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「安謝中から那覇高へ」~私の履歴書㊼

2021年02月16日 | 「美ら島沖縄大使」便り
         
 私が在学した安謝中は一学年3クラスと那覇地区では垣花と並ぶ、弱小中学でした。当時の安謝中からの進学可能な那覇地区の普通高校は那覇、首里の2校に那覇商業、沖縄工業、沖縄水産の5高でした。現在多くある私立高校は未だ無く、高校入試を滑ったものは全て浪人し、翌年再受験でした。経済的に大学進学が難しい文系は那覇商業、理系は沖縄工業と水産高への進路でした。当時の那覇高は首里、名護高と並ぶ県内TOP高校で、当時は那覇高に何人合格入学するかが県内中学のランクでした。私達安謝中同期120中、那覇高に進学したのは1クラス4人の12名でした。
 当時の高校入試は国語、数学、社会、理科、英語、5科目で各科目30点、150点の満点の共通試験で、平均25点?以上が那覇高校だったと思います。私は安謝中からNO3?で行きましたがトップの、長嶺義男君は千葉大医学部にNO2の津嘉山正夫君が徳島大に進み、後に教授に就任します。二人はいずれも国費受験でしたが、NO3の私は何故琉大だったか!
 これは次回報告します。
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