三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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曹靖『回顧長仙聯村“三・一”血泪史』 抄訳 11

2009年12月01日 | 海南島
■二、日本軍はなぜ長仙聯村で虐殺を実行したのか
(一)殺人・放火は日本ファシストの本性
 日本軍が長仙聯村で実行した暴行は中国全土への侵略戦争の一部に過ぎなかった。日本軍は至るところで、虐殺、略奪、強姦など、悪事の限りを尽くした。規模、手段の残忍さは世界史においても稀なことであった。惨事は数えられないほど多かった。百人墓、千人坑、万人坑がおおくの地に残されている。

(二)日本侵略者は“抵抗者必殺”を実行
   曹俊昇・黎光富を中心とする抗日部隊は“以華制華”企図を打破
 日本軍は“一打一拉”の方針を実行し、抵抗者を殺した。“打”は、中国共産党と中国共産党が指導する軍隊に対する方針であり、“拉”は、国民党頑固派、漢奸走狗、投降派、動揺分子を日本軍のほうに引っ張ってくる方針であった。
 “以華制華”(華によって華を制圧する)という方針は長仙聯村でも実行された。
長仙聯村でも、“日、偽、頑”が結託して共産党の武装力量を消滅させようとし た。
 梁乾生を隊長とする国民党楽会警備隊は、雅昌村、坡村地帯に常駐し、極悪地主である欧育楷を団長とする民団と結託していた。この二つの勢力は中国共産党と抗日民衆を敵と見なし、蒋介石と呉道南(国民党瓊崖司令)の反共方針を支持していた。彼らは攻撃の矛先を、曹俊昇や黎光富を中心とする長仙抗日民主勢力に向けていた。
 東部地域には、欧継清を保長とする坡村、雅昌村、三古村の偽軍と漢奸王昌冠を会長とする中原の治安維持総会があり、西部地域には、欧○○、陳昭群を代表とする橋園の治安維持会があり、互いに情報を交換し、協力しあっていた。
欧育楷、梁乾生らが長仙地域の民主勢力を敵視したのは、封建統治階級と人民大衆の矛盾に起因したものである。
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