奇跡のシンフォニー(映画 2007年)

2018-08-16 00:00:14 | 映画・演劇・Video
日本の音楽映画の場合、アマチュアのシロート演奏家が、なんらかのきっかけでメジャーを目指して努力して、様々な困難と挫折を乗り越えて一流の仲間に入ることができるという展開が多い。シロートというのが、高校生だったり、アマチュアバンドだったり、高齢者楽団だったり。(音楽に限らず、野球やバレーや相撲や駅伝などでも同じ展開になる)

ところが『奇跡のシンフォニー』の主演の少年(フレディ・ハイモア)は、孤児院で暮らす11年の間、じっと両親があらわれることを願っていながら、突然、彼にしか聞こえない魔法の音楽に誘われるように、院を脱走する。そしてマンハッタンでストリートミュージシャンに弟子入りするのだが、湧きあがる才能を持て余し、ついにジュリアーノ音楽院に才能を見出される。

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つまり、日本型成功ではなく、「生まれながらに持っている少年」なのだ。このあたりが、感情移入しづらく、ちょっとさめる点だ。さらに12年前に一夜の情熱で、少年を妊娠してしまったバンドマンの父とチェロが上手な母親は、結婚することなく、さらに子供が生まれたこともなかったことにしようとしていたのだが、この二人も何らかの見えない力によりマンハッタンに近づいていくわけだ。同じ「院」でも、孤児院と音楽院は大違いなのだが、その橋渡しには教会が使われる。神の御加護ということなのだろうか。信者ではないのでよくわからない。


そして、公園での公開音楽祭で母親の演奏が終わった後、少年が自分が作曲した交響曲を指揮し、神童ぶりを披露するわけだ。

彼の年齢の設定は、モーツアルトを意識しているのだろうが、何も映画なのだから本物の神童を意識しなくてもいいのにと思う。ギターの練習を6か月も続けて撮影に臨んだのが実態だ。

そして、今年は2018年なのだから公開から11年経っている。では少年は今、何をしているのだろう。答え:フレディ君は、ケンブリッジ大学を卒業したわけだ。語学が堪能ということで、英語圏以外でも映画出演OKらしい。

ところで、なぜ、バラバラに生活していた母と父と子の3人が、突然、他人には聞こえない音楽を聴いてNYに集まってきたのだろうか。答えは簡単だ。映画で「感動的な再開シーン」を撮影するからなのだ。

四大悲劇のこと

2018-08-15 00:00:51 | 書評
2ヶ月前の雑誌の件で、気になっていたものの放置していたのだが、新潮社の書評誌「波」2018年6月号の中の連載『やりなおし世界文学(津村記久子)』でシェークスピアの「リア王」と「マクベス」があった。この二作に「ハムレット」と「オセロ」を加えると、いわゆる四大悲劇になる。きょうのメインテーマはそこなのだが、まずは連載の方。

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タイトル『やりなおし世界文学』というのが怪しい。やり直しというのは、過去に一回やって上手くいかなかったことを再チャレンジするのが本意と思うのだが、どうも「書名は知っていたが、読んでいなかった名作を初めて読む」という意味に使っているようだ。それなら「恥ずかしながらはじめての名作世界文学」ということなのだろうが、ちょっと変な感覚だ。このちょっと変な感覚というのは、シェークスピア劇の重要なポイントだと思うのだが、まず四大悲劇という言われ方について。

もちろん、本人が決めたわけではない。実は1616年に52歳で亡くなった7年後に戯曲全集が出るにあたり20年間にわたって書かれたものを、史劇、悲劇、喜劇と分類したわけだ。その悲劇の中には、この四作以外にも「ロメオとジュリエット」は悲劇であるし、「ヴェニスの商人」は悲劇だと思っていたが、喜劇に分類されている。

Yahoo知恵袋には、「どうしてロメオは四大悲劇に入っていないのか」という質問があって、多数の異なる解答が書き込まれていて、どれも要を得ない。「時代が違う」「内容が軽い」「複合的ではない」「ストーリーの長さ」などが挙げられているが、どれも納得できない。そもそも四大悲劇って誰が言い出したのか。よくわからない。

悲劇という分類の定義もはっきりしない。個人的には「ロメオとジュリエット」が悲劇一番だと思っている。いかにも救いのないストーリーだ。一目で恋に落ちた少年と少女の両家は長年いがみ合っていて、殺人事件まで起きる。そして数日間の間にストーリーは展開し、次々に関係者は死に、情報伝達の誤解から、少年も少女も自殺してしまう。それで両家が仲良くなったわけでもないし、まったくどうしようもない話だ。

一方でハムレットは要するに「かたき討ち」。結局、仇を仕留めたのだが、傷を負い息絶える。息絶えたのは残念だが、本望は遂げている。一応、完全悲劇とは言えない。

リア王は暴君で三人娘の末娘を嫌っていて追い出すが、長年の放蕩で国が荒れ、他国の侵略を受ける。そして、よりによってリア王と末娘が殺されてしまうのだが、死の間際に王は自分が間違っていたことを後悔する。この後悔する分だけ悲劇的ではない。

オセロもマクベスも途中段階では悲しい話だが、最後には観客に一抹の安堵を与えるのだから、結局、ロメオとジュリエットが一番の不条理な悲劇だと思えるのだ。

いずれにしてもシェークスピア劇は、原作が立派過ぎ、有名過ぎなので、演じる役者は大変だろうなあ、と同情する。

数十年前、高校卒業と大学入学の間の短い期間にシェークスピア全集と、源氏物語をいずれも現代日本語訳で読んだのだが、その後、ギリシア悲劇、ギリシア喜劇も読んだ、という人に会った。あまり大人物には思えなかったのだが、読んだのではなく買っただけだったのかもしれない。

