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水村美苗『増補 日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』

2015年05月07日 23時14分42秒 | 文学
水村美苗『増補 日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(ちくま文庫)を読んだ。
水村美苗は『本格小説』を読んだときに、「この人の本はすべて読まなければならないリスト」に登録された人である。存命の作家では他に村上春樹とカズオ・イシグロがいるくらいだ。村上龍もよしもとばななもすでにこのリストから外れてしまった。
この本は、第一章は小説みたいでとても面白かったが、だんだんと読んでいてつらくなってきた。作者の切実な気持ちに感化されて、このままでいくと日本語はなくなってしまうのかもしれないな、と感じてしまう。
本文を読み終わったのは昨夜で、今日は「文庫版によせて」を読んだだけなのだが、本文を読んで一晩経つと、もう日本語の未来を憂う気持ちはなくなってしまっている。この本も単行本から七年くらい経っているのだが、さらに日本語の状況が悪くなっているように僕には思えない。英語の覇権がさらに強く大きくなっているとも僕には感じられない。まあ水村美苗と見ているところが違うのだろう。
結局、自分の力でどうしようもないことについては考え続けることができないのかもしれない。
市井の英語力のない普通の会社員がこの本を読んで、何を考え続ければいいのか、よくわからない。

僕は1974年生まれで、その当時の学校教育を受けてきたので、言葉の使い方もその影響をすごく受けているのだということを強く感じた。
水村美苗が「こうして」や「それじゃあ」の表記に疑問を持つ気持ちがぜんぜん理解できない。「いづれ」を固持するのもよくわからない。学校教育というのはやはり偉大で、どうしても教えられたことを正しいものと思ってしまっている。
夏目漱石の『三四郎』がたくさん引用されたが、僕にはこの小説のおもしろさがよくわからないのも年代のせいかもしれない。また読んでみよう。

水村美苗がいま日本語で書かれている小説について非常にネガティブな意見を書いているのがおもしろかった。
書きすぎたと思ったのだろう、「文庫版によせて」では少し言い訳めいた書き方をしていたが、この本ではとてもおもしろかったところだ。友人の話として、自分よりも頭の悪い作家の書いた小説なんか読む気がしない、というような意見があったが、激しく同意できた。僕もそう思う。
村上春樹にたいしてどのように考えているのか聞いてみたかった。

最後に誤字について。
非常に重要な箇所に誤字があった。
「文庫版に寄せて」の443頁に、
《森鴎外の『高瀬川』のほかにはない。》
とあり、自分が書いたわけでもないのに冷や汗が出る思いだった。
国語の教科書になんで読むべき古典が載ってねえんだ、馬鹿やろう、っていう雰囲気の箇所なのでとっても恥ずかしい感じでした。
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