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三島由紀夫『命売ります』

2015年12月09日 22時15分48秒 | 文学
三島由紀夫『命売ります』(ちくま文庫)を読んだ。
なぜかこの本がいま売れているらしく、本屋で並んでいるので気になって読んだが、たしかに三島由紀夫の本のなかでは読みやすいが、そんなにおもしろいかなあ。三島由紀夫では『音楽』と『三島由紀夫レター教室』だけがおもしろかった記憶があり、ほかは苦痛でしかなかったのだが、『命売ります』を読むのは少なくとも苦痛ではなかった。
話はテレビドラマの「世にも奇妙な物語」にありそうな話だった。主人公が追い込まれるが、そこにはっきりとした理由がない、いわゆる不条理な話だった。最後のオチの感じも「世にも奇妙な物語」にありそうだった。
おもしろければ続けて三島由紀夫の『宴のあと』を読もうと思っていたが、保留。
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保苅瑞穂『モンテーニュ よく生き、よく死ぬために』

2015年12月09日 20時55分16秒 | 文学
保苅瑞穂『モンテーニュ よく生き、よく死ぬために』(講談社学術文庫)を読んだ。
モンテーニュにはずっと興味があって、『エセー』を読もう読もうと思いながらまだ読めていない。
この本を読んでさらに興味が増したかと言うと、そうでもない。
以前『寝るまえ5分のモンテーニュ』という本を読んだときに、「みずからの性について、今日の読者をも狼狽させるほど赤裸々に語っている」と書かれていた「ウェルギリウスの詩句について」という『エセー』のある章が気になったのだが、その章について保苅瑞穂の本ではあとがきで少しだけ触れるだけだった。いい意味でも悪い意味でも大学の先生の書いた本だなと思った。モンテーニュとともにみずからの性について赤裸々に語るということは、できない。

モンテーニュ関連で言えば、堀田善衛の『ミシェル城館の人』が気になっている。
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沢木耕太郎『流星ひとつ』

2015年12月06日 21時22分07秒 | 文学
沢木耕太郎の『流星ひとつ』(新潮社)を図書館で借りて読んだ。
少し前に沢木耕太郎のものをいくつかまとめて読んだことがあったが(『ポーカー・フェース』、『貧乏だけど贅沢』、『チェーン・スモーキング』、『246』)、しかし思い出してみると読もうと思ったきっかけは藤圭子が自殺し、そのあと少ししてから沢木耕太郎が藤圭子にずっと昔にインタヴューしていたこの本が出て、最初のほうを見ると会話文のみで書かれていて興味を持ったのだった。
買うほどではないと思って放っておいたが、また沢木耕太郎が読みたくなって図書館で借りた。

とてもおもしろい本だった。文庫になったら手元に置いておきたい。
藤圭子は、宇多田ヒカルの母親という認識しかなかったが、この本を読むとものすごく近しい存在に感じる。
藤圭子が、無意識で歌っていたときは何ともなかったのに、喉の手術をして自分の声が変わってしまってからは歌うことを悩み始めたという話がおもしろく、それに対して沢木耕太郎が、長く同じ仕事を続けていればいつかはそういう時期がくるものでそれでやめてしまうのであれば若いうちしか仕事ができないということになってしまうという意見(だいたいの要約です)もおもしろかった。意見の違いがあるときに、沢木耕太郎の意見が結局は正しいというようには読めなくて素晴らしい。
また藤圭子の家族が父親から暴力を受けていたという話も印象に残った。戦争に行っていた父親は軍隊で殴られたので家族を殴るようになってしまった、そういう病気なのだ、ということを藤圭子が言っていた。
藤圭子が前夫の前川清をとても褒めていて、前川清が歌がうまいと何度も言うのだが、私自身は前川清の歌がいいと思ったことが一度もないので、そういうものかなと思った。しかし前川清が歌が上手いという話は以前誰かが言っていたと記憶しているので(福山雅治かな?)、上手いのだろう、たぶん。

とにかく、芸能の世界に生きるのはたいへんなのだなと思った。
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ジョージ・ノルフィ監督『アジャストメント』

2015年12月05日 00時37分25秒 | 映画
ジョージ・ノルフィ監督『アジャストメント』を見た。
世の中には良いSFと悪いSFがある。これは悪いSFだ。
とにもかくにもどこでもドア。
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加藤典洋『戦後入門』

2015年12月04日 23時34分17秒 | 文学
加藤典洋『戦後入門』(ちくま新書)を読んだ。
とっても分厚い本なので長くかかった。
最近よくこのような、戦後政治についての本を読むので、語られる内容はだいたい同じようなものだなという感想を抱く。
いまの安倍政権に対する危機感から、このような本が多く書かれ、その問題の原因を戦後から(実は)ずうっと続いてきた対米従属に見る。

今回この本で深く納得したのは誇り、プライド、のことで、戦後日本人の誇りの感情は経済的に成長していたことで保たれてきていたが、それが経済的にずっと低迷していることで保たれなくなってきた。そのせいで排外的な、戦前的なものを良しとするような感情が出てきているのではないか、というような指摘はその通りなのだろうなと思った。
もうひとつ、加藤典洋が
《これまで自分は考えてみると、ものごとを考える価値の基準を戦争で死んだ人々の場所に置いてきたように思う。》(517頁)
と書き、そして、
《しかし、もう「戦争の死者」という錘を外して、いまの世の中を生きていて感じる、「普通の人」の考え方、価値観を基本に考えないと、しっかりとこの現実に立脚した考え方ができなくなるのではないだろうか。戦争を経験した人々が、戦争体験をもとにものごとを考えるのはよい。しかし戦争を経験していない自分がものごとを考える基準を、こうした年長の人々と同じところにいつまでもおくわけにもいかないのではないだろうか。》(518頁)
と書いているところはほんとうにそうだなと感じた。
いつまでも大岡昇平や吉本隆明の言ったことを繰り返して、それで正しいことは言えるかもしれないが、いつのまにか時代とは離れてしまっているということはあるだろう。

加藤典洋の言う、憲法九条を左側に改正して、自衛隊を国連に委譲するというのがどれだけ現実味のある話なのかは、わたしにはよくわからない(というか現実味はないだろうと思ってしまう)。
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