湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

2/17 個人誹謗を含む私信をMLに流してしまい/炭谷氏講演会打ち合わせをしました

2011-02-20 16:54:07 | 引きこもり
2011/02/17 記
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用事を済ませて夜間傾聴待機に入る前に、iPhoneからWeb Mailを使って、メールの返信を書いていた。ところが操作を誤って、私信をメーリングリストに載せてしまった。個人の誹謗を含む内容だったので、取り返しのつかない事態になってしまった。送信を取り消すことも出来ず、その影響の論議と謝罪をすぐにおこなわなければならない事態となった。基本線は今でも誤ったことは言っていないと思っているが、出来事の事実誤認を含んでいた。ここはお詫びしなくてはならないところだ。しかし、ひとがいがみあうような操作はしてはならない。言った言わないは泥仕合になる。だから判断がつくところに限定した話になることは必至だった。すでに操作的な言葉によって、いろいろな取り返しのつかない問題が昨年は複数発生していた。そのことは、はっきりする必要があったが、突然、私の送信ミスによって、その場がやってくることになってしまった。

しかし、それとは別に、私信送信先の方にも迷惑をかけてしまった。重ねてお詫びします。

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炭谷氏の講演会の打ち合わせを夜に開いた。茅ヶ崎サポセンが定休日なので、女性センターのロビーを使用することに。

話の中心は、一般配布用のチラシ文面確認と、配布の手分け。日程が迫っているので、修正部分はメール添付で修正版ファイルを送ることに。問題は炭谷氏の講演がタイムリーなものであることに、どれほどの関係者が気付いてくださるかということ。社会的企業一般は、語られてからすでに十数年経っている。就労継続支援A型(労働協約締結と賃金支払い)への施設業務転換を進めて、困難な経営の壁にぶつかっている施設関係者や、コミュニティスペース設立を目指すが、資金繰りに躊躇している方、長期化する緊縮財政下の福祉行政の様々な課題への解決へのヒント模索をされている行政関係者など、従来の個人原資と助成金だけでは見通しが立たない中の提案であるだけに、ソーシャルファームの事例は、大きなヒントになると思っている。

参加要請巡回を進めていくと、たしかに当たりが違うのがわかるが、では当日参加してくださるのかどうか、その応答が闇の中に消えてしまうのだった。予測がつかない怖さを私はさんざん味わってきた。それだけに、的確なところに情報を届けていく必要があった。一般市民参加を呼びかけるのとは調子が違う関係者&組織重点の会合だけに、時間的ゆとりを持って情報提供しなくてはならなかった。

ソーシャルファームは、ソーシャルカンパニーの一部だが、事情を抱え就労困難な方の状況打開がとり組みの目的にあるので、単純に、より高収入の仕事で市場競争を頑張るというものではない。背後にはソーシャルインクルージョン(社会的包摂)という、社会への絆の取り直しの意味合いが込められている。そこを社会的ニーズに応じて仕事を作るという原動力を得ることで、仕事の価値観を上げ、健常者との協働を普通のこととして目指していく。

だからA型の障がい者のための就労の場作りよりも幅が広い。助成金の条件とは、はずれていく。そういう難しさがあるが、法改正や弾力運用によって転換可能なものとなっていくだろう。

自前の仕事作りというと、当事者家族はそこに世間の荒波と資本の限界を感じてしまう。ところが生涯を貫いて、社会参加的地域就労は彼の知人を増やすこと、知り合いの中に生きることにつながっている。企業就労と様相が違うのは、この辺にある。退職後、人間関係が切れてしまう欠陥を補っているのだ。親亡き後の障がい者の活動と生活保障へとつながっていく道でもあるのだ。

こういう可能性を秘め、地域起業「ソーシャルファーム」は提言されているが、日本では未成熟のために「ソーシャルカンパニー」と区別無く使われている段階にある。このための混乱があるが、やはり一部分は一部分なのである。

勧誘をどうするか、結局知人口コミが頼りとなるのだが、巡回するときの明快な内容説明のひとことが難しい。

ともあれ一般配布用チラシを完成し、添付ファイルで打ち合わせ参加者に送った。

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平塚・茅ヶ崎の特別支援校をまわり、進路担当の先生方に炭谷氏講演会のお知らせを伝えてきた。平塚は、駅からバスでかなり乗った先にあって、次の学校にまわるためには、放射状の扇の要に戻る必要があった。駅から離れているところばかりなので、予想以上に時間がかかり、藤沢側は回りきれなかった。

