2011/02/17 記
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用事を済ませて夜間傾聴待機に入る前に、iPhoneからWeb Mailを使って、メールの返信を書いていた。ところが操作を誤って、私信をメーリングリストに載せてしまった。個人の誹謗を含む内容だったので、取り返しのつかない事態になってしまった。送信を取り消すことも出来ず、その影響の論議と謝罪をすぐにおこなわなければならない事態となった。基本線は今でも誤ったことは言っていないと思っているが、出来事の事実誤認を含んでいた。ここはお詫びしなくてはならないところだ。しかし、ひとがいがみあうような操作はしてはならない。言った言わないは泥仕合になる。だから判断がつくところに限定した話になることは必至だった。すでに操作的な言葉によって、いろいろな取り返しのつかない問題が昨年は複数発生していた。そのことは、はっきりする必要があったが、突然、私の送信ミスによって、その場がやってくることになってしまった。
しかし、それとは別に、私信送信先の方にも迷惑をかけてしまった。重ねてお詫びします。
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炭谷氏の講演会の打ち合わせを夜に開いた。茅ヶ崎サポセンが定休日なので、女性センターのロビーを使用することに。
話の中心は、一般配布用のチラシ文面確認と、配布の手分け。日程が迫っているので、修正部分はメール添付で修正版ファイルを送ることに。問題は炭谷氏の講演がタイムリーなものであることに、どれほどの関係者が気付いてくださるかということ。社会的企業一般は、語られてからすでに十数年経っている。就労継続支援A型(労働協約締結と賃金支払い)への施設業務転換を進めて、困難な経営の壁にぶつかっている施設関係者や、コミュニティスペース設立を目指すが、資金繰りに躊躇している方、長期化する緊縮財政下の福祉行政の様々な課題への解決へのヒント模索をされている行政関係者など、従来の個人原資と助成金だけでは見通しが立たない中の提案であるだけに、ソーシャルファームの事例は、大きなヒントになると思っている。
参加要請巡回を進めていくと、たしかに当たりが違うのがわかるが、では当日参加してくださるのかどうか、その応答が闇の中に消えてしまうのだった。予測がつかない怖さを私はさんざん味わってきた。それだけに、的確なところに情報を届けていく必要があった。一般市民参加を呼びかけるのとは調子が違う関係者&組織重点の会合だけに、時間的ゆとりを持って情報提供しなくてはならなかった。
ソーシャルファームは、ソーシャルカンパニーの一部だが、事情を抱え就労困難な方の状況打開がとり組みの目的にあるので、単純に、より高収入の仕事で市場競争を頑張るというものではない。背後にはソーシャルインクルージョン(社会的包摂)という、社会への絆の取り直しの意味合いが込められている。そこを社会的ニーズに応じて仕事を作るという原動力を得ることで、仕事の価値観を上げ、健常者との協働を普通のこととして目指していく。
だからA型の障がい者のための就労の場作りよりも幅が広い。助成金の条件とは、はずれていく。そういう難しさがあるが、法改正や弾力運用によって転換可能なものとなっていくだろう。
自前の仕事作りというと、当事者家族はそこに世間の荒波と資本の限界を感じてしまう。ところが生涯を貫いて、社会参加的地域就労は彼の知人を増やすこと、知り合いの中に生きることにつながっている。企業就労と様相が違うのは、この辺にある。退職後、人間関係が切れてしまう欠陥を補っているのだ。親亡き後の障がい者の活動と生活保障へとつながっていく道でもあるのだ。
こういう可能性を秘め、地域起業「ソーシャルファーム」は提言されているが、日本では未成熟のために「ソーシャルカンパニー」と区別無く使われている段階にある。このための混乱があるが、やはり一部分は一部分なのである。
勧誘をどうするか、結局知人口コミが頼りとなるのだが、巡回するときの明快な内容説明のひとことが難しい。
