将棋ペン倶楽部通信53号

2019-07-13 00:00:19 | しょうぎ
将棋ペンクラブの連絡誌が届いていた。ペンクラブには何年か前から入っているが、最近の傾向として、将棋研究家の方の質の高い研究成果を読むことができるようになった。今回は、意欲的な調査報告があった。

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執筆者は小笠原輝氏。将棋世界誌で将棋メシの特集をされている方だ。あまり原稿料をもらっていないのか国会図書館で資料を集めて書かれているようで、過去のタイトル戦の行われた宿泊地に足を伸ばして味を確認というよう方向にはなっていない。東禅寺や南禅寺での対局では、精進料理になったのか、違う場合は、「なぜか」というのを期待したい。

将棋ペン倶楽部誌の方では、大山名人の優勝回数の件での疑問点である。問題を整理すると、最近、通算勝ち数で大山名人の数字(1433勝)を羽生九段が超えたということになったが、その少し前に優勝回数で大山名人の44回を羽生九段が抜いた(45回)のだが、この44回という数字が間違いではないかという疑問だ。(ちなみにタイトル数は大山名人80回に対し、羽生九段は99回)

具体的には、昭和23年度に行われた最強者選抜戦で大山八段が丸田八段、松田七段にそれぞれ2勝1敗で勝ち、塚田名人との記念対局を行っている。当時は棋戦優勝者が名人と記念対局を指すことになっていて棋戦優勝にあたるのではないかということ。

次に、昭和26年に行われた時事勝継戦。規定では五人抜き優勝者は本社(時事新報)賞が賭けられ次で名人と対戦するとなっていて、塚田前名人、原田、南口、丸田八段、小堀七段に勝って木村名人と対局している。六人目の松下七段に負け、松下七段がその後も勝ち続け、5連勝した段階で優勝扱いになっている。このため、大山九段は優勝とするべきとのこと。

三つ目の例が、昭和30年の「東西対抗勝継戦」。二番目の棋戦の変形バージョンで、名人が記念対局に出るのではなく、東西対抗の勝ち抜き戦で東軍西軍のいずれかが全滅した後、負けた方の援軍として、勝ち残った相手と対戦することになっていた。そして時の名人は大山名人その人だった。この年の大会は西軍の熊谷七段の5連勝での優勝もあり、最後に花村、坂口、広津、板谷、大野と5人も勝ち残っていた。ということで、東軍のしんがりで出場した大山名人は、この5人を全部負かしてしまったわけだ。熊谷七段の5連勝が優勝扱いなら大山名人も優勝とすべきということだ。

つまり小笠原氏の調査によれば、大山名人の優勝回数は47回であり、まだ45回の羽生九段には抜かれていないことになる。追い越したと思ったら、まだだったというのは、なんとなく気が重くなりそうなのだが、それを目標とするなら引退時期が先送りになったということになるはず。ちょっと気がかりな記事である。


さて、6月29日出題作の解答。






▲1四角から▲2三銀で下に落とす。△1三玉は▲3一角成。捨て駒で決める。

動く将棋盤はこちら


今週の問題。



駒が余らないように、攻守協力のこと。

わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見を頂ければ正誤判定いたします。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (蛇塚の坂本)
2019-07-14 17:14:00
最終手〇〇〇の〇手詰み
前回と同じスンナリの筋ですね
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Unknown (おおた葉一郎)
2019-07-14 17:14:51
坂本様、
正解です。あえていうと、6手目です。
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