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5月18日夕方から甲府市で開催された矢ヶ崎克馬さんの講演会に出かけて来ました。内部被曝という問題がいかにないがしろにされてきたか、というより、意図的に隠されてきたことを私は理解しました。

講演後の質疑応答でフロアーからの質問に、自然放射線のことがありました。
3.11以来しばしば言及されています、「自然放射線量が**なのです、、だから今回の測定値は問題になるものではありません」 というような説明です・・・「日常生活と放射線」の図は既によく知られているものです。
自然界からの放射線の中で私達は生活しています。それを意識することはありません。『私たちは、日常生活の身近なところで自然や人工のさまざまな放射線を受けて暮らしています。原子力発電所周辺の人々が受ける放射線量は、これらと比べると極めて低いです。』 という説明は原発震災による汚染にも適用されて、**mSv/年は問題とすべき値では無いと説得されてしまいます。

日常生活と放射線

質問に対する矢ヶ崎さんのお話を聴きながら、私はバイクの暴走族を思い浮かべていました。
甲府市内に100台のバイクがあるとします。それらが日常的に市内を走り回っていても気になることはありません。たまに爆音が高いバイクにびっくりする程度でしょう。
しかし100台のバイクが集団で走り回っていたらどうでしょう。甲府市内の台数と同じだから問題無いとは言えません。100台の集団走行が地域の人々の生活にどういう影響をもたらすかは誰でも分かります。
いま我々は福島原発事故による放射線暴走族に悩まされているのです。自然界の放射線と同じ程度の量であったとしても、その一点集中こそが人にとって危険だということです。
数字だけを見て、その実態を考えないと罠にはまります。自然界から受ける放射線は甲府市内を日常的に走っている100台のバイクと同じであり、震災放射線は100台集団暴走として人々の命を脅かしている、そういう違いです。

自然放射線のことは、私にとっては3.11以来ずっと悩みの種でした。自分もそれを受けていても、それが心身に影響しているという意識は全くありません。だったら原発震災の放射能汚染もある程度までなら関係無いのか? どこかにレトリックの罠を感じても自力では解決できずにいました。それが本日、矢ヶ崎さんのお話で解消しました。10発のパンチで倒れない人も、1発急所に入れば倒れるのです。わかってみたら単純なことでした。ひどく肩が凝った、ちょっときつめの肩叩きして貰おう・・・これが医学的放射線の利用ということだと理解。 肩叩きが強過ぎて鎖骨にヒビをいれたかも知れないのが市立甲府病院のRI過剰投与事件。

参考-新版 生活環境放射線(国民線量の算定) 平成23年12月 6,620円(税込) (B5、166頁) by 公益財団法人 原子力安全研究協会
平成4年に我が国の国民1人当たりの被ばく線量についてとりまとめを行っている。
本書は、その後の生活状況の変化を踏まえ、改めて自然放射線、核実験フォールアウト、職業被ばく、医療被ばく、諸線源による公衆被ばく、原子力・RI関連施設からの公衆被ばくについて最新の情報に基づき国民線量としてとりまとめたものである。 その結果、国民線量は5.97mSv/年、そのうち、自然放射線による実効線量は、2.09mSv/年となった。
 なお、今回の評価には、東日本大震災による福島第一原子力発電所事故の影響については、含まれていない。

文部科学省 平成23年3月18日-健康相談ホットラインの開設
※ 放射線は自然界にも存在しており、例えば、1人あたりの自然界から受ける放射線量は年間約2,400マイクロシーベルトです。また、胃のX線集団検診を1回受けると約600マイクロシーベルト、胸部X線コンピュータ断層撮撮影検査(CTスキャン)を1回受けると6,900マイクロシーベルトの放射線を受けることになります(別添資料)。日常生活と放射線  (PDF:317KB)
今にして思えば実に天晴れな洗脳工作だった。山梨の教育・行政はすっかりハマって子どもの安全をほったらかし、周回遅れの惨状を生み出したのだろう。



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