三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

海南島月塘(ユエタン)村の追悼碑建立基金第二期募金に協力してください

2007年10月21日 | 月塘村追悼碑
 日本軍と日本企業がアジア太平洋の各地でおこなった侵略犯罪の一つひとつは、具体的にはほとんど明らかにされていません。
 海南島でも、日本軍は、多くの村落を襲撃し、住民虐殺、放火、略奪、性的暴行などの犯罪をくり返しました。
 しかし、海南島の村むらで、日本軍が殺害した村人の数や名前は、住民によって明らかにされ、墓標などに記録されている場合もありますが、多くはまだ闇のなかです。
 みどり児や幼児をふくむ人びとを殺傷した日本兵の名や所属部隊名は、隠されたままです。

 日本敗戦わずか3か月半前、「沖縄戦」のさなか、1945年5月2日(農暦3月21日)に、海南島万寧市万城鎮月塘(ユエタン)村を、佐世保鎮守府第8特別陸戦隊万寧守備隊の日本兵が襲い、住民を虐殺しました。
 日本軍に襲撃され村民が虐殺された海南島の村むらには、村民が自分たちで追悼の碑を建立しているところもありますが、月塘村にはまだ追悼の碑がありません。
月塘村の人びとは、いま、176人の犠牲者の名と年齢を刻んだ追悼碑を建立しようとしています。

 わたしたちは、日本軍の残忍な犯罪事実と日本政府の侵略責任を明らかにするためにも、月塘村の追悼碑の建立に参加させてもらいたいと思います。
 月塘村で1945年5月2日に虐殺された犠牲者を追悼する碑を建立することに参加させてもらう過程で、月塘村のみなさんとともに、日本政府に真相糾明にかんする公開質問をし、月塘村虐殺の事実を明らかにさせ、謝罪させ、賠償させ、責任者を処罰させる運動をすすめていきたいと思います。

 海南島近現代史研究会は、ことし8月5日の創立集会以後、みなさんに募金への協力をお願いし、9月末までに、在日朝鮮人と日本人から、総計51万円の寄金をいただきました。ありがとうございました。この51万円は、10月10日に、月塘村で直接、籌建月塘“三・廿一”惨案紀念碑領導小組にお渡ししました。
 追悼碑建立のためには少ない金額でしたが、月塘村の人びとは、海南島の民衆と朝鮮の民衆と日本の民衆が、未来に向かってともにすすむきっかけができたと言って、よろこんでくれました。

 追悼碑建立基金は、まだまだ十分ではありません。
 2007年10月から12月まで、2回目の募金をおこないます。ご協力をお願いします。

    募金第1期  2007年8月~9月    寄金   51万円
    募金第2期  2007年10月~12月   目標金額 70万円
    募金第3期  2008年1月~3月     目標金額 50万円

 月塘村追悼碑の除幕は、2008年農暦3月21日(陽暦4月26日)を予定しています。

 海南島近現代史研究会                  
   連絡先:大阪産業大学経済学部 斉藤日出治研究室
              大阪府大東市中垣内3-1 
   郵便振替:海南島近現代史研究会 00960-5-280485
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