原りょうの「私が殺した少女」を読んだ。
犯人が誰であるかだけは記憶していたが、そのほかの部分はきれいに忘れていた。
「さらば長き眠り」、「そして夜は甦る」、「私が殺した少女」と最近立て続けに読んだが、最近のものになっていくほどおもしろいように思う。つまりこれまで読んだ中では 「さらば長き眠り」がもっともおもしろい。久しぶりに読んだせいもあるかもしれないけれど。
「チェシャー猫(キャット)」は毎回登場するのだろうか。あまり意識していなかったのでよくわからないのだが、三作ともに出てきたように思う。猫にあえて「キャット」とルビを振るのにひっかかりを感じたことがここ最近で三回はあった。
<朝日新聞>であって、”朝日新聞”でも「朝日新聞」でも朝日新聞でもない。この表記はわりと独特だ。”(ダブルクオーテーション)もたまに使用しているようなので明確な違いを設けているのだろう。
主人公で語り手の探偵沢崎は出来るだけ調査のときに嘘を言わないようにし、嘘をつくときは嘘であることを明言する(もちろん話し相手にではなく読者に)。
わりと倫理的な人だなといつも感心する。
フェアなミステリというのはこういうものなのかもしれないが、そこがたいへん特徴的だと思う。
「さらば長き眠り」ではそこを逆手にとって渡辺については何も言わなかった。嘘も言わないかわりに、何も言わない。こういうのって確か「レティサンス(reticence)」って呼ぶのだったと思う。故意に言い落として、言わないことで何かを語る。
そのようなことを考えて、「さらば長き眠り」を読んだあとカズオ・イシグロを読みたくなったのでした。
犯人が誰であるかだけは記憶していたが、そのほかの部分はきれいに忘れていた。
「さらば長き眠り」、「そして夜は甦る」、「私が殺した少女」と最近立て続けに読んだが、最近のものになっていくほどおもしろいように思う。つまりこれまで読んだ中では 「さらば長き眠り」がもっともおもしろい。久しぶりに読んだせいもあるかもしれないけれど。
「チェシャー猫(キャット)」は毎回登場するのだろうか。あまり意識していなかったのでよくわからないのだが、三作ともに出てきたように思う。猫にあえて「キャット」とルビを振るのにひっかかりを感じたことがここ最近で三回はあった。
<朝日新聞>であって、”朝日新聞”でも「朝日新聞」でも朝日新聞でもない。この表記はわりと独特だ。”(ダブルクオーテーション)もたまに使用しているようなので明確な違いを設けているのだろう。
主人公で語り手の探偵沢崎は出来るだけ調査のときに嘘を言わないようにし、嘘をつくときは嘘であることを明言する(もちろん話し相手にではなく読者に)。
わりと倫理的な人だなといつも感心する。
フェアなミステリというのはこういうものなのかもしれないが、そこがたいへん特徴的だと思う。
「さらば長き眠り」ではそこを逆手にとって渡辺については何も言わなかった。嘘も言わないかわりに、何も言わない。こういうのって確か「レティサンス(reticence)」って呼ぶのだったと思う。故意に言い落として、言わないことで何かを語る。
そのようなことを考えて、「さらば長き眠り」を読んだあとカズオ・イシグロを読みたくなったのでした。