N大のこと

2018-08-14 00:00:04 | 市民A
日本大学は立派な名前の大学であるが日本国の正式な読み方である「NIPPON」ではなく、「NIHON」と読む。このちょっとした違いがあるためか、「国民の名を冠した大学なのに、恥ずかしい」というような非難は受けていない。

にもかかわらず、アメフト、チア、ボクシング会長との深い仲など、次々に問題が発覚中である。これでは、来年は入学者がいなくなるのではないかと心配するが、当面は付属校とか系属校からの推薦率を上げればいいのだろうが、高校の希望者が減るとなると大問題だし、数だけ合わせれば質が下がることになる。そうなってはマンモス大学の将来は暗い。

もともとマンモスというのは、小中学校のクラス数が多いことを指し、大学の場合、大教室を使って学生数を増やす方式はマスプロ大学と言われていた。それがいつの間にマスプロというコトバが廃止になり、マンモス大学と呼ばれ、小中学校のマンモス校は少子化によって自然消滅した。マンモスというコトバには、「超大型」という意味だけではなく、「絶滅」という反意も含まれることを思い出すと、まさに日大にふさわしい名称なのかもしれない。

そして日大の学生数は70,000人である。話を単純化して4で割って学年ごと学生数を計算すると、17,500人である。一方、日本の大学生は2,570,000人。これも4年で割ると一学年600,000人程度である。これは現在の18才人口である1,200,000人に大学進学率50%を掛けた数字とも一致する。

大学進学率50%はこの10年程度ほぼ変わっていない(先進国としてはかなり低いが入学者の卒業率は93%と抜群に高い)ため、今年生まれた子の18年後の人口は870,000人。大学生はその50%として435,000人と推定される。そうなると現在よりも165,000人も学生数が減ることになる。計算すると、二年に一回ずつ日大が廃止になるような学生数の減が予想されるわけだ。

たぶん、他大学の関係者はN大のことを「早く潰れればいい」と思っているのだろう。明日は我が身かもしれないのに・・

医学部入試の怪(女子合格率調整)

2018-08-13 00:00:40 | 市民A
東京医科大学の入試点数改竄の件は、裏口入学者にプラス、女子にマイナス、多浪者にマイナスという操作を行っていたことがわかった。某局長のこどもには一次と二次と二回にわたって点数アップをしたようだ。私大医学部卒業生に聞くと、「そういえば、ずいぶん頭が悪いのもいた」という話も聞くわけだ。医者は開業すると、個人営業となるわけで、ミスを指摘してくれる者もいないのに無責任な話だ。(自宅の近くにある皮膚科は、先生はヤブだが病名を事実上決定するのは優秀なベテランナースということで人気があるのだが)

女子の話の前に、もっとかわいそうなのは多浪生かもしれない。後がないのだから、マイナス食らうのがわかっていたら、絶対に受けないだろう。報道も多浪生の悲劇には目もくれないし・・

で、女医の話だが、日本の医者の女性比率は20%である。先進国ではほぼ最下位だが、日本に近いのが米国で、英国も30%以下。厚労省の統計では、若い世代(30代以下)では女性比率は30%ということだが、ある意味、国家試験の合格者率を示している。さらに受験者数も同じぐらいだ。

一方、今回の件で、女性の生涯を通じた「アクティビティが低いから」という理由が浮上しているのだが、これは出産・育児などで離職率が高いということを言っているようで、女医がいなくなった後を男性医師が穴埋めして過重労働になるということが主旨である。

ところが、一つは、医師を増やせばいいではないかといえるわけだ。基本的に超過勤務時間に対価を払うのであれば医師を増やしても同じなのだから、裏返せば、残業代を払わないブラック企業みたいな話だ。

さらに、事実誤認に近いのだが、女医は35歳あたりで離職率は上がるが、そのあと再び職に就いているケースがほとんどで、厚労省のグラフでもきれいなM字カーブとなっている。問題は一般の企業の場合で、一旦離職しても元に戻れないからグラフの上でMにならない。つまり女性の働き方改革上、医業はすでに上手くいっているともいえるわけだ。ただし、スタート前に大問題の人数制限があるわけだ。


ではなぜ、医師を増やさないかと言うと、まだ誰も言わないのだが、弁護士の世界でも起きているが、医師の人数を増やしても患者が増えるわけではないので、一人一人の収入が減るということになるのではないだろうか。シカゴ学派の経済学者ミルトン・フリーマンの著書「資本主義と自由」の中では、プロフェッショナル・バースコントロールという用語になっていて、かなりページ数を使って解説されていて、代表例として、医師が登場している。(フリードマンは医師を患者が評価する基準が数十年前の(国家)試験であるのはおかしく、大病院などのような第三者機関による評価が重要と言っている。現代では、ネット上に真偽不明の誤診情報が書き込まれたりする)

あるいはブラック病院の経営が悪化するかもしれない。もしかすると、医師が余ると予防医学のようなことを言い出したりして、患者が減る可能性すらある。

一方で、医師はあまり休めず、その対価で収入が多く、その結果良くない生活態度の者がいるのも事実だし、正常化するには医師を増やして収入を落とした方がいいようにも思える。

もっともAI診断が普及してくると、医師の役目も大きく変わるような予感もある。

例えば、睡眠時無呼吸症候群だが、呼び方は異なるが、「いびきレコーダー」のようなアプリを数百円でインストールでき、寝る前に枕の横にスマホを置いておけば、睡眠時の呼吸を、刻一刻「正常」「いびき」「無呼吸」と分類してさらに回数や無呼吸秒数までカウントしてくれる。さらにデータが取り出せるようになっていて、そのまま持ち出せるわけだ。ただし、病名は付けないわけだ。アプリは医者ではなく、そもそも人間じゃないからだろう。