茅ヶ崎養護学校が最後になった。こちらは16時台に職員会議があり、面会は無理と思っていた。事務員の方に資料を取り次いでもらうことで済ませるつもりでいた。ところが先生方は会議を終えていた。急遽お願いして面会させてもらった。未完成バージョンではあったが、巡回に日にちが足らなかった。お願いした**先生ではなく、手が空かないということで++先生と話すことになった。++先生とも別個に話す必要があったので問題は無かったのだが、学校を出る玄関前で仕事を終えた**先生と出会うことになり、申し訳ないがご挨拶のみで帰らせてもらった。この後、茅ヶ崎の手をつなぐ育成会に移動する予定をたてていた関係でバスの時間が迫っていたからだった。

そのバスに乗り遅れ、手をつなぐ育成会の事務所まで歩くことになった。時間はどんどん過ぎて行き、到着したとき目的の方は、帰宅していた。敗北感のようなものを抱えて茅ヶ崎の駅前に戻った。

今回は3校。郵便配布の空転を思うと巡回CMは、やりきりたかった。仕事の巡回を日送りしての説明巡回なので、空転はしたくなかった。

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目のかすみはまだ完全に復調していなかった。夕闇の空は墨を流した模様のようなちらつきが渦巻いていた。耳の調子が戻ったことをありがたいと思った。

一日中、孤食を強いられたと母がむくれている。両手を合わせ、後ずさりして自室に飛び込んだ。


夜間傾聴:中央林間君(仮名)


(校正2回目済み)

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2/16 夜間傾聴と隣人トラブル/炭谷氏講演会招待巡回/視覚障害者手帳申請

2011-02-20 06:07:43 | 引きこもり
2011/02/16 記
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乳幼児は親の体調が悪いと、自分も体調を崩したかのように泣いたり、ぐずって不機嫌になる。無意識に親の調子に波長を合わせているのがわかる。親にしてみれば、泣きっ面に蜂のように思えるときである。ところがこれが大人でもおきる。私の目と耳が不調だった昨夜、母はずっと不機嫌でいたが、早朝、ダンピングを起こして、激しく咳き込んだ。嘔吐物はほとんどない。親子ふたりの生活は、依存性がたかまるのかなとも思う。

我が家は昔、林の中にあった。それが今は分譲住宅がひしめいている。トイレの隣3m先は隣の家のシャッター雨戸付きサッシだ。だから深夜早朝の母の嘔吐、咳き込みは、皆先方に聞こえている。家を建てるとき、業者にトイレとの距離をとるように要請していた。「そこは駐車場になる」と聞いていたが、口約束は反故になり、金網を挟んで3mほどの距離しかない。住宅購入者にここがトイレであることを告げ、排泄音まで聞こえるのは困ると申し入れをしてあった。若い方なので、気にする風も無く、ただシャッター雨戸を設置しただけだった。笑い話ではないが、入居当初、私の屁をブザーと間違えて、奥さんが返事をして玄関を開けていた。いつしか、悪いのは不動産屋という話になってしまっていた。

これが深夜、早朝の母の嘔吐、咳き込みである。申し入れがしてあったので、さすがに苦情を言ってはこないが、時にはシャッターが再度閉められる。私が夜間傾聴を終えるのが朝5時か6時だ。その後、寝る前にトイレに行く。すると母が目覚めて、後を追うようにトイレに行く。隣人にしてみれば、騒々しい家なのだ。不動産屋の無神経さなのだが、もう5年も経てば時期を逸しているというものなのだ。

最近は、不安定で生死の淵を彷徨う新規の青年の傾聴が減ったので、専用携帯と交換電池を持って、空き地に深夜でかけることは無くなってきたが、それでも反則で我が家の電話に直接電話してくる者がいる。夜間はモジュラージャックをはずしておくことにしたので、電話が鳴ることはなくなった。FAX専用の方は無音にセットした。それでもFAXの紙が送られる音がうるさいらしく、玄関側の別の隣人が抗議の足踏みを返してくる。やむを得ずFAXを買い換えてどうやら治まっている。ただ門をあけて私が深夜外出するとき、この方は私と同じく昼夜逆転生活をされているが、明かりのついた、窓が音をたてて閉じられる。朝4時台である。

