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三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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西截村で 1

2007年06月16日 | 西截村
 5月25日に、月塘村から直線距離で北15キロほど、バスで1時間ほどの和楽鎮発興村(旧西截村)に行きました。
 蔡徳佳・林国齋「日本占領万寧始末――制造“四大惨案”紀実」(万寧県政協文史弁公室編『万寧文史第5輯 鉄蹄下的血泪仇(日軍侵万暴行史料専輯)』1995年7月)には、
    “龍滾を拠点とする日本軍部隊の兵士100人あまりが、1939年10月19日(農歴9月7日)
   に、西截村を襲撃し、115人を殺害した”、
と書かれています。
 発行されたばかりの林承鈞・謝漢波『万寧抗戦歳月』(中共万寧市委党史研究室、2007年5月、内部発行)をもらいました。その第1章「西截村“九・七”大惨案」には、
    “農歴9月7日、日本軍は西截村を襲って大虐殺をおこなった。子どもをふくむ村民が、
   西截村で107人、東截村で21人が殺された。37人が刺されたがいのちはとりとめることが
   できた”、
と書かれています。                          佐藤正人
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