「礫川」って読めます?

2005-08-22 21:32:29 | 美術館・博物館・工芸品
16dbfebb.jpg今回は、礫川浮世絵美術館へ行く。石偏に楽と書いて、「礫」。”こいし”とか”つぶて”と読む。つまり現代の小石川である。東京ドームのちょっと裏手、地下鉄、春日駅あるいは南北線後楽園駅のそばである。もともと個人の所蔵品を展示する目的で、ある細長いビルの5階が美術館になっている。テーマを換え、色々な趣向をこらしている。現在は夏納涼の浮世絵展ということだ。2ヶ月毎に展示はかわる。原宿の太田美術館も同様なテーマ展方式だ。

浮世絵自体、あまり詳しくもないのだが、知らないだけ、見ているとそのつど発見がある。夏、納涼と言うと、江戸の常識では、「美人、妖術、怪異」ということだそうだ。なぜ、美人かはよくわからないが、何しろ江戸は何でも「美人」で騒ぐ。どこの茶店の看板娘とか煙草屋の娘とか・・おそらく美人が少なかったのではないかと想像するが、こればかりは明確にならない。また、妖術、怪異と江戸っ子の関係はどうだったのか知るのも面白いところだが、平安時代の藤原氏のように妖怪を本気で恐れていたのではないだろうと思う。おそろしく現実主義だったのではないだろうか。

話を芸術に戻すと、今回展示されているのは、春信、歌麿、英山、英泉、国芳などだが、作品として額の中に入った現物を鑑賞するというのも、なかなかのものがある。美術選集とかテレビの画像のように作られた作品ではなく、紙質や、色彩の微妙な経年変化などは本物に勝ることはできない。個人コレクションであるわけだから、この膨大な作品群の所有者である、松井英男医師(館長)および夫人の晴江歯科医の二人に限っては、手で作品に触れても一向に構わないのである。(もちろんきちんと本業で税金を払っていなければ、後で人手にわたる可能性もあるのだが、そんなことはないだろう、たぶん。)

以前、北斎の話を当ブログで触れた時に、ベルリンブルー(べろ藍)という顔料を北斎が多用したと書いたのだが、やはり、初期・中期の浮世絵の色彩の中心は、赤、緑、黄色という順に色彩が増えてきている。そして、江戸末期において、藍色が加わり浮世絵の世界が完結したということかな?なんてちょっと思ってしまう。

そして、実感がわかないのだが、こういう個人コレクションを始める動機というのは何なのだろう、私の知っている医師はみんな不純な趣味ばかりなのだが・・さらに、最初は一人で眺めるというところから始まり、ある収集点数を超えると、もうみんなで見てもらいたい、ということに変わるのだろうか?縁がない話なので、思考停止もいいとこだ。

そして、この美術館を攻略する上でもっとも重要なことがあるのだ。それは、エレベーターから出るとすぐ左側に受付があり、入場料500円を払うのだが、そのまま、右側の展示室に入ってはいけないわけだ。靴を脱いで、スリッパに履き替えなければならないのだ。

そして、もし仮に靴を脱ぎ忘れても運良く(不運にも)注意されずに、展示室で鑑賞していると、後続の来館者が入口で「靴を脱いでください」と注意される声を聞いてしまうかもしれないわけだ。そうすると、方法は二つしかない。
1.正直に靴を脱ぎ忘れたことを申告して、頭を5回、前後上下運動させ、入口に戻ってスリッパに履き替える。
2.あわてて鑑賞を中止し、そそくさと下りのエレベーターで逃げるように帰る。

そして、私の場合は、「1」を選択することにしたのだ。入館料はもったいないし、かと言って、妥当な言い訳が思いつかなかったからだ。


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