三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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2007年10月10日 月塘村で

2007年10月16日 | 月塘村追悼碑
 2007年10月10日午前10時半から、月塘村集会場で、籌建月塘“三・廿一”惨案紀念碑領導小組が主催する会議がもたれました。
 出席したのは、村民や小組員15人と、海南島近現代史研究会の佐藤正人と通訳してくれる林彩虹さんの計15人でした。
 はじめに、組長である月塘村委員会書記朱進平さんが、次のような挨拶をしました。
    「追悼碑を建立することは、これまでずっとみんなの願いでし
    た。しかし、いくつかの原因で、これまで建立を実現すること
    ができませんでした。
     今年1月に佐藤さんたちがわたしたちの村に来たときに、み
    んながあらあためてこのことを話ししたとき、佐藤さんたち
    は、このことに強い関心をよせ、熱心に支持しようとしまし
    た。
     今回ついに、籌建月塘“三・廿一”惨案紀念碑領導小組が成
    立しました。
     わたしたちは、佐藤さんたちが月塘村に来て支持してくださ
    ることに感謝します」。

 わたしは、
    「月塘村追悼碑建立のための海南島近現代史研究会の協力
は、基金の額はとても小さいけれども、その意味は大きい
と思います。
     8月5日に海南島近現代史研究会が創立されてから、8月と
    9月の2か月間で、ある人は1000円、ある人は10万円の寄金
    をおこないましたが、金額よりも寄金をよせる民衆の数が
    重要だと思います。
     基金をよせたのは、日本に住む日本人と朝鮮人です。日
    本人と朝鮮人とでは、寄金をする意味が異なります。朝鮮
    は以前、日本に侵略されていました。だから、日本にいる
    朝鮮人は、同じような被害を理解する心情で、月塘村のみ
    なさんに協力したのだと思います。
     海南島の民衆、朝鮮民衆、日本民衆が共同で、日本の侵
    略犯罪を明らかにし、その犠牲者の追悼碑を建立すること
    の歴史的意味は大きいと思います。
     月塘村の追悼碑建立に協力させていただくことになり、
    ありがたく思っています‥‥」
という意味のことを話しました。それを林彩虹さんは、漢語にではなく海南語に通訳してくれました。村人のなかには漢語をよく聞きとることができない人もいます。
 その後、わたしは、海南島近現代史研究会の寄金を朱進平さんに手渡しました。

 このとき、手渡すことができたのは、9月までに海南島近現代史研究会あてに月塘村追悼碑建立基金として寄せられた総額51万円でした。
 少ない金額でしたが、月塘村の人びとは、海南島の民衆と朝鮮の民衆と日本の民衆が、未来に向かってともにすすむきっかけができたと言って、よろこんでくれました。

 会議のあと、朱学基さんに案内されて、日本軍襲撃時の月塘村の中心部に行きました。そこには、当時の家が廃墟になって残っていました。
                                     佐藤正人
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