ところで、医師免許をもった女性タレント某氏が東京医科大学に理解を示し、女性医師が増えると、眼科と皮膚科は女医だらけになり外科医が不足すると発言しているが、医師の数を増やさないとしても眼科と皮膚科が女医になると外科医には男子が回るのではないかと思うし、何が問題なのかよくわからない。言い過ぎるとテレビに呼ばれなくなり、眼科医になるのだろうか。眼科は、かなり奥が深く難しいと眼科医の夫(医学部途中脱落者:知人)から聞いたことがある。

「縄文の美-1万年の美の鼓動」

2018-08-12 00:00:22 | 美術館・博物館・工芸品
この十年、実は縄文ブームが続いている。一つの方向性は縄文時代人と弥生時代人の共生の研究が進んだこと。そして美術的には、縄文遺跡の研究が進み、同時代の世界の他の地域の陶芸などの美術品よりも、ずっと進歩的だったこと。さらに弥生時代は実用土器の時代であったことを考えれば、縄文時代の芸術は、もっと古い時代なのに芸術度がずっと高いことなど、一言で言えば、ミステリアスなわけだ。

さらに、土偶など縄文土器の一部は祭禮用に用いられていたと思われるが、一体、何を祈っていたのだろうか。日本の古代信仰と関係があるのかないのか。

しかも岡山の威風来氏のように、現代において縄文土器を焼くアーティストも少しずつ増えているわけだ(残念ながら、『野焼き』を合法的にできる場所は極めて限られているという問題はあるが)。

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ということで、上野の国立博物館で開かれている『縄文展』には大きな期待をしていた。

そして、大量展示である。入場者も大量なのだが、結構勉強して訪れている人も多い感じだ。

一言で縄文と言っても場所と時代で様々な類型にわかれるようだが、どちらかというと新潟以北の鉢の方が手が混んでいるように思える。さらに北海道は芸術度が高いように感じるのだが、そのあたりがよくわからない。苫小牧の博物館にも大量に展示があったが、縄文文化とアイヌの関係とか不明だ。

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本展では国宝6点が出品されるが内5点は土偶である。数が偏ったのには理由があるようにも思えるが「美術的価値だけではなく、研究用価値を合わせて評価する」ということのようだ。また縄文土器は国宝のカテゴリの中では工芸品ではなく考古資料に分けられるということも関係あるのだろうか。


なんとなく思うのだが、21世紀中には日本の縄文時代から古墳時代に至るアンタッチャブルな古代史が明らかにされるのではないかと思っているのだが、たぶん個人的にはそれを知ることはないだろうと予想している。

反則勝ち(将棋)のこと

2018-08-11 00:00:50 | しょうぎ
社団戦に今季限定で出場したのだが、日本のプロ野球の外国人選手のように結果を求められているようなプレッシャーは感じていた。当日は、一日4対局の最初に2つ負けて、後がないような苦しい状態で3戦目。作戦的に盤の両サイドを明け渡す代償で中央突破するという展開で、ほんの僅かに有利というところで、両者30秒の秒読みになる。その途中で、相手の反則で1勝することができた。あまり例のない反則だった。その説明の前に、過去の反則勝ちの経験を書いてみる。

まず、「二歩」だが、意外に多くない。一度か二度ではないだろうか。二歩にはいい手が多い。読みの中で、ここに打たれたら負けだなと観念して、よくみると二歩ということが多く、そこに歩を打ってくれるということだった。反対に、終盤で負けていて、唯一、二歩を打って詰ます筋があり、さらに詰み筋の途中で歩がなくなって証拠が消えるという局面があったのだが、理性が働いて指さなかったことがある。

個人的に今まで最高の珍プレー勝ちは、職団戦で「王手千日手」。何しろ周りに敵味方のギャラリーがいる。2回目あたりから、奇妙な空気が流れる。相手がルールを知らないのか、4回目で手を変えるのか、確認のすべがないのだが、悟られないように、読むふりをする。さらに、4回目の時にどうやって対処するかを考える。そして、4回目の王手の時に、相手に口頭で確認する。「千日手ですね。」「そうです。」「反則です!」。確認しない前に反則の話を持ち出すと、「まだ3回」とか言われる危険を防止したわけだ。奇妙なことにプロ棋士の対局でも過去に一回の事例がある。


次点は、王手放置。自玉が詰まされコースに入り、横から飛車を王手に打たれて、合駒を打っても無駄な展開で、あえて飛車で合駒。実は相手の王様への逆王手になっているのだが、それでも詰まされる方法は無数にあるのだが、別の王手を掛けられる。先に王を取ったのだが、相手が私の王を取り返した時には、もっと驚いた。

プロで王手の掛け合いで有名なのは1962年度のA級順位戦ラス前の塚田×大野戦。大野必勝局面で塚田九段の形作りの飛車王手に、これを放置して角で王手返しをしてしまう。この時の塚田九段の名言が「悪いけど、いただいておくよ」。感想戦の中でも「星が苦しいので」と言ったそうだ。塚田九段は最下位で3勝5敗だったそうだ。破れた大野八段はこの一敗で名人挑戦権に届かなかった。後日談が数十年後に明らかになり、この対局の間接効果で当時26歳でA級2年目の芹沢八段は、「私を陥落させるために、わざと負けたのではないか」と疑い始め、精神的不安定を続け、負けが込んでいき、陥落後、A級に復帰することすらできなくなる。

