藤堂高虎家訓200箇条(15)

2006-07-16 00:00:40 | 藤堂高虎家訓200箇条

藤堂高虎家訓200箇条に取り組んで、4ヶ月強になる。一つ一つは、つまらないものを多いが、なんとなく本人の気持ちに近づいてきたような気もする。やや難しい思考法をとる時もある。第146条で「けはれ」の概念が登場する。話は服装のことで室内着と外出着のことだが「ハレとケ」というのは柳田國男が提示した概念がはじまり、とされるのがWikipediaでも紹介されているぐらいなのだが、この当時でもそういうことばが使われていたということは、柳田國男の概念がどこからきたものなのかを再調査する必要があるのかもしれない。

第141条 假初にも人に物毎のかふばり不可成可慎

かりそめにも他人に対して強情を張ってはならない。慎むべきだ。

藤堂高虎流はその後の日本の基本になっているのだが、サッカー界に強力フォワードが育たない理由でもあり、領土外交、ミサイル外交で遅れをとってしまった。第二次大戦の時も、一部強情を張った関東軍を押えるすべもなかったわけだ。やはり専守防衛も限界があるのだろう。


第142条 人と申合する事を出しぬくへからす自然出しぬきても不苦事ハ一戦の砌か取籠者か追かけ者之時ハゆるしも可有其外ハ可慎

人と申し合わせていることを出し抜いてはならない。出し抜いてもいいのは、戦いのときか、取り囲まれた者か、追いかける者の場合は許される。その他の場合は慎むべきだ。

契約遵守の精神だ。ただし不可抗力(フォースマジュール)は除くということか。戦いの時は出し抜いてもいいし、四面楚歌の場合も約束を破るのは構わないということなのだろう。さらに追いかける者も出し抜きOKということだ。実際、関が原の戦いの時は、多くの武将に対して、徳川方に寝返るように手紙作戦を展開している。


第143条 我先祖の功を言女房の理発刀脇指の切の威言又ハ何にても安く求め貴く放したるいげん言へからす聞にくき物也身の自慢より発る事なるへし

先祖の功績を言ったり、女房の賢いことや刀剣類の切れ味がいいことや、または安く買い求め、高く売ったということを言ってはいけない。聞きにくいものである。自分の自慢話に発することだ。

この家訓が自分の子孫に伝わるとするなら、先祖の功とは自分のことになる。まあ常識的に言って、「親の功績」「妻の自慢」「自分の財産の自慢」を言えば言うほど低俗に墜ちるだろう。せいぜい「飼い犬の自慢」くらいにしておくべきだ。


第144条 千石より上の侍ハ自身の働稀なるへし内の者に情をかけ能者あまた持ハ用に可立第一主人江の御奉公成へし

千石以上の侍は、自分の働きは稀であるから、家来に情をかけよいものをたくさん雇うのは役に立つ。それが第一主人への奉公というものである。

要するに、殿様からすれば、家臣に対して、「もっと家来を雇って、私のために奉仕しなさい」ということだ。秘書給与を負担するのは、あくまでも家臣であって、殿様ではない。


第145条 小身成人ハ可成程諸芸を習ひ何の道にても御用に可立と覚悟尤の事自身のはたらき可為眼前

小身である者は、なるべく芸を習って、どんな道でも役に立つと覚悟するのがもっともなことである。自分の働きがすぐできる。

「小男の宴会一発芸」みたいな話だ。実はちょっと妙な感じは、この高虎、大男でありながら細心。さらに多事にわたって器用であったことだ。


第146条 我内にてハ如何様の衣類も不苦出仕抔の時ハ能物を可着世話にけはれを知らぬ侍ハ必出仕に恥をかくと言

自分の家の中ではどんな衣類を着てもいい。出仕する時はいいものを着るべし。世の中の「ケ」と「ハレ」を知らない侍は出仕する時、必ず恥をかく、という。

まず、ユニクロで表を歩くなということだろうが、原文の中に「けはれを知らぬ」という書き方で、「ケ」と「ハレ」という概念が登場する。二十数年前、柳田國男による、日本人の「ケ」と「ハレ」の思想を知り、たいそう感動したのだが、高虎の時代からの概念だったわけだ。藤堂高虎、侮れず。

とりあえず、入院用パジャマとか用意が必要か・・・


第147条 人の脱て置きたる衣類むさと不可見ぷしつけたるへし

他人が脱いで置いた衣類を無造作に見るべきではない。ぶしつけなことだ。

女性を口説くには三段論法というのがあって、「食事に誘う、お酒に誘う、ホテルに誘う」というのが一般法則だが、さらに「バスルームで脱いだ衣類は一枚ずつきちんとたたむ」という技が必要だったわけだ。


第148条 物やぷりすべからす必思ひ当る事度々に及ふ可慎

物を破ってはいけない。必ず、思い当たることが度々に及ぶ。慎むべきだ。

「物を破ってはいけない」、というのは書き物、手紙のことだろう。思い当たること度々ということは、当時は怪情報とかが渦巻いていて、電話やメイルもないのだから本人が書いたのかどうかも怪しい。何通かためておいて、「前回と同じ筆跡か」「論理に矛盾はないか」とか色々と後で分析しなければならなかったのだろう。

ところが、城造りの名人であった高虎だが、造った城の図面は一枚も残されていない。後世、色々困ったことがおきている。


第149条 侍の不断可嗜ハ武芸多しといへ共第一兵法たるへし不断大小脇に絶る事なしいらぬ様にても日に幾度も可入ハ刀脇指たるへし然る上ハ能稽古尤の事又曰兵法不知とても用に立もの有と言無理成へきか用人の兵法達したる時ハ一入たるへし昼夜心にかけ嗜へし

侍がふだん嗜むべきことは武芸が多いといっても、第一に兵法であるべきである。ふだん大小を脇に忘れず、不要なようでも一日に何度も入用なのは刀、脇差である。その上、よく稽古するのがもっともなことだ。また、兵法なんか知らなくても用に立つものがあるというが、それは無理であろう。兵法に熟達したときには一入(ひとしお)役に立つ。昼夜心にかけ嗜むべきだ。

これは、デイトレーダーや個人投資家向けの言葉だろう。株の論理は色々あって1冊4,000円位の本を買うと、それぞれ各種手法が紹介されている。もっとも、そんな多くの手法なんか知らなくても構わないという向きもあるのだが、毎日、板情報を見ないわけにはいかない。もっと成功してカリスマトレーダーとしてテレビに紹介された時には、テクニックを色々知っていると、ひとしお便利である。


第150条 群衆にてせり合時脇指苦労に成事あり左様の時ハ前へ廻し竪に可指又右の脇に刀のことくも可指かせに不成となり

多数が入り乱れて競り合う時に、脇差が邪魔になることがある。そういう時には前に回してたてに指すべきだ。また、右の脇に刀のように指してもよい。じゃまにならなくなる。

時々、このような戦闘法についての家訓が混じるのだが、高虎の領地は伊賀上野。忍者の本場であり、忍法の基本は、こういう格闘術の伝承であるのだが、高虎はこういった戦闘法については、伊賀入封の時に知ったのか、あるいは自らの若年時代の実戦技術として知ったのかどちらなのだろうか。


ついに200箇条のうち150箇条まで進む。

つづく



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