栽培植物と農耕の起源(中尾佐助著)

2018-08-28 00:00:03 | 書評
岩波新書の中の一冊。初版は1966年(没年1993年)となっている。著者は1916年生まれで大阪府立大学教授となっている。植物学者として、後に「照葉樹林文化論」を世に問うことになる。

一方、東アジア各地を実地研究していて、その副産物ともいえる数々のエッセイが様々な文学賞を受賞している。

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本書はエッセイではなく、世界各地の農耕の歴史を比較して農耕文化の伝播をさぐるという趣旨で書かれていて、東アジア(サハリンからインド、ミクロネシアなど)については実研究により、サバンナ地域や地中海、新大陸については各地での研究資料によっている。

農耕といっても様々だが、本書は主食(炭水化物)について、芋、バナナ、豆、穀類というような角度で世界を分けていく。地域性と気候性と文化伝播の関係性である。

東アジアを語るなら「コメ」中心と思うのだが、それはかなり解明されていて簡単なようで、面白いのが「麦類」らしい。さまざまな穀草を人類は食べることになっていて、大麦や小麦といった人間が改良できる種類にまとめられるまでの苦闘があったようだ。

本書を要約することは、はなから無理なので、土の中から発見された人類の中で、もっとも悲しい食べ物を取っていた男性のことを紹介してみる。

生きていた時代は西暦ゼロ年頃。場所はスウェーデン。鉄器時代に入った頃だ。泥炭の中から良い状態で発見された男は、「いけにえとして絞め殺された」とされている。その男の胃袋から最後の食事の内容がわかったわけだ。大麦、燕麦、アワ属の雑草、ソバカズラ、シロザ、ノハラツメクサ、ナズナ、エゾスズシロ、ヘラオオバコ。つまり現在のスウェーデンの麦畑に生えている雑草ということらしい。牛や馬と同じだ。まさか直接地面に口を付けていたのだろうか、それは男に聞いてみないとわからないが、スウェーデン人は鼻が高いので食べにくいだろう。

ということで、欧州では、その後、小麦、大麦、燕麦、ライ麦が勝ち残って、さらに次の段階に進むわけだ。


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