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☆「銀河鉄道999 (劇場版)」感想

2008年08月02日 16時15分03秒 | 映画
妻がニンテンドーDSで「ドラゴンクエストⅤ」をやっているので、僕はその横で資格試験勉強をやるべきなのだが、あまりやっていない。

銀河鉄道999 (劇場版)録画していたので松本零士の「銀河鉄道999 (劇場版)」を見た。
子供のころテレビで、主人公の鉄郎がバーでミルクを頼んで周りの客に笑われるシーンを見て、「バーで牛乳だけは飲まないようにしよう」と決心したのでそのシーンは憶えていたが、他のところは全く記憶になかった。
今はどうか知らないが、僕が子供の頃のアニメは母と子供がテーマの話をよくやっていたように思う。「母をたずねて三千里」とか「みなしごハッチ」とか。
「銀河鉄道999」も鉄郎が機械伯爵に殺された母親の仇を討つために、母親にそっくりの謎の女メーテルとともに旅をする話だった。そしてメーテル自身の母親との確執の話も出てきた。
鉄郎は機械伯爵を殺したあと、機械の身体になろうとすること自体を否定し、そのサービスを提供している惑星を破壊することを望むが、ここはなかなかおもしろい、というか、恐ろしい、というか興味深かった。
自分もそれまで望んでいたのに、そのサービスが自分にとって良いものでなくなると、そのサービス自体をなくした方がよいという極端な考えに進んでしまうということは、あるような気がする。
機械伯爵の”時間城”や惑星メーテルが、物語上でその役割を終えた途端に崩壊しはじめ、主人公やその仲間たちが命からがら脱出する、そのようなシーンはいろいろな物語でほんとうに何度見たか知れない。
そういえばWiiのゲームソフト「ドラゴンクエストソード」でもそのような場面があった。
宮崎駿で言えば「天空の城ラピュタ」がそう。「ハウルの動く城」もそうだったかなあ。
角川映画の「里見八犬伝」も確かそうだった。
どんな堅牢な城も物語に登場すれば最後に崩壊は免れない。これは真実であり”お約束”だ。

惹かれるものがなかったので、続編も録画していたが見ないことにする。
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