行けない場所に行く、というのは何度かあって、たいていは桂と角。あるいは4段目で成る。読んでいるときから間違いが始まっているようだ。プロでも時々あって、笑ってはいけないが、ある女流棋士が不慣れな着物対局で、袖が触れて盤から落ちた右隅の香車を駒台に置いてしまい。ついにそれを打ってしまったことがあった。相手の棋士は駒台の香にいつごろから気付いていたのだろうか。島九段もテレビ対局用の一文字駒の銀を裏返して駒台に置き、金と勘違いし成銀を打ってしまった。


で、冒頭の私がいただいた反則勝ちなのだが、対局時計に関係がある。といっても押忘れとか時間切れとかの単純なものではない。実は類例がないので、一般的用語が存在しない。

秒読みが進んでいき、ついに時間切れの前に、手を指すことなく対局時計を押されたわけだ。

つまり、「一手パスします。次の手もどうぞ。」ということだ。

反則の一類型として、「二手指し」というのがあり、相手の手番の時にもう一回自分で指すことなのだが、それには当たらない。逆に、一手パスした相手に対して指すと、私の反則になりそうな気がする。

もちろん、「反則勝ちでいいですね」と確認したわけだ。


さて、7月28日出題作の解答。

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暑苦しい配置で申し訳なし。原図を余詰め修正しているうちにさらに密集してしまった。気温40度問題。暑い部屋で作っているので・・。よくみると、変化手順も暑苦しいか・・

動く将棋盤はこちら



今週の問題。

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かろうじて入玉しているが、安住の地を追い出されることになる。ヒントは「探偵と刑事」。もっともヒントの意味が判るときには、ほぼ解けているはず。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

『浜なし』酷暑効果で早期収穫へ

2018-08-10 00:00:51 | 市民A
酷暑の時には野菜も出荷量が減るし、牛乳まで品薄になるといわれるが、酷暑大好きの植物もある。それが梨らしい。

タウン誌に「8月上旬から『浜なし』の出荷が始まる」との記事があった。平年より10日早いそうだ。早速、いつもの直売所にいくと、のぼりが上がっていた。

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午後だったので、Lサイズの幸水しかないということだった。つまり浜なしとは梨の種類ではなく横浜市(及び周辺)の梨ということで、同様の言い方には「浜ぶどう」というのもある。

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5個で1280円が安いのか高いのかわからないが、どうも、やや傷物や歪んだものとか色にムラがあるものが売られているようだ。

そして、浜なしも浜ぶどうもほとんどが地元で消費されるようなので、域外の人は口にすることはできない。さらに今年の分は宅配便分はすべて予約済ということらしい。実際、梨の生産地が横浜産かどうかはあまり味には関係ないように思えるが、浜ぶどうについては美味いと予言しておく。

「五色の虹」(三浦英之著 2015年)

2018-08-09 00:00:35 | 書評
2015年の開高健ノンフィクション賞受賞作。毎年8月には第二次世界大戦関連の本を読んでいる。昨年は、「東京帝国大学第二工学部」といういわゆる「戦犯学部」関係の本を読んだが、今年はもっと難易度が高い「満州建国大学」について読む。

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満州国というのは日本の傀儡政権とされ、表向きは清朝最後の皇帝といわれる溥儀を利用して政府を作り、実際は日本人が中枢を握っていたわけだ。

しかし、とはいえ表向きは国家を名乗っていたので、大学を作ることになった。しかし、当時の満州は各国の利害が入り混じっていて、しかも漢民族、満州族、朝鮮族、モンゴル族がいて日本人の他、ロシア人もいたわけだ。

ということで、目標は五族協和ということで、大学の定員の半分が日本人で残りを多民族に分配するという方法だった。1938年に開学した建国大学は、石原莞爾、辻政信といった陸軍の大物が関与した一方で、日本国内の重苦しい抑圧状態とは異なり、多民族間で自由な言論が許されていたということが明らかになっている。


そして、1945年8月15日を迎えることになるわけだ。


実は、既に建国大学卒業生は相当な高齢である。鬼籍にいるものも多いし、すでに記憶の整理ができない人もいる。

ということで朝日新聞記者の著者が日本国内のみならず東アジア各地の生存者を回って取材を始める。しかし、彼が見たのは、多くの卒業生が苦心惨憺の人生を送っていた事実だった。

まず、日本人だが、多くがシベリア他の抑留者となった。帰還まで何年もかかったし、建国大学=陸軍と誤解されるので、その後も過去を隠した人が多い。また大陸に残留し、国民党の軍隊で共産党と戦っていたものもいる。潜伏キリシタンのようにこっそり連絡を取り合って名簿を作り、国内組の同窓会を開くところまできていたのだが、高齢のため今後の継続は厳しい状況だ。

中国人にはもっと厳しい運命があった。日本のスパイ(あるいは協力者)のように思われていて、長い間身分を明かせなかった。文化大革命で犠牲になり、現代のこの取材でも、まだ公安が卒業生に張り付いていて、著者も十分なインタビューが行えなかったようだ。

さらにロシア人やモンゴル人、台湾人なども国際情勢に振り回され、数奇な運命をたどっている。

一方で、成功したのは韓国人の姜英勲。後に首相になっている。とはいえ、そこに至るまでは命懸けの人生を辿っている。

実際、建国大学の研究をしているものは、日本でもほんの数人らしい。その意味で本書は、実際のノンフィクションとしては成功しているとは言い難い(調査できないことが多過ぎるわけだ)のだが、建国大学に着目したということ自体が有意義なのだろうと思う。

それぞれの8月だ。

ワールドカップ63試合を見終わる。

2018-08-08 00:00:28 | スポーツ
サッカーワールドカップロシア大会を見終わる。実は全64試合だが、1試合だけ録画ミスをしてしまった。結果として63試合。

