史談 行く人来る人(綱淵謙錠)

2017-05-25 00:00:00 | 歴史
いわゆる歴史一口話集とでもいうべきかな。全327ページの中に52話が詰め込まれている。

著者のすべての作品を読んだわけではないので(少なくても1冊は読んでいたが)、本書の話が全てそれぞれ展開して一編の時代小説として完成したかどうかはわからないが、少なくても先日読んだ短編集『刑』の中のほとんどの作は、本書に調査報告書のようにまとめられている。

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しかし、気になったのは「カニバリズム」のこと。経営学では、自社の新形態のビジネスが自社の旧形態のビジネスとかぶっていて、新ビジネスの売上げや利益が増えた一方で旧ビジネスの売上や利益が減ってしまい「お疲れさま状態」になることをいうのだが、元の意味は「食人」。つまり人類の共食いである。

42ページ、7話を人肉を食うことにあてている。世界の食人史を書こうとしたのかもしれないが、なんとなく、知っていた話が多く、愉快な気持ちにはならなかった。

というのも7話の冒頭を飾るのが、「悲しい美食」という話で、例の佐川君のこと。佐川君のことはWikipediaでも調べられるが、本書ではもっともっと具体的な食人の部分にフォーカスしている。

そして、知らなかったことだが、妖刀「村正」と家康の関係。徳川幕府は「村正」を毛嫌いし、できうる限りで村正の排除を行っていたが、従来、その理由としては3点が挙げられていて、

1. 家康の長男である信康が織田信長の命により切腹させられて時の介錯に使われた。
2. 家康の祖父である清康が、様々な思い違いから横殺された時に使われた。
3. 家康本人が幼少の頃、村正の短刀で誤って手傷を負ったこと。

が挙げられているのだが、著者は4つ目の理由として、

4. 家康の父親である広忠が暗殺された時に使われたのも村正であった

ということを探り出している。さらに2の事件と4の事件も(つまり、祖父と父の殺害)、徳川家の家来である植村新六郎氏明が犯人を討ち取っている。一件目は15歳、二件目は29歳の時のこと。見事というべきか、そもそも殿の警固が甘かったというべきか。残念ながら氏明は32歳の時に徳川×織田の合戦で討死。

植村家は江戸時代初頭は旗本であったが、その後、25,000石の高取藩の藩主(つまり大名)となるが、そのプロセスは不明。幕末は無抵抗主義で幕府側から薩長側に宗旨替えした。


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