湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

2/4 **子の就労と結婚パートナー探し(ずいぶん時間がすぎました)

2011-02-07 10:30:09 | 引きこもり
2011/02/04 記
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東京南部の私塾にいた頃の塾生の**子君から突然電話が入る。以前紹介した外傷性の知的障がいを持つ子で、自営の自宅の仕事を継いでいたが、地域の商店街の高齢化もあって同世代の出会いが少なく、結婚適齢期を過ぎてしまうという親御さんの危機感が手伝って、他の地域の商店に、いわば結婚修行に出されていた。IQの問題よりも、長時間の緊張や歩行時の疲労失神が就労を難しくしていた。通勤時ボランティアさんが連れ添っていくのだが、有期限のアルバイトというか、トライアル雇用段階を超えられないまま、授産施設と一般雇用の職場を往復していた。

その**子君が電話をしてくるときは、母親には話せないことが起きたときだ。今回も、ある商店のレジに立ちたいという希望が叶い、トライアル雇用に入ろうというときに、母親からダメ出しが出たらしい。理由はふたつ、遠方であること。時間は短くとも一般のパート職なので、計算そのものよりも、客との臨機応変な対応が求められる「ひとりレジ」であることらしい。確かに今までのレジ関連の仕事は「ふたりレジ」で、直接金銭を受け渡す場面はなく、ただ袋詰めや、レジ入力のみの仕事だったし、それも体力的に続かず、短期で仕事をやめていた。

今回の仕事にこだわるのは、好きな職種のお店のレジであること、学生時代からの片思いの地元店長さんの独立チェーン店であることだった。私の知っている人だというが、年齢が**子より一回り上の方だと言う。電話の背後から「飛田さんの応援頼んでもだめよっ!」という母親の怒鳴り声が聞こえていた。すべてお見通しなのだった。

親御さんは、商店街の縁故で就労体験をすればいいと思っていたが、その道も広くなく、やめた後が尾をひくことがわかって、地元の生活就労支援センター経由で仕事を探すことにしたのだった。親御さんが授産施設や小規模作業所に消極的なのは、健常者との結婚の出会いにこだわりがあったからだった。

親御さんに「ばればれ」の状態で私にできることは少ない。**子君の話を聴く事や、参考になる知識を提供することぐらいだった。電話はすぐに切れ、私が巡回にバス停に向かう最中、我が家の固定電話から転送で親御さんからの電話が私の携帯に飛び込んできた。**子君が小学生の頃からのお付き合いなので、親御さんとも話し込んだことがあって、先方も娘さんのことは、ある程度深く話し合える関係になっていた。しかし、今回は何か**子が言ったらしく、親御さんの感情が高ぶっていたので、バスに乗るタイミングを失してしまうために、なかなか電話を切れないで困っていた。なんとか事情を説明し、バスに乗ったとき、運転手さんに携帯を切るようにアナウンスされて、その声が携帯の向こうに伝わることで電話を切ることが出来た。乗客は目を合わせないようにしているが、気まずい感じのまま、置くの空席に座った。

ところが今度は**子から電話が入って、マナーモードではあったが、どきりとした。そのまま電話を受けずに切ったが、これがもとで、**子は家を飛び出してしまった。

私に会いに茅ヶ崎に行くと言って飛び出したと、バスを降りた私のところに親御さんから電話が入り、対策に困った。私はこれから橋本に行く。まずいなと思いつつ、必死に類似の出来事を思い出していた。この「茅ヶ崎に行く」は数回実行されており、1回目は所持金不足で品川であきらめて、親御さんが迎えに行った。2回目は小田急線は安いと知って乗ろうとしたが、二子玉川で立ち往生した。東横線から小田急線への乗換えがわからず、加えて駅員の説明の小田原行きと片瀬江ノ島行きの区別がつかずに、これも未遂に終わっていた。今回も二子玉川で立ち往生の可能性が高かったが、品川まわりを知っているので、茅ヶ崎に到着する可能性もあった。

危ないことをする子ではないので、むしろ連続緊張による失神が怖かった。相模線内で、そっと旗の台君(仮名)に連絡した。彼も遠方には行けない。しかし**子を知る塾の旧友を知っているので、**子の向かう先などを調べてもらいたいと頼んだ。共通の好きな芸能人のコンサートに連れ添って出かけている子を旗の台君は知っていたからだった。私もその子を塾生なので知っていたが、私の担当ではなかったので、十何年も経って電話するわけにもいかなかった。

橋本からJR相模原に出て、バス待ちのときに、親御さんから、娘が横浜にいると連絡があったので迎えに行くということで、今回の家出騒動は一段落したのだが、どうやら一時休戦ということらしかった。

