「ニッポン全史」の引越し

2019-01-09 00:00:38 | 書評
古市憲寿氏という方が、どういう思想なのか、そもそも知らないのだが、愛読している新潮社の書評誌『波』12月号で、突然に氏の『ニッポン全史』という連載が始まった。

第1回は「家族」と「男女」の日本史。

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唐突に始まった連載にはわけがあったようで、氏は冒頭にこう書く。

『新潮45』から引っ越しをしてきた。雑誌がまさかの廃刊に追い込まれてしまったからである。

いうまでもなく、自民党の水田議員の「LGBTカップルは生産性がないから税金を彼らのためにつかうべきじゃない」という趣旨の発言がきっかけになり、雑誌の存在が炎上して灰になったからだ。

つまり古市氏がコツコツと何回目まで書いていた連載も、『連帯責任』ということで強制終了になったわけだ。

ということで、実は書き始めから、水田議員がいかに無知な女性かズラズラと書き綴ってしまうわけだ。「にわか保守主義者」とか書いている。要するに「昔の日本は夫が外で働き、お金を稼いで妻に渡し、家計のやりくりをしていた」という世界を美しい伝統の光景というのは、そんなに昔からのことではない。せいぜい大正時代からではないだろうか、というような話だ。

もっとも、大正時代というのははるかに古い時代で、それより前の時代の事は歴史の勉強が嫌いだったからまったく知らない、というような議員なのかもしれない。そもそも議員が賢人であるという仮定は、大間違いなのだし、突き詰めれば当選させる選挙区民がいけないのかもしれない。

ということで、移籍第一弾の連載は、やや怒りのこもった著作になっている。8ページの最後にも「生産性」批判が繰り返される。

ここからは、私見中心に書くのだが、家庭の中の女性の地位というのは弥生時代に最初に変化している。コメ作を中心とした農業が始まったのだが、日本の土地は火山灰なので、生産性が低いため、必要カロリーを確保するには狩りにいったり貝を拾ったりする必要があった。ということで男が狩りに行き、女が農業をやるという形態になった。コメ作を行いながら夫が狩りにいくという構造のため、「おにぎり弁当」が発明され、現在、数多くの弁当化石が発掘されるわけだ。

それは、生き残るためのベストミックスだったわけで、古来からあった思想ということではないのだから「昔の日本の家庭は・・・」などと書くので、批判されるわけだ。

本書では事例的研究の結果、大正時代から、水田議員の言う「家庭内封建主義的家庭」が広がったのだろうということだが、もしかしたら男子にしか参政権を与えなかったことから、そういう考え方が広がったのではないかとも私は考えている。

いずれにしても、「きょうが昨日と同じなら良い、明日がきょうと同じだったらさらに良い」というような復古的保守主義は、われわれの文明に何の役にも立たない考え方であるわけで、それこそ生産性がないと言えるだろう。

さらに「生産性」という観点でいえば、中小企業が多いことが日本の工業生産性が低い理由であり、小規模兼業農家が多いことが、農業生産性を低めているとは大方の味方なのだから、中小企業と零細農家を排除していくことが「生産性向上」に有効なのだが、税金の投入は、その逆になっているわけだ。


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