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「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さよなら」

2011年03月08日 00時24分06秒 | 文学
橋本治の『小林秀雄の恵み』(新潮文庫)を読み始める。結構分厚い本です。
100ページほど読んだ。
源氏物語は地の文章が敬語を使用してあるので、和歌の部分が登場人物の“生の声”が出ている唯一の部分であるというところに感心した。やはり全訳した人は違うと感じさせる。きちんと手仕事をやってきた人は概念的な言葉ではなく身から出た言葉を使うのだよな、と思う。そこがすばらしい。
そのほか感心した部分は、小林秀雄の『本居宣長』は本居宣長を”学問をした人”としてとらえていて、そのあとに書かれた『本居宣長 補記』は歌人としてとらえている、というところ。『本居宣長』は小林秀雄が宣長をとらえきれていないところがおもしろく、『補記』は宣長をつかんでしまっているからつまらない、というところもなるほどと思った。「なるほど」というのは僕が『本居宣長』と『補記』を読んでいて、そう言われて納得した、という意味ではなく(そんなに『本居宣長』を読みこんではいない)、橋本治はうまいことを言うなと思った、という意味です。
宣長は学問がしたかったわけではなく、少女を愛するように桜を愛して、ずっと(下手な)和歌を詠んでいたかった人、というふうに橋本治はとらえているようだ。
下手であってもずっと好きなことをし続けているそういう情熱があるのはすばらしい、羨ましいと読んでいて感じた。
『本居宣長』には最初のほうに折口信夫が登場し、小林秀雄と話して別れる間際に「本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さよなら」と言う印象的な場面があるのだが、やはりこの本でも取り上げられていた。
僕はそのようには読んでいなかったのだが、ここでの折口信夫は嫌な人として描かれている、と橋本治は書いていて、そういうものか、そういう読み方もあるか、と思った。
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河合隼雄『心理療法序説』

2011年03月06日 15時54分59秒 | 文学
河合隼雄『心理療法序説』(岩波現代文庫)を読んだ。
心理療法家にいまさらなるつもりもなくて、普段の生活で知り合いに心の病について相談を受けたときのために読んだわけでもなくて、どんなふうに読んだかというと、自分の中のクライエントとどう付き合うかということを考えて読んでいた。自分を「治療者」と「クライエント」の二つの部分に分けて、クライエントが問題を抱えているときに治療者としての自分はどのように対処したらよいのかを考えながら読んだ。
僕はそんなに情緒不安定ということはないのだけれど(しかも年をとってますますそんなことはなくなってきているのだけれど)、たまに疲れたときやゲームで負け続けたときなどに「ああ、だいぶ病んでる」と思うことがある。まあそんな程度なのだけれど、そこに大きな闇が口を開いていて、そういうときに治療者の私が登場して「まあここへ座んなさい」とクライエントに言えたらよいなと思っている。
もうちょっと具体的な話が読みたかったのだが、クライエントとの具体的な治療内容は明かさないように河合隼雄はしているらしく、概論のような感じだった。
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関川夏央と水村美苗と橋本治

2011年03月06日 00時19分58秒 | 文学
英語の勉強は「VOA Special English」のPodcastをiPodに入れて聴いている。(最近の日本語は新しいことを書こうとするとどうしてもアルファベットが出てきてしまう。日本語の文章の中にアルファベットが頻出するのがどうしても違和感があるのだが、「ポッドキャスト」とか「アイポッド」とはあまり誰も書かないので仕方がない。)
で、Podcastのほかのものも探して入れていて、「ラジオの街で逢いましょう」を入れている。この番組はわりとおもしろい人をゲストに呼んで話を聞く。今回は関川夏央の話を聴いていて、興味を持った。今度出るらしい横光利一の『旅愁』についての本は気にしとこう。誰も横光利一の小説に見向きもしていない時にそれを考えているという、そういうのがインテリの本当の姿だなと感心してしまう。そういうひとがいると、世の中捨てたもんじゃないな、とまでは思わないにしても、いろいろなひとがいて好き勝手なことをしていてよいのだなと感じる。
誰もがそちらを見ているときにそちらを同じように見て同じような感想を抱くのであれば、そんなのはインテリではない。
僕のように英語をちょっとやって岡本太郎のドラマをちょこっと見て岡本太郎に興味を持っているようではまだまだだ。完全な大衆だ。
関川夏央に少し興味を持ったので、本屋で彼の本をチェックする。『女流』がおもしろそうに思い、林芙美子と有吉佐和子についてしばらく考えてみたが、思い浮かぶことがなにもないので購入を思いとどまった。そのあと『探偵小説の室内』(柏木博著)という本を立ち読みしていたら、水村美苗の『私小説』を目次に見つけ、「あれ、これは推理小説なのか?」と興味を惹かれ『私小説』を購入。水村美苗に興味があった時に読もうとしたことがあるのだが、横書きで、しかも最初のページが英語で書かれていて、そのときは諦めた。いまちょうど英語の勉強をしているので、ちょうどよい。読んでやろうじゃないの。
橋本治の『小林秀雄の恵み』も買ってあるので、そのあとか、先に読もうと思っている。
関川夏央と水村美苗と橋本治というのは、並べてみると、なんだかクセのある三人だ。
なんだかね、やっぱりね、ふつうのものって、もう読みたくないんですよね。小説が読みたいのに読みたい小説がぜんぜんないじゃん、というのが最近本屋の新刊コーナーに行ってよく感じる感想だ。
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鳥飼玖美子『「英語公用語」は何が問題か』

2011年03月05日 13時24分22秒 | 文学
鳥飼玖美子『「英語公用語」は何が問題か』(角川oneテーマ21)を読んだ。
このひとのNHKの番組を見て英語に再び興味を持ったので、一応の礼儀として(?)書いた本も読んでみた。通訳の経験があるので何かというと、「難しければ通訳に頼むという方法もある」と通訳を勧めていた。こういうのはおもしろい。
もうすこし、英語をどうやって勉強すべきかについて突っ込んだ話があるのかと期待していたが、そういう本ではなかった。
ユニクロと楽天が会社で英語を公用語にするという話から、それはあまりよくないのではないか、という話だった。トーイックについても英語の能力は数値では計るのは難しいというニュアンスだった。シャドーイングにも否定的だった。多読は勧めていた。
僕自身は会社で英語を使うこともないし、英語が公用語になりそうな雰囲気も全くないので、趣味としてやる以外にない。会社で英語が公用語になったらいやでもやるだろうからそれはそれでいいかもしれないな、とも思うが、日本人しかいない会社でなんのためにそんなことをするのかと考えたら、馬鹿馬鹿しくなるだろうなと思う。
毎日少しずつ英語を聴いているが、よくわかるときと全くわからないときがある。話題と、体調によるのだろう。

最近英語学習に関する本をよく読むが、なかなかいいと思える本に出会えない。
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