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「退屈に堪へる練習」

2016年02月23日 22時19分31秒 | 文学
山本七平の『小林秀雄の流儀』(文春学藝ライブラリー)を読んでいたら、小林秀雄を読みたくなって引用されていた「偶像崇拝」(『小林秀雄全作品18』所収)を読む。
山本七平の読んだように(読んだことを確認するために)読んだだけだがおもしろかった。
絵を見るのは「退屈に堪える練習」である、というようなことは小林秀雄しか言わないなと思った。
言葉で解るとか解らないとか、そういうのとは別の仕方での認識があるということをすっかり忘れてしまっているし、想像すらできないので、すこし時間をかけて絵を見たり、音楽を聴いたりしてみたい。

『小林秀雄の流儀』はほんとうにおもしろい。
小林秀雄がいて、折口信夫がいて、山本七平がいるって、すばらしい世の中だったな。
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『サラの鍵』で一息つく

2016年02月23日 00時10分06秒 | 文学
タチアナ・ド・ロネの『サラの鍵』を読んでいる。
フランスでフランス人が行ったユダヤ人強制収容の話で、あまり語られることはないが最近よく聞く話で、あまり語られることのない話を耳にすると興味を持つ。で、読んでみる。映画化されていて、映画の本を読んでいたときに興味を惹かれ、どうせならば本を読もうと思った。
現代のフランスに住む元アメリカ人女性の話と、第二次世界大戦中のフランスのユダヤ人少女の話が交互に語られる。
ユッシ・エーズラ・オールスンの『特捜部Q』は警察の状況と被害者の状況が交互に語られるがなんだか似ている。
警察の部分になるとほっとする感じも似ている。『サラの鍵』では強制収容の話がつらい。
最近こどもがひどい扱いを受ける話を読むのがほんとうに苦しい。自分に子供が出来るとこんなにも感覚が違うものかと思う。子供がいないときに、私にはひとの苦しみが全く分かっていなかったのではないかとさえ思う。

いまやっと少女がもうひとりの少女と逃げ出して、優しそうなおじいさんとおばあさんに助けてもらうところまで読んで一息つく。
読んでいると歴史の話なのにまるでディケンズを読んでいるような気分になる。そしてディケンズが読みたくなる。こんな感じの、主人公が苦しい状況にあって、出会いがあって救われる、みたいな話を読みたい。

物語では、少女は「サラ」とは呼ばれず少女と呼ばれるのだが、まだこの少女が生き残るのかどうかわからないまま物語は続く。
現代の話では、主人公の前にお祖母さんが”ヴェルディヴ”から生き残ったという男性が登場するが、このお祖母さんがサラかサラの連れの少女なのかもしれない。
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