリアがサラの息子に会いに行くところも強引だと思った。強引なことが多くて、お話を読んでいるのだなと思った。そこがホロコーストの話と合わないと感じた理由のひとつかもしれない。途中、ディケンズ? と思うことがあった。
原爆の話や、終戦の話、満州の話なんかで、ディケンズのように話が進んだらどうなるんだろうな、と思った。
深刻な物語で、出来事が歴史の事実であることを強調しながら、ディケンズみたいな話になったらどうすればいいのかわからない。
「こんなところで”ディケンズ”したら駄目でしょ!」と両手を顔の横でチョキにして「”ディケンズ”」と言うときに立てた指を曲げて、誰かが(私ではない)叱りつけるのではないかと思ってしまう。

しかし思えば村上春樹にしても水村美苗にしても、深刻な物語のなかでどれだけ”ディケンズ”するか、それを試しているのだと言える。
タチアナ・ド・ロネの場合ちょっと話が(私には)強引すぎて、”ディケンズ”しているのが目立ち過ぎただけなのかもしれない。
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