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☆「渋江抽斎」のすゝめ、「探偵ガリレオ」の感想

2007年12月16日 22時49分16秒 | 文学
たとえばレンタルビデオ店のDVDのパッケージの裏側に、それまでその作品をレンタルした人たちの名前のリストが貼ってあるような個人情報丸出しの店があったとして、自分が借りる映画に必ず、ある人物の名前がリストに存在していたら、とっても気になると思う。
そして気になるあらゆるDVDのパッケージ裏の名前のリストを確認してしまう。
しかも同じ監督の作品であっても、自分が好きな作品にはその人の名前がリストにあり、見てはいないがおそらく失敗作に違いないと思われる作品にはその人の名前がなかったらとっても親近感がわいてしまうと思う。
そして店員に「この○○さんってどういうひとなんですか?」と勇気を出して訊いて、「あっ、あのひとですよ、ほら」って今まさに店から出て行こうとする人の後姿を指さされたりするようなことがあったら、急いで追いかけていって、
「すいません、わたし、あなたのこと他人と思えないんです。だって好きな映画が全部いっしょで、嫌いな映画の嗅覚までいっしょで、しかもアダルトビデオの趣味までいっしょなんてほんとうに奇跡としか思えません。ちょっととりあえず携帯のアドレスを教えてください。あやしいものではありませんので」
などと言ってしまわないだろうか?
わたしは言わない。
言わないが、しかし言いたくなる気持ちには少しなるだろう。
森鴎外の「渋江抽斎」はこんな話だと思う。
思ったよりも読みやすく、興味を惹かれる話だ。

探偵ガリレオ (文春文庫)「渋江抽斎」を途中まで読み、ちょっと読んでみようと思って東野圭吾の「探偵ガリレオ」を読んでいたら最後まで読んでしまった。
テレビドラマよりはおもしろいが、これまで読んだことのある東野圭吾作品以上かといえばそうでもないだろう。

今日は久しぶりにデパートに行き、書店で本をたくさん(ってほどでもないけど)購入した。
村上春樹「東京奇譚集」
フィッツジェラルド(村上春樹訳)「グレート・ギャツビー」
原りょう「さらば長き眠り」
の3作。
今年の読み残しは今年のうちに、というラインナップになった。
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