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☆内田樹「他者と死者 ラカンによるレヴィナス」感想

2006年05月20日 04時05分59秒 | 文学
もう二十歳を越えて就職していたけれど、水泳教室に通っていたことがある。
このままじゃ、一生クロールができない。これではいけないという切実な思いに駆られて。
しばらくはいくらやっても息継ぎのできない時期が続き、コーチの説明を聞きながらも「そんなに言うとおりに上手くはできないぜ」って腹を立ててた。口に出しては言いませんが。だいたい僕は自分に出来ないことがあると猛烈に腹を立てる。
クロールで息継ぎが出来たときは不思議な感じだった。ノートに薄いグレイで印刷されたお手本の文字を、鉛筆できれいになぞることが出来たような気持ち。ああ、これだなって感じ。理解が向こう側からやって来たという感じ。了解するというのはそういうものだと思う。

他者と死者―ラカンによるレヴィナスいったい何が言いたいかと言うと、図書館で借りてきた内田樹の「他者と死者 ラカンによるレヴィナス」は僕にはたぶん理解できてないだろうな、ということ。
言葉として言っていることはそんなに難しくはない、と思う。
しかし、「他者」は存在していないと言ってもいけない。それはすでに存在という考えの範疇にある。というようなことを、いったいどう理解したらいいのか判らない。
そんな「他者」っていったい具体的に言うとどういうこと? って質問したくなる。でも、具体的に言えないもの、それが「他者」だって答えられるんだろうな。
自分の頭のなかを隅から隅まで見渡して、そこに存在しないもの、存在しないって考えることさえ出来ないもの、それが他者、なのかなあ。言葉ではいくらでも言えるけど、いったいなんなのかはたぶん僕には判ってない。
言葉での理解と、納得ということとは違います。

「もうお分かり頂けただろうが、これこそ典型的な「前言撤回」の身ぶりなのである。何かを提示し、ついでそれを撤回する。それが「交換」の原基的形態なのである。」(85ページ)
「前言撤回」もよく判らなかったなあ。何のために? と思った。

文句ばっかり言ってるみたいだけど、なかなかスリリングな本で面白かった。興奮しますよ。とくに前半。
カミュの「ペスト」をまた読まないといけないなと思った。
それとオデュッセウスが、豚に変身させられた仲間のブーブーって言ってるのを言葉だと聞き取ろうとする話。「千と千尋の神隠し」だなあ。「オデュッセイア」も読んだはずなのに全く憶えてない。

しかし内田樹の本にはなんだか騙された感がいつも伴う。(べつにこれも悪口ではないです。)
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