使っているプレーヤーに1.3倍速という機能があって、それで見ると、試合が非常にスピーディーだ。ボールは速いし、選手の足も速い。全部が速攻に見える。未来のサッカー戦略のようだ。たぶんハリルホッジ前前監督の目指すサッカーだったのだろう。

不思議なことに1倍速に変えると、最初はボールの動きが緩慢に見えるが、30秒もすれば速度変化に慣れていく。

ところで、物議をかもしたのが、日本-ポーランド戦のラスト10分間の日本のボール回しだった。リードされているのに、攻めずに守りに入った。それに対して相手のポーランドが同調して、攻めることを止めたので、ボール回しの練習みたいになった。そして、その後、賛否両論があらわれるのだが、予選第三戦の前の段階で、日本:勝点4、セネガル:勝点4、コロンビア:勝点3、ポーランド勝点0だった。つまり、ポーランド以外は勝てばいいし、引き分けでもかなりの確度で決勝トーナメント行けそうだ。

そして、同時刻に始まった日本-ポーランドとセネガル-コロンビアが動いたのは、ポーランドが1点先制した時だ。このままいくと、セネガル5、コロンビア4、日本4となるが、得失点差1の差でコロンビアが2位になる。しかし、次の1点によって順位が変わるのは目に見えているので、まだ手は抜けない。最も攻撃的になるべきは日本だった。

ここでポーランドが次に点を取れば、セネガル-コロンビアがパス回しを始めただろう。ところが、次の1点はコロンビアが取る。今度は、コロンビア、日本、セネガルの順になる。そして残り10分で日本のパス回しが始まる。

その段階でポーランドは「勝点3を取る」という唯一のミッションは達成している。一方、セネガル-コロンビアは重大である。セネガルにとっては1点取ればいいわけだ。少なくてもコロンビアより上になれば決勝トーナメントに行ける。一方、コロンビアはセネガルに1点取られると日本と2位の座を争うことになり、日本が1点取れば3位になる。つまり、手が抜けないわけだ。

そしてグルグル回しが始まったころ(残り10分)、連続して2回ほどセネガルが絶好のチャンスを迎える。シュートが正確であれば、ここで日本の作戦が「大失敗」ということになったはずだ。一方、コロンビアにとってはセネガルと引分けになっても、日本がグルグル回しを続けて負ければ決勝に行けるのだが、セネガルと同点になると、今度は日本がポーランドを攻め立て始めるだろうから、結局守り抜くしかない。唯一、セネガル-コロンビア戦の方がインジュリータイムが長く、日本-ポーランド戦終了時刻より2分ほど終了が遅れる。この2分間はコロンビアにとっては、負けても構わない時間だった。とはいえ、ベンチから選手に伝える方法もないし、伝える必要もないわけだ。

日本が点を取りにいかなかったことが、不興の原因だったのだろうが、たぶん『自分のゴールに蹴り込んでわざと負ける』場合には、大目玉を食らうだろうと推測できる。

工場爆発をプラスにした人

2018-08-07 00:00:55 | 市民A
先日、大雨によって岡山県は大きな災害に見舞われた。総社市ではアルミ工場が大爆発して負傷者が多数にわたり、倉敷市真備地区では堤防が決壊し多くの方が亡くなり、家も水没した。私も2年前まで倉敷市の中小企業の社長椅子(大型肘掛け付き)に座っていたので、心配をしていた。水没した真備地区からも社員が通勤していたからだ。

最近、状況がわかったのだが真備地区に住んでいた社員は二人(二家族)。

内、一人は高台に住んでいたため難を逃れたそうだが、もう一人の方は川に近い場所にアパートを借りていて、結果として、アパートは浸水したそうだ。しかし、本人夫妻は、堤防決壊の直前に起きた総社市のアルミ工場の爆発(アルミ工場と真備地区とは4キロの距離)のすさまじい音を聞き、貴重品を持ってただちに車に乗り、橋を渡って安全サイドに逃げ、親戚のいる倉敷の南部に向かったそうだ。

家財と、妻のクルマは水没したそうだが、保険対象になるそうだ。

一人目の高台の話だが、基本的に何代も前から住んでいる人は高台に住んでいるそうだ。低いところは浸水の危険がある。一方、堤防の整備と高梁川に橋が増えてきたことで、比較的安価な住宅地となり人口が流入していたようだ。

また、この地域で随一の観光名所は『横溝正史疎開宅』。名作『八つ墓村』を書いている。今回の浸水被害は、「あと20m」のところで免れたそうだ。

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次にアルミ工場爆発のあと、直ちに逃げた社員の方だが、時間軸で考えてみる。

工場の場所は真備地区中心の北側5キロで同じく高梁川西岸。高梁川と高梁川に合流する新本川に挟まれた土地で、俗にいえば河原みたいなものだ。数日間、激しい雨が続き、川が増水し工場の中でも危険なので止めるべきか、まだ動かすべきか迷っていたそうだ。そして、実際に工場停止に動き出したのが8月6日の早朝だそうだ。その時、アルミ溶鉱炉に溶解アルミが40トン残っていたそうだ。溶鉱炉に水が入れば爆発するし、溶鉱炉もアルミが冷えれば再開困難になる。

ということで、アルミの抜き取りを急いだのだが、量が多くて抜き切れない上、増水により工場の浸水が確定的になった。この段階で溶解アルミ20トンを残したまま工場従業員は退避を始めた。近くの住民には、まもなく爆発確実という危険は連絡されなかった。結果として8月6日23時35分に大爆発が発生、その後、8月7日03時頃まで断続的に爆発が続いた。40トンを抜くには二日必要だったわけだから、逆に言えばさらに1日前に工場停止を決めなければならなかった。

