三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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集安で 2

2014年05月18日 | 個人史・地域史・世界史
 4月27日朝10時半に集安駅に降りたとき、集安の市街地図をもっていなかったので、自分の現位置を確認できず、まず集安地図を入手しなければなりませんでした。
 朝食後、駅から市街の中心部らしき方向に向かって歩き出したのですが、1キロあまり歩いても行きつかなかったので、とおりがかったバスに乗りました。途中、市街地を通ったのですが、書店が見つからず、そのまま終点までいきました。終点付近でも書店が見つからないので、タクシーにのり、「集安の地図を買いたいのだが……」というと、書店に案内してくれました。そこで、ようやく集安の2013年版の地図を入手できました。
 12時20分に、「高句丽文物展示中心(集安博物馆)」に入館しました。「高句丽文物展示中心(集安博物馆)」の建物の前には、「集安博物馆」と刻まれた大きな石碑がおかれていましたが、入場券には、「集安博物馆」という文字はなく、「高句丽文物展示中心」とだけ書かれていました。
 展示の形式、内容は、中国社会科学院辺疆史之研究中心などが2002年に本格的に開始した「高句麗は中国の古代少数民族の地方政権であり、高句麗史は中国史に属する」とする「東北辺疆歴史与党現状系列研究工程」(「東北工程」)という事業内容に基づいているものでした。
 館内は撮影が全面禁止とされており、文書パネルも撮影できませんでした。これは、「東北工程」に基ずく展示が行われていることが広く知られることを警戒してのことではないかと、わたしは判断しました。
 2004年7月に、通化市集安市や近くの桓仁満族自治県に現存する高句麗前期の都城と古墳など(広開土王碑、将軍塚を含む)が、朝鮮の平壌や南浦などに現存する高句麗後期の古墳群とともにユネスコの世界遺産に登録されています。
 「世界遺産叢書」の一冊として2008年7月にだされた吉林省集安市文物局(王云刚编写)『高句丽王城王陵及貴族墓葬』(上海兴界图书出版公司)には、「高句麗民族」は「中国古代東北民族」であったと書かれています。

                                                  佐藤正人 
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