ともあれ一般配布用チラシを完成し、添付ファイルで打ち合わせ参加者に送った。
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平塚・茅ヶ崎の特別支援校をまわり、進路担当の先生方に炭谷氏講演会のお知らせを伝えてきた。平塚は、駅からバスでかなり乗った先にあって、次の学校にまわるためには、放射状の扇の要に戻る必要があった。駅から離れているところばかりなので、予想以上に時間がかかり、藤沢側は回りきれなかった。
茅ヶ崎養護学校が最後になった。こちらは16時台に職員会議があり、面会は無理と思っていた。事務員の方に資料を取り次いでもらうことで済ませるつもりでいた。ところが先生方は会議を終えていた。急遽お願いして面会させてもらった。未完成バージョンではあったが、巡回に日にちが足らなかった。お願いした**先生ではなく、手が空かないということで++先生と話すことになった。++先生とも別個に話す必要があったので問題は無かったのだが、学校を出る玄関前で仕事を終えた**先生と出会うことになり、申し訳ないがご挨拶のみで帰らせてもらった。この後、茅ヶ崎の手をつなぐ育成会に移動する予定をたてていた関係でバスの時間が迫っていたからだった。
そのバスに乗り遅れ、手をつなぐ育成会の事務所まで歩くことになった。時間はどんどん過ぎて行き、到着したとき目的の方は、帰宅していた。敗北感のようなものを抱えて茅ヶ崎の駅前に戻った。
今回は3校。郵便配布の空転を思うと巡回CMは、やりきりたかった。仕事の巡回を日送りしての説明巡回なので、空転はしたくなかった。
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目のかすみはまだ完全に復調していなかった。夕闇の空は墨を流した模様のようなちらつきが渦巻いていた。耳の調子が戻ったことをありがたいと思った。
一日中、孤食を強いられたと母がむくれている。両手を合わせ、後ずさりして自室に飛び込んだ。
夜間傾聴:中央林間君(仮名)
(校正2回目済み)
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用事を済ませて夜間傾聴待機に入る前に、iPhoneからWeb Mailを使って、メールの返信を書いていた。ところが操作を誤って、私信をメーリングリストに載せてしまった。個人の誹謗を含む内容だったので、取り返しのつかない事態になってしまった。送信を取り消すことも出来ず、その影響の論議と謝罪をすぐにおこなわなければならない事態となった。基本線は今でも誤ったことは言っていないと思っているが、出来事の事実誤認を含んでいた。ここはお詫びしなくてはならないところだ。しかし、ひとがいがみあうような操作はしてはならない。言った言わないは泥仕合になる。だから判断がつくところに限定した話になることは必至だった。すでに操作的な言葉によって、いろいろな取り返しのつかない問題が昨年は複数発生していた。そのことは、はっきりする必要があったが、突然、私の送信ミスによって、その場がやってくることになってしまった。
しかし、それとは別に、私信送信先の方にも迷惑をかけてしまった。重ねてお詫びします。
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炭谷氏の講演会の打ち合わせを夜に開いた。茅ヶ崎サポセンが定休日なので、女性センターのロビーを使用することに。
話の中心は、一般配布用のチラシ文面確認と、配布の手分け。日程が迫っているので、修正部分はメール添付で修正版ファイルを送ることに。問題は炭谷氏の講演がタイムリーなものであることに、どれほどの関係者が気付いてくださるかということ。社会的企業一般は、語られてからすでに十数年経っている。就労継続支援A型(労働協約締結と賃金支払い)への施設業務転換を進めて、困難な経営の壁にぶつかっている施設関係者や、コミュニティスペース設立を目指すが、資金繰りに躊躇している方、長期化する緊縮財政下の福祉行政の様々な課題への解決へのヒント模索をされている行政関係者など、従来の個人原資と助成金だけでは見通しが立たない中の提案であるだけに、ソーシャルファームの事例は、大きなヒントになると思っている。
