三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「日本の歴史学者…日本政府は1877年に竹島を朝鮮領と認識=韓国」

2013年03月03日 | 個人史・地域史・世界史
 以下は、「サーチナ(Searchina ) 」2月26日10時16分配信の記事です。
                                        佐藤正人

■日本の歴史学者…日本政府は1877年に竹島を朝鮮領と認識=韓国
   http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130226-00000012-scn-kr&pos=2

 日本の歴史学者・佐藤正人氏が、「日本政府は1877年、『竹島外一島之義本邦關係無之義』とする太政官指令を出し、鬱陵島と竹島(韓国名:独島)は日本の領土でないことを明示していた」と主張した。複数の韓国メディアが26日、これを報じた。
 佐藤氏は中国・海南島に強制徴用された朝鮮人虐殺事件を研究する「海南島近現代史研究会」会長。
 韓国メディアは、「日本、1877年に独島は日本の領土ではないと明示」「日本の歴史学者、日本政府の独島領有権主張を強く批判」などの見出しで伝えた。
 佐藤氏は、「日本の独島再占領に反対する」と題した論文の中で、「独島問題は領有権の問題ではなく、植民地問題」と分析した。また、「日本政府が独島を『竹島』と称しながら、領有権を主張しているが、これは独島を再占領しようと策動する行為」と批判した。
 佐藤氏は「1877年、日本政府の管理の指令に、独島が日本の領土でないことを明示していた」とし、日本政府は「1877年、『竹島(鬱陵島)外一島(独島)は本邦(日本)と関係ない』という太政官(太政官)指令を出し、鬱陵島と独島が日本の領土ではないと明示した」と述べた。
 日本では、鬱陵島は江戸時代まで竹島と呼ばれていた。そのため、韓国では太政官指令の一文にある「竹島」は鬱陵島であり、「外一島」が現在の竹島と解釈。現在の竹島を、当時は朝鮮領と認めていた証拠としている。
その後、1905年の日露戦争中、日本は竹島を日本の領土に併合し、竹島と命名したと指摘。佐藤氏は竹島について、「韓国で日本が最初に植民地化した地域だった。日本政府が竹島を『日本政府の固有の領土』と主張することは、かつて日本が韓国を植民地化した事実を肯定するものだ」と説明した。
 さらに、「日本が竹島を含む大韓帝国を植民地化していなければ、韓国は南北に分断されなかった。日本政府は韓国植民地化の歴史的責任を負おうとしていない」と重ねて批判した。
 佐藤氏は3月1日、ソウルで開催する出版記念会で、これらの内容を発表する。その際に、同氏は竹島が韓国の領土であることを示す地図も同時に公開するという。
                             (編集担当:李信恵・山口幸治)
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