この爆発音だが、相当大きく、距離10キロの倉敷市はもとより20キロの岡山市、50キロの津山、同じく50キロの香川県まで届いている。

その音の例えとして報道を探すと、「火山噴火」「隕石」「北朝鮮の核兵器」「水蒸気爆発」などの声があったようだ。


また、爆発の30分前、23:00頃に高梁川上流の河本ダムが1965年の完成以来初の緊急放水を開始、これがその後、高梁川の水位を上げ、小田川へのバックウォーターを起こす原因になったと思われる。この放水情報は下流の新見市や総社市には連絡されたが、最下流の倉敷市には連絡はなかった。バックウォーターなど頭になかったのだろう。

そして、工場爆発は6日23時35分から断続的に7日03時まで続くのだが、その間に7日01時35小田川の支流の高馬川が氾濫。時期が不詳だが、さらに小田川支流の6か所が決壊していた。一部の場所でには水の流入が始まっていたのだが、地区全体には危機状況は伝わらなかった。そして5時間後の06時30分に町を大洪水が襲うことになる。

つまり、工場が爆発して2時間の間に脱出する必要があったことになる。逃げ遅れた人は「朝になったら」と考えていたかもしれない。重要なのは、「直ちに、落ち着いて行動する」ことであり、一度は練習しておくことだ。特に夜と昼では光景が違うし停電を想定しておかなければならない。昼の合同避難訓練では役に立たないわけだ。

思うに、逃げた社員はアパートに住んでいたわけで、土地や建物を所有していたわけではない。逃げることに惜しい物はないわけだ。逆に、家や土地を持っていると、「流されたらいやだ→流されるはずはない」という非科学的観念がよぎるのだろう(楽観バイアス)。何を考えても個人の自由なのだが、楽観主義なんて災害の前には無力である。できることは、保険に入ることとか写真や重要なデータは別の場所(親戚とか、会社とか、デジタル化してクラウドとか)に分散するとか、そういうことしかない。

白鯨との闘い(映画 2015年)

2018-08-06 00:00:12 | 映画・演劇・Video
壮絶な映画だった。

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『白鯨』といえば、世界十大小説のハーマン・メルヴィル作『白鯨』を思い出す。難攻不落小説でもある。厚い上に難解。本が厚い理由は、捕鯨に関する基礎から上級にわたる膨大な解説があったり、船員の中に同性愛者がいたり、秘密結社の密航者もどきがいたりするのだが、それらのいかにも小説の中の重要なファクターと思われる事項が、まったく重要ではなかったりする。メルヴィル自身が過酷な捕鯨船に乗っていた経験があるからだ。一方、難解な理由の一つは、『白鯨』の主題なのだが、船長と白鯨の長い戦いを書いているのだが、船長は戦いの中で、既に正気を失っていて、その正気を失っている船長の思考が書き連なっているため、書かれている内容が「小説上の事実」と「妄想」との組合わせになるからだ。ということで、翻訳者を選んで本を買わないといけないらしい。(私は読んでいないが、読むかもしれない)

そして、この映画はメルヴィルの『白鯨』が原作ではない。複雑なのは、1851年に出版された『白鯨』は、実は実際に起きたある捕鯨船遭難事件が基になっているということだ。その捕鯨船遭難事件は1819年に太平洋で起きたエセックス号遭難事件なのだが、捕鯨船がマッコウクジラを捕まえようとしたところ反撃され、船が破壊され、船員たちは救命ボートで水も食糧も限られた漂流を始めることになる。

そして、やっとの思いで無人島に到着し、しかしそこにいては助からないとして、再度漂流を開始し、一部の船員が救助される。その間に実はカニバリズムが起こっていた。(カニバリズムというのは蟹をバリバリ食べることではない)

そして、『白鯨との闘い』は、その悲惨なエセックス号遭難漂流実話を事件から32年後の1850年にメルヴィルが生き残った元船員から聴き取るところから始める。というか、そういう構造の書籍が実際にある。ナサニエル・フィルブリック著『白鯨との闘い(In the Heart of the Sea)』。それが、この映画の本当の原作。

鯨関係では、米国の捕鯨がいかに残虐だったかわかる画像が続き、画面から血の匂いが噴出してくるようなリアルさがある。さらに船にはつきものの船長と一等航海士との仲違いが勃発する。そして遭難があり、漂流があり、無人島から再出発の時には、島に残る派と島を去る派が分裂する。そしてカニバリズム。

しかし、映画は最後に一気に割り切れていき、観る人が納得できるように終わっていく。

実は、これを見た後、次から次へと疑問や興味が湧いてきた。最大な問題は、メルヴィルはなぜ、実話にあった漂流物語をカットして、実話の前半分で小説を書いたのか?美的感覚からなのか、あるいはカニバリズムを書きたくなかったのか。

また、本映画は成功したようだが、本家『白鯨』の方の映画は、過去何回か作られたものの、成功とはいえないようだ。「狂気にとらわれる船長」というのが、ダークな映画になっていき、あまり救いのない映画になるからのようだ。

また、捕鯨の基地はマサチューセッツ州のナンタケット島なのだが、それは大西洋側であり、捕鯨船は、どうして、どこを通って太平洋に行ったのだろうか。鯨が大西洋にいなくなったというようなことらしい。そして、ナンタケット島は石油の発見の後に少しずつ活気を失っていき、1846年に大火に見舞われ、島中が焼けてしまう。その後、約100年間、放置された島になったそうだ。そうなると1950年にメルヴィルが実話の取材をしたときは、街はボロボロになっていたはずだが、どうしたのだろう。