参加要請巡回を進めていくと、たしかに当たりが違うのがわかるが、では当日参加してくださるのかどうか、その応答が闇の中に消えてしまうのだった。予測がつかない怖さを私はさんざん味わってきた。それだけに、的確なところに情報を届けていく必要があった。一般市民参加を呼びかけるのとは調子が違う関係者&組織重点の会合だけに、時間的ゆとりを持って情報提供しなくてはならなかった。
ソーシャルファームは、ソーシャルカンパニーの一部だが、事情を抱え就労困難な方の状況打開がとり組みの目的にあるので、単純に、より高収入の仕事で市場競争を頑張るというものではない。背後にはソーシャルインクルージョン(社会的包摂)という、社会への絆の取り直しの意味合いが込められている。そこを社会的ニーズに応じて仕事を作るという原動力を得ることで、仕事の価値観を上げ、健常者との協働を普通のこととして目指していく。
だからA型の障がい者のための就労の場作りよりも幅が広い。助成金の条件とは、はずれていく。そういう難しさがあるが、法改正や弾力運用によって転換可能なものとなっていくだろう。
自前の仕事作りというと、当事者家族はそこに世間の荒波と資本の限界を感じてしまう。ところが生涯を貫いて、社会参加的地域就労は彼の知人を増やすこと、知り合いの中に生きることにつながっている。企業就労と様相が違うのは、この辺にある。退職後、人間関係が切れてしまう欠陥を補っているのだ。親亡き後の障がい者の活動と生活保障へとつながっていく道でもあるのだ。
こういう可能性を秘め、地域起業「ソーシャルファーム」は提言されているが、日本では未成熟のために「ソーシャルカンパニー」と区別無く使われている段階にある。このための混乱があるが、やはり一部分は一部分なのである。
勧誘をどうするか、結局知人口コミが頼りとなるのだが、巡回するときの明快な内容説明のひとことが難しい。
ともあれ一般配布用チラシを完成し、添付ファイルで打ち合わせ参加者に送った。
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平塚・茅ヶ崎の特別支援校をまわり、進路担当の先生方に炭谷氏講演会のお知らせを伝えてきた。平塚は、駅からバスでかなり乗った先にあって、次の学校にまわるためには、放射状の扇の要に戻る必要があった。駅から離れているところばかりなので、予想以上に時間がかかり、藤沢側は回りきれなかった。
茅ヶ崎養護学校が最後になった。こちらは16時台に職員会議があり、面会は無理と思っていた。事務員の方に資料を取り次いでもらうことで済ませるつもりでいた。ところが先生方は会議を終えていた。急遽お願いして面会させてもらった。未完成バージョンではあったが、巡回に日にちが足らなかった。お願いした**先生ではなく、手が空かないということで++先生と話すことになった。++先生とも別個に話す必要があったので問題は無かったのだが、学校を出る玄関前で仕事を終えた**先生と出会うことになり、申し訳ないがご挨拶のみで帰らせてもらった。この後、茅ヶ崎の手をつなぐ育成会に移動する予定をたてていた関係でバスの時間が迫っていたからだった。
そのバスに乗り遅れ、手をつなぐ育成会の事務所まで歩くことになった。時間はどんどん過ぎて行き、到着したとき目的の方は、帰宅していた。敗北感のようなものを抱えて茅ヶ崎の駅前に戻った。
今回は3校。郵便配布の空転を思うと巡回CMは、やりきりたかった。仕事の巡回を日送りしての説明巡回なので、空転はしたくなかった。
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目のかすみはまだ完全に復調していなかった。夕闇の空は墨を流した模様のようなちらつきが渦巻いていた。耳の調子が戻ったことをありがたいと思った。
一日中、孤食を強いられたと母がむくれている。両手を合わせ、後ずさりして自室に飛び込んだ。
夜間傾聴:中央林間君(仮名)
(校正2回目済み)