浅草寺で祈る

2018-07-08 00:00:02 | おさんぽ
先日、浅草の浅草寺(せんそうじ)から徒歩3分の場所で、大規模な将棋大会があったのだが、会場に少し早く着いたので酷暑の中ではあるが祈願に行くことにした。思えば、愛用の帆布製の鞄店である「犬印鞄店」の製造所兼直売所に行くために、浅草寺の門前を歩いたものの仲見世の途中で空腹になって食事に行ったり、つい不義理をしていた。

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境内に足を踏み入れたのは何十年振りだろうか。外国人ばかりだ。カメラは日本製ばかりだが。

五重塔も本堂も美しい赤色で、思わずお賽銭もはずんでしまった。

将棋大会の前の祈りと言えば、『必勝祈願』が相場だろうが、違うのだ。『本日一日、酷暑の中、倒れずに、団体戦の一員として最後まで(四局)席に座っていられるように』といたって軟弱なのだ。

そもそも、武士の必勝祈願とは、戦いの前には神社に行って悪霊を祓ってもらい、戦いの後、運良く生き延びた場合は、寺院に行って殺害した敵の魂を、さっそく慰霊して封じ込めることとなっている。それなら、将棋大会が終わってから敗者への慰霊のために浅草寺に行けばいいのだが、一勝もできなければ、弔うべき対象が自分自身になってしまうわけだ。

しかし、あまりの暑さと五重塔の見学などしているうちに方向を失い、目的地と逆方向(つまりいつもの鞄店方向)に歩いてしまったわけだ。

ところで、浅草寺は歴史を遡ると推古天皇の時代に開山されたそうで、江戸(東京)では最古の寺院だそうだ。実は、上に書いたことと矛盾するが、源頼朝や徳川家康は浅草寺で必勝祈願をしたそうだ。ただし、その直後の戦いで勝ったかどうか定かではない。

江戸時代では徳川綱吉が上野の寛永寺を本寺とし、浅草寺を格下の支寺としてしまった。犬に関係があるらしいが詳細不明。幕末の動乱で彰義隊が寛永寺に立て籠ったこともあり明治になりやっと寛永寺の支配から逃れることができたようだ。


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