なかなか興奮から覚めない映画だ。

コククジラ親子の悲劇

2018-08-05 00:00:50 | 美術館・博物館・工芸品
品川にある「東京海洋大学マリンサイエンスミュージアム」という長い名前の大学内博物館の付属施設に『鯨ギャラリー』という建物がある。一見すると温室なのだが、鯨の骨格標本が二体並んでいる。何しろ大きいし、ガラス張りなので暑いし、さらに骨と言っても有機物質なのでそれなりの匂いもあるので長居は困難なので、撮影だけして記録した。

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向かって右にあるのがセミクジラで太平洋、大西洋の北部に生息して主にアメリカが19世紀末に大量捕獲してしまい激減したまま。全体で1000頭程度の生息で増加の兆しがないらしい。1937年に国際的に保護されたそうで、展示骨格は、1961年に日本国の特別調査でアラスカ沖で捕獲された雄で体長は17.1mである。

そして、向かって左の骨格が本日のメインテーマで、コククジラである。太平洋の北側で生息しているが、北米側はベーリング海からカリフォルニア沖の間で回遊しているそうで30,000頭はいるようで、特に絶滅の危険はないのだが、アジア側はオホーツク海と中国の海南島の間を回遊しているが120頭程度しか確認できないそうだ。まさに絶滅の瀬戸際だ。

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骨格標本は、たまたま宮城県の女川沖の定置網にかかったコククジラ母子のうち母クジラ(体長12.8m)の方だそうだ。

そして子クジラ(体長7.8m)の方だが、2009年に宮城県石巻市の『おしかホエールランド』に譲られ、骨格が展示されていた。同所は石巻が捕鯨の街であったことから設置され各種のクジラ(特にザトウクジラ)展示が有名だった。

ところが、子クジラの骨格が送られてから1年半で東日本大震災が発生し、ネット上で調べた限り、ホエールランド全体が津波に襲われることになった。実は、展示品がどうなったかは確認できないのだが、昨年(2017年)になり、復旧計画が進み始めたようだ。

もっとも海の生物が不幸にも網にかかって命を落とし、その骨格が数奇な運命をたどったのちに、ほぼ元の場所で海に還ったとしたなら、一つの物語の完結なのだろうか。骨になっても強く海に帰りたいと思ったのだろうか。


ところで、石巻には、もう一つの親子物語がある。「史上2番目に長い敵討成就の地」である。記念碑が立っている。新発田藩の武士が殺されてから41年で、実子によって仇討ち(幕末1857年)が成功したという。その経緯はあまりに人間的な話なので、本稿には詳細は書かないが、いずれ、二つの悲しい親子の物語の地を見に行きたいなと思っている。

長蛇を逸し反則勝ちで帳尻合わせ

2018-08-04 00:00:46 | しょうぎ
7月29日、社団戦2日目。都合により二日間だけ参戦ということだったので今回が最終回。目標は1日目と同じ4局中、2勝2敗。ところが、前から知っていたのだが2局目の対戦相手は「詰将棋パラダイス」チーム。しかも対局の前日に本誌が到着し、開いてみると初日の成績を誇らしげに自慢している。4試合で28局指して、22勝6敗。4局のうち1敗が決まっているようなものだから残りを2勝1敗にしなければならない。

そして1局目だが、実は朝の一局目はよく負ける。職団戦では1局目に負けた方が良い結果を得ることが多いが、社団戦はそうはいかない。早起きしてソフトに一回負けてから出場すればいいのだが、早起きは苦手だ。

ということで、押されっぱなしになり、ようやく「角を手に入れればトン死勝ち」というところにたどり着き、しかも角を切ってくれたのだが、そのまま詰まされた。

そして問題の詰パラ戦。いわゆる半手有利というような僅差で終盤になだれ込む。7七の地点で何枚かの駒交換会があり、最後に残った飛車に対し後手が△8五桂と打ち、▲7二飛成に△7七銀と打たれる(初型図)。

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ここで▲9九銀と受けるのは自信がないので、後手玉の詰をだいぶ前から探索していた。といっても7七の駒交換会の時、30秒の秒読みを有効に使っているだけなので合計5分間程度。

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ここで▲52竜、△同玉、▲64桂(途中図1)を中心に読んでいた(▲74角でも詰んでいた)。これに対して、△62玉(変化1)は、

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▲72成銀、△63玉、▲41角、△54玉、▲63角打、△44玉、▲45角成、△33玉、▲25桂以下で詰む。

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次に、最も長いのは△41玉(変化2)。▲52銀、△31玉、▲32金、△同玉、▲43銀成、△同玉、▲52角、△33玉、▲25桂、△44玉、▲45歩、△55玉(途中図2)の時に、

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▲46角(あるいは▲37角、△46合、▲同角)、△同玉、▲56金以下、2九の飛と4八の金が大活躍して詰む。

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そして実戦では最も簡単に思えた△42玉(変化3)コースに進み、これが読み切れていなかった。図面を簡略化し詰将棋的に仕立て直した問題が、今週の問題。

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13手詰だが、11手目を読み切れなかった。もっとも、詰みが見えても指したかどうかははっきりしない。私は詰パラのスパイだからだ(嘘)。

わかったと思われた方はコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ正誤判定します。

そして、2連敗の後の第三局だが一手勝ちコースで両者秒読みに入ったのだが、突然の反則勝ちを得ることになる。今まで長年の間に様々な反則勝ちを得ているが、まったく初めてのパターンだ。過去の反則勝ちと合わせて、次週に書いてみる。

そして、4局目は長い対局になったが、中盤から狙っていたトン死コースの必要駒セットが揃ったところで着手。結局、××○○。2勝2敗。帳尻合わせだ。


さて、7月21日出題作の解答。

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動く将棋盤は、こちら

東京医科大学の女子受験者差別問題

2018-08-03 00:00:42 | 市民A
文部科学省局長の子息の東京医科大学裏口入学問題についての背景など考えているうちに、次の問題が発生した。女子受験者の入学数を30%に減らすために、入学試験の点数に1以下の乗数を掛けて点数を削減していたということだそうだ。これは、東京医科大の大問題のグレードを1段階上げたと言わざるを得ない。

