ICT工夫
全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない




追録・2008年4月29日の日本経済新聞に「死刑囚の最期の音声を放送・テレビ朝日、朝の情報番組で」という記事が出ていました。〔共同〕(29日 19:41) とあり、これは共同通信の配信のようです。『番組はテープを放送した理由について「死刑執行に関する情報はこれまでほとんど伝えて来られなかった。日本の死刑制度の実態、問題点を検証したい」と説明した。』と書かれていました。


2007年12月1日に「小池和洋プロデュース映画・休暇」で初めて記事を書いてから、2008年元旦には映画 「休暇」、2月に山梨公開を書きました。入手したリーフレットからWebページも作っていました。予告されていた公式サイトも出来ていましたが山梨県内先行公開が4月25日で終わりと知ったので、やっと時間を作って出かけました。観光客動態調査についてブログをまとめおえて飛び出し、国母のグランパークにある東宝8というシネコンを初めて訪れたのです。時間の関係から中心街の映画館には行けませんでした。

私のWebページにはリーフレットから「生きることにした。- - - 人の命とひきかえに。」をそのまま戴いていましたが、この映画のテーマを私はそのように理解していたつもりでした。しかし支え役(死刑執行補佐)という仕事については何も知りませんでしたから映画のそのシーンは衝撃的でした。

「生きることにした・・」という意味を私はこの映画からは理解できませんでした。主人公の刑務官についてその生い立ちや生活環境などの委細を私は読み取れませんでした。死刑囚についてもその罪過や生きてきた環境も分かりませんでした。面会に来た妹が何も言葉を交わす事なく面会を終えて退出し、最期の時に妹に遺書を書くように勧められた死刑囚が何も書かずに白紙のまま刑務官に渡すシーンから兄妹の間にある重い境遇を感じたのみです。
死刑囚が絵を描き続けていることと刑務官が結婚する女性(再婚)の子供がやはりいつも絵を描いている。この対比が映画のテーマに占める意味は何だろうかと考えてみましたが、私には未だ答えは見つかりません。原作を読んでみたいという気持ちがあります。

つい先日、やり直し裁判の光市母子殺害事件で広島高裁が死刑判決を言い渡したことが頭に残っていたせいでしょうか、私はこの映画を死刑制度を考える映画として見ていました。
そして、このような制度的にであれ、誰にでも生じる病気や事故によってであれ、人はいつかは死に直面するし、その人に関わる人々の心に生ずるさまざまな思いや葛藤について、「生きることにした。- - - 人の命とひきかえに。」という言葉が意味を持っているように感じます。五月の端午の節句が間近ですが、その柏餅のカシワの葉は新しい葉がでてから古い葉が落ちることから作られた祝い菓子だということです。柏餅を食べながら裁判員として被告に死刑の判断をくだす時が私には来ないように・・・でも裁判員て選ばれたら拒否できないらしいけど。

アメリカ映画で電気椅子、ガス室での処刑シーンは見ています。縛り首というのも西部劇などにはしばしば登場しました。銃殺刑は2.26事件を扱った日本映画でもありました。しかし日本国で絞首刑がこの映画のような形式で行われるのが現実なら、ハードやソフトの設計が間違えていると感じましたね。支え役という仕事が存在すること自体が設計ミスでしょう。それは死刑制度云々以前の問題でしょうね。そのような環境の中で死刑執行命令についてとんでもない意見を述べた法務大臣がいる日本という国を考えさせられます。
私の東京時代、小菅のあたりは道も知っていて時々走っていましたが、その地域の方々のサイトで「東京拘置所のそばで死刑について考える会(そばの会)」が見つかりました。さらに、「廃止・存置より心の揺れ伝え 森達也(映画監督・作家)」というWebページには、私が映画「休暇」を見て感じたような事が書かれていました。この記事は「中日新聞2008/03/08記事より ・聞き手 大日方公男」というものです。

映画「休暇」はリーフレットから引用したテーマ以上のものを私の心に刻みつけてくれました。

このブログで2月14日に、映画「休暇」、市川三郷町の情報に書いておいた地元のシーンは私にはやはり分かりませんでした。電車のシーンも身延線とは思いましたが、車窓の風景の場所は分かりませんでした。下部の温泉街かなと感じたシーンがありましたが、それは私が湯之奥金山博物館へ出かけた時にみた街並みと似ていたからです。
グランパークの東宝8は設備にも驚きました。昔、私が通いつめていた映画館とはまるで様子が違っていました。何年ぶりかでこういう劇場で映画を見たのですが、映画少年時代に逆戻りしそうです(^o^)

なお、この映画についてはプロデューサーの小池和洋さんからのコメントも、2008年2月27日の毎日新聞山梨版インタビュー記事に載っています。

蛇足・全編山梨で撮影したことと映画のテーマとの関係は無いようですし、山梨以外では撮れない必然性も無かったと感じます。旅館での会話シーンで仲居さんが新婚旅行中の主人公家族に「ショウセンキョウに行かれましたか、今の季節も良いですよ」と語りかけ、昇仙峡の場所を知る観客にはここが山梨だと分かるのですが、その他には山梨を特定できる言葉は出てこなかったと思います。

蛇足の2・いくつかのWebページ記事を読んでいたのですが、光市母子殺人事件でも見られた「主文後回し」が示す“重さ”というブログを読んで、こんな判決言い渡しの方法を初めて知りました(^_^;) 被告の動揺を防ぐという意味があるなら、このやり方が何度が使われてその意味が一般に知られた段階で既に意味がない事です。それでもこのやり方にこだわる裁判官がいることに私はなんでも定型化することでそこに安住して自己弁護する人間の頑固さというか弱さを感じました。
私が癌だとしたらドクターからその事を私に直接伝えて欲しいと思います。私はそれを母に隠し通して見送ったのですが、母がうすうす気付いているような気配も感じてつらかった日々を思い出します。死に向き合う自分のありかたは何かにつけて頭から離れません。4月24日は享年58で逝った母の命日でした。その日にこの映画を見た、これも何かの因縁です。

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