シドニー・シェルダンが先月末亡くなったという。89歳の長寿だった。その作品、ほとんど読んだか。何よりその小学生レベルの口語体・平易な英語に助けられた。お陰で英語読解に多少の自信を得て、他の英語原書小説に挑む勇気を与えてくれた。元来映画のシナリオライターだったが50歳から精力的にミステリー冒険エンターテーメントnobelを書き始めたという。その原作は多く映画化された。
反面、日本語翻訳の彼の小説は電車で週間漫画を読んでいるような羞恥心があり、半冊?しか読んでいない。英語学習という側面があるからこそ読めたといえる。
一部紀行文を除いてそのほとんどの作品を読んだ司馬遼太郎の逝去時、かってもう著者の新作に会えないと思い、“この世からモツアルト曲が亡くなるような喪失感”と書いたが、作品ジャンルは相当に違うとは言え、同じような感慨に襲われた。それほどに書く作品、書く作品全て面白く、期待外れが無かった。
侵略の贖罪と自虐感に被うわれた私の日本近代史観が「坂の上の雲」を読んで霧のように晴れた。その司馬を“万人が褒めるなら俺がケチ付ける“とばかりに佐竹信が“支配者と勝者サイドばかり書く“という趣旨の批判を読んで長くショックを受けたものだ。
(改めて、私蔵のSIDNYものを並べ懐かしみ、私なりの哀悼を捧げた)
反面、日本語翻訳の彼の小説は電車で週間漫画を読んでいるような羞恥心があり、半冊?しか読んでいない。英語学習という側面があるからこそ読めたといえる。
一部紀行文を除いてそのほとんどの作品を読んだ司馬遼太郎の逝去時、かってもう著者の新作に会えないと思い、“この世からモツアルト曲が亡くなるような喪失感”と書いたが、作品ジャンルは相当に違うとは言え、同じような感慨に襲われた。それほどに書く作品、書く作品全て面白く、期待外れが無かった。
侵略の贖罪と自虐感に被うわれた私の日本近代史観が「坂の上の雲」を読んで霧のように晴れた。その司馬を“万人が褒めるなら俺がケチ付ける“とばかりに佐竹信が“支配者と勝者サイドばかり書く“という趣旨の批判を読んで長くショックを受けたものだ。
(改めて、私蔵のSIDNYものを並べ懐かしみ、私なりの哀悼を捧げた)