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☆原りょう「私が殺した少女」感想

2007年12月26日 22時49分37秒 | 文学
私が殺した少女原りょうの「私が殺した少女」を読んだ。
犯人が誰であるかだけは記憶していたが、そのほかの部分はきれいに忘れていた。
「さらば長き眠り」、「そして夜は甦る」、「私が殺した少女」と最近立て続けに読んだが、最近のものになっていくほどおもしろいように思う。つまりこれまで読んだ中では 「さらば長き眠り」がもっともおもしろい。久しぶりに読んだせいもあるかもしれないけれど。
「チェシャー猫(キャット)」は毎回登場するのだろうか。あまり意識していなかったのでよくわからないのだが、三作ともに出てきたように思う。猫にあえて「キャット」とルビを振るのにひっかかりを感じたことがここ最近で三回はあった。
<朝日新聞>であって、”朝日新聞”でも「朝日新聞」でも朝日新聞でもない。この表記はわりと独特だ。”(ダブルクオーテーション)もたまに使用しているようなので明確な違いを設けているのだろう。

主人公で語り手の探偵沢崎は出来るだけ調査のときに嘘を言わないようにし、嘘をつくときは嘘であることを明言する(もちろん話し相手にではなく読者に)。
わりと倫理的な人だなといつも感心する。
フェアなミステリというのはこういうものなのかもしれないが、そこがたいへん特徴的だと思う。
「さらば長き眠り」ではそこを逆手にとって渡辺については何も言わなかった。嘘も言わないかわりに、何も言わない。こういうのって確か「レティサンス(reticence)」って呼ぶのだったと思う。故意に言い落として、言わないことで何かを語る。
そのようなことを考えて、「さらば長き眠り」を読んだあとカズオ・イシグロを読みたくなったのでした。
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☆伊丹十三の「マルサの女」

2007年12月26日 00時47分44秒 | 映画
マルサの女伊丹十三の「マルサの女」をテレビで放送していたのでやはり見てしまう。
もう何度も見ているけれど、やはり見る。
伊丹十三の「マルサの女」までの作品と、宮崎駿の「もののけ姫」以外の作品は何度も見ているし、何度でも見てしまう。まさに「いつも何度でも」といったところ。
やはり伊丹十三は偉大だ。
俳優が何を言っているかはっきり聞き取れるだけでもすばらしいと思う。そんなことは当たり前のことだと思うが、最近の日本映画はテレビの音量をかなり大きくしないと聞き取れない映画が多いのでそんなことも思ってしまう。

もうほんとうに何度も見ているのでいまさら気づいたこともない。
一点、山崎努の家の本箱に昔の大江健三郎全集かな、と思える本があったがどうでもいいのできちんと確認はしなかった。違うような気もする。
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