というのも、誰か一人か二人に加点して合格者を増やしたとしても、最低合格ラインが変わるわけではなく、「不公平ではあるが被害者はいない」ということになるはずだ。だから事件になりにくい。ところが女子受験者の数を抑えるために点数を減らすとしたら、まさにその措置で不合格になる女子がいるわけだ。

そして、少し調べていると驚くことに、こういう事情について1年前に発表していた団体があった。

日本女性医療者連合。

昨年の8月、9月に「女性医師を増やさないという『ガラスの天井』~医師・医学生の女性比率の分析」を発表している。

http://www.jampwomen.jp/topics/topics02.html

http://www.jampwomen.jp/topics/topics03.html

この15年間、医師国家試験の受験者中の女性比率がほぼ30%になっていることへの疑問から医学部入学段階から各学部の男女別合格率と比較している。東京医科大の女子合格率と同じというのが奇妙な符合だ。

文中のグラフ(文科省公表データ)によれば、文科系も含め全学部合計では女子の合格率の方が男子よりも高いし、理工系各学部もほぼ女子の方が合格率が高いのに、医学部だけが逆になっている(平均合格率6.50%、男子6.85%、女子5.91%と差がある。

一方で、医師国家試験の合格率は若干女子の方が高いとして、大学入学時になんらかの操作があるのではないか、という推論にたどり着いている。


他大学の差別問題の有無は今後明らかになっていくだろうが、発覚したら大問題となるようなことを多くの大学が行っていたとは、なかなか信じられない。男子合格比率が高いのは入試時の操作の他に別の要因もあるのではないだろうか。


ところで、裏口入学の話だが、女子よりも男子の方が多いような気がする。ようするに開業医のこどもである。医者も大変だと思うのは休みが取れないということに加え、開業するには高額な資金が必要ということ。大学病院や大病院に務めても、年を取るとピラミッド組織から段々はずれていくことになり、開業医への道をたどることになる。といっても今や開業には様々な機械を揃えなければならない。建物と合わせ3億円とか必要になるわけだ。一方、親が開業していれば初期投資は要らない。親子で医療法人を作って親が70歳で引退して引き継げばいい。逆に言えば、こどもが医師を継ぐことを強く求められるわけだ。

こどもが女子の場合、もちろん医者になってくれれば問題ないが、娘婿という方法もあり、娘は医学部ではなくても、薬学部でもいいということになるような気がする。つまりバックドアが特に必要なのは男子の方なのだろうと思ったりする。


ところで、一部には東京医科大学は早稲田が買収というようなデマが流れているが、まずないと思う。

確かに医学部のない総合大学は世界では認められないそうだし、医学部(&薬学部)買収は早稲田の悲願だったはずだが、数十年前に女子医大の買収が寸前で破綻してから方針を軟化させ、国内では女子医大と共同事業を進めるとともに、シンガポールでは独自のバイオサイエンス研究所を持つという体制になっている。いまさら理念の異なる大学に手を延ばすことはないだろう。(日本で一番女子学生の多い大学は○○女子大ではなく、早稲田だそうだ)

東京の地霊(鈴木博之著)

2018-08-02 00:00:03 | 書評
実は2012年に一回読んだ本で、東京都内の土地で、主に幕末から明治にかけて曰く因縁があった土地が、昨今どのように変わったかという主旨の書籍である。といっても1990年に書かれている。

例えば、鳥居坂のあたりは、これから再開発されそうなのだが、皇族や財閥など転々と所有権が変わった場所である。また椿山荘の元の所有者山縣有朋のこととか、思えば都内の土地は徳川幕府のものだったわけで、江戸時代の最初に土地がタダ同然の時に、薩摩藩はココ、前田はココで、伊達はソコとか各藩に割り振られたのだが、幕末に徳川幕府が政権を天皇に返した後に、国有地になったと解するべきなのだろう。ただし皇室の土地というのは別にあるし、要するにおかしなことが沢山起きたわけだ。

で、タナボタでもらった土地というのは、なかなかうまく活用することができず、次々と所有者が変わっていく。

ということで不思議な場所はたくさんあるのだが、今回は上野公園のあたりを熟読してみた。

今の上野公園でもJR上野駅の公園口で降りて公園の中をまっすぐ歩くとパンダの家族が住む動物園がある。動物がエアコン完備の住居にいるのに檻の外にいる人間は汗だくだ。

そして、動物園の手前を右に進むと、ずっと先にあるのが展示品の数が少し寂しいが、国立博物館。

実は、この博物館の場所そのものが、寛永寺の本堂だった。東の比叡山という意味の東叡寺と言われ、徳川家の菩提寺だった。そして、勝海舟と西郷隆盛が江戸の無血開城したのに、幕軍の一部は、この上野の山の寛永寺に集まったとされるが、山というほどの物ではない。ほぼ平らといってもいい。攻めるのは大村益次郎なのだが、なぜか包囲して壊滅させなかった。わざわざ逃がしてからそのまま函館まで追尾したというべきだろう。寛永寺を追われた幕府方はそのまま北部逃走した。

一方、その時の戦争で寛永寺はほとんどを焼失。さらに明治になり、残っていた数少ない建物も明治政府が取り壊す。ただ、後に明治政府は隣接の地に寛永寺の再建を認めたがそうとう小型化してしまった。

一方、上野公園の中央には桜の木が生えているが、あのあたりで激闘があって、体の一部や全部がゴロゴロというところだったわけだ。