仕事を終えて、JR相模原で軽食をすませ、湘南あすなろ会の資源ゴミ有志回収企画のより細部を描いた企画書を印刷するために、北茅ヶ崎で降りて、茅ヶ崎サポセンに立ち寄った。今回の細部は仕事の裏、参加者の人間関係が必ず争いと支配の問題を起こすということをどうけん制するか、また税金の煩雑な問題をどうかわしていくかを取り上げていた。このPJでは、会費以外は直接扱わないことにした。月2回の定期回収のPJである。資源ゴミの換金は、各自に任せて、回収参加者には月5百円の会費を取ることにした。専用携帯の維持費も出ない金額なので、これは定例会の議論に任せることにした。彼ら自身の身元保証のため、登録制を取り、毎回配布回収する回収員証明書を発行することにした。ゴミのやり取りや、換金時のトラブルは介入できない。資源ゴミ提供者に迷惑が及ばないようにするという一線をどう形に織り込むかと腐心した。信頼から社会参加の次の仕事を生み出す企画である。壊れることは速い。

印刷を終えて、ジャスコで買い物をしていると、**子からメールが入った。「飛田、旗の台に来たんだってぇ?」という内容。**子の家は旗の台より大岡山に近かった。「ぼけてんじゃない?」は余計なことだが、返答に困った。旗の台君から回した話が、私が旗の台に行ったことに化けていた。嬉しかったようだが、それゆえに困ってしまった。厄介な事情説明は**子に通じない。

夕食の支度うわの空で、文面を考えていた。「誤解だよ、心配してくれたのは++子と旗の台だ」とばっさりやることにした。「誤解」が通じるかなと思いつつ。

さっそく**子から電話がかかってきた。延々30分。私の食事は冷め切っていた。親御さんからご心配かけましたと言えと、後で言ってるという。大笑い。ともあれ、今回の相談騒動は**子の担当のセンター%%氏に仲介をお願いすることで、収めてもらうことにした。%%氏とは、3度目のお付き合いとなる。

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私の右眼の状態は、諦めの域に入っている。すりガラスの隙間から世界を見ているようだ。湧き出す泉の影のようなちらつきが視野中央から拡がっている。問題は左眼の保護だ。両眼とも突然ひどく霞むときがあって、大学病院の受診周期では対応できない時がある。そのために、地元眼科にかかっているが、理念的には役割分担が違うとなるが、同一症状で複数の医師にかかることは健康保険上出来ないので、眼精疲労の名目でお願いしている。実際、洗浄とコート、栄養補給以外の処置はしてもらっていないが、網膜色素変性症についても、やはりプライドがかかるようで、役割分担は微妙なのを感じる。しかし先端医療領域に踏み込まなければ治療を探れないのも事実で、方策なしの現状でも、左眼の状態維持も検査を踏まえたいとすると地元医では設備などでも無理がある。

薬が切れかかっているので、買い物のあと、受診時間終了間際の地元眼科に立ち寄り、洗眼してもらった。出るのは人口涙液点眼薬(生理食塩水)かドライアイ点眼薬だ。市販のものを買うよりは安く上る。

夜間傾聴は、専用携帯と、わざとメールで行う。即興性を反映するtwitterやchatでは、混乱があったり論点が深まらなかったりするので、早い対応を要求されるときは限定的にskypeを使う。問題などはPCでFAXを受けている。画像添付が難しい者もいるからだ。ところが私の眼がいよいよ駄目になったとき、読み上げソフトは使えるが、FAXや画像添付がつかえなくなる。白杖になる前に訓練を始める話は聞かないが、最低限確実なブラインドタッチや、日常生活転換を覚えて行きたい。新年度から視覚障がいの方たちと接点を深めて経験を掴んでいく。

これがHL資源ゴミ企画、高齢者支援生活支援地域起業PJを立ち上げていく上の最大の暗礁になる。土曜日に視野の精密検査、月曜日に受診となる。薄氷を踏む思いがある。

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母の友人から電話が入ってきたという。無事を知らせる連絡だったが、嫁さんが籍を旧籍に戻すと通告があって、呆然としてしまったので、子どもたちの家に自分を預けるつもりとのこと。闇金対策は崩さないというので、我が家としても一段落かなと思っている。

「買物難民」読書ML、1回目は大きな状況把握の整理。開始。相手は閑古鳥。


夜間傾聴:旗の台君(仮名・傾聴にあらず)
     **子君(仮名・ともあれ一段落)
     □□君(仮名)


(校正1回目済み)

コメント
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