市内の方の傾聴は、個人的な紹介による方がたまにいらっしゃるが、今の人たちは、相模原市・大和市・座間市・大田区・品川区・目黒区の方たちだ。以前は町田市の方がいらしたが、今はこの6つの地域に限られている。だから救急の事態が起きても、駆けつけることはなくなり、もっぱらオンライン上のやりとりとなっている。それでも声を潜めていられない状態のときがある。そのとき、空き地に移動するのだが、隣人にしてみれば、何をしているのか公表していないので、まさに変態(昔風には変人)なのである。母とて異常な時間帯に出て行くので、不安を隠さない。止めて欲しいと懇願されて20余年が経つ。

母の嘔吐の時の背中を撫でるとき、傾聴の申込メールが届かないことを祈る。私は複数の仕事をそのとき行っている。採点やレポートを書いたり、メールの返信や、ブログの記事を書いていたり、季節労働(テスト屋)をしたり、時間が寸断されない貴重な時間を読書に充てている。傾聴待機時間を無駄にしないで使っているのだ。だから母が起きてきても平気なのだが、この生活も3月いっぱいで、傾聴人数が半減し、転機を迎える。外勤屋の定年である。JR相模原の塾の方はそのままだが、緊急性が減ってきているので、いのちの電話に転身をと考えたこともあった。少し長めにみれば、片目状態で両親の介護や、実際見送りまで起こる。ビッグイシュー以降の資源ゴミ契約回収PJ立ち上げがあれば、人間関係のトラブルだらけになる。学習カウンセリングと言っているが実質は、誰も守ってくれない薄暮の危険な時間のための傾聴カウンセリングである。これを拡張するのは、私の活かし方なのだろうかと考えてしまった。結果は就労支援の方に力点を移すべきだろうという結論になった。体力が続く限り、夜間傾聴は続ける。しかし、就労支援の分野の側も、フリーランサーの門外漢が動ける範囲は狭い。親方日の丸の大紋(組織)に属さないからこそできる支援があるのか、今もそれを問い続けている。

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やはりアレルギーだったのだろうか、視力が落ち、ちらつきが以前より増えたように思うが、目のかすみはとりあえず治まった。耳も右耳の圧迫感は残っているが、左側は若干のしびれを残して耳道は通ったようだ。風邪の引きはじめではないかと母に指摘されて、なるほどとも思っている。体調の件で目や耳の異常を上司に連絡し、私の巡回の量を減らしている旨を伝えてある。しかし職場のだれひとりとして、「網膜色素変性症」の症状どころか名前も知らない。大概は白内障と間違えている。瞳ににごりがないことを不思議に思っている。にごりがないので、見えるんじゃないのと疑る者もいる。オブラート越し、ポリ袋越しに外界を見ているような感じなのだと説明すると、一応納得してくれる。

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体調が回復してきたので、眼科医の診断書を携えて茅ヶ崎市障害福祉課に行った。顔見知りの職員さんも今回のことに面食らっていた。

視覚障がいは6等級に分かれている。私は5級の申請となっている。めがねを新調したいのだと説明した。遮光眼鏡は装具扱いとなって、上限3万2千円の割引が入る。しかしそれには、手帳取得が必要で、書類通過後、3月末の説明会に出席して始めて手帳が交付される。めがねはその後まで、待たされることになった。眼科検査の診断書の有効期限が3ヶ月。手帳交付はぎりぎりである。役所仕事はどうしてこうも遅いのかと思う。

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炭谷氏の講演会の話に移る。旧年の講演会の話になったとき、明学大の八木原律子先生の名前に驚いた風だったので、先方に問うと、学生時代の恩師だという。いい人と出会ったねえと私がいうと、いろいろ企画の方も関心を示してくれた。今回は、企業就労の話ではなく、地域の仕事作りの枠組みの話だと説明。もうひとつの就労の道と説明すると主旨を納得してくれた。障害福祉課を通じて市の後援話を**さんがまとめている。だから私は援護射撃ということになる。

今回は以下のところをまわった。市社協からは後援をいただいた。

茅ヶ崎市>障害福祉課・生活支援課・雇用労働課(2回目資料提供)・市社協・とれいん・元町の家
寒川町・藤沢市>議会事務局(議員ポスト)・下宿屋さん


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母に野菜粥を作る。洋ナシの季節ではないので、缶詰を利用。アボガドも使った。もくろみ成功。完食。

書籍入手>「NPO&企業 協働の10年 これまで・これから」

夜間傾聴:東林間君(仮名)


(校正2回目済み)

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2/15 慈恵医大の眼科検査を受けて

2011-02-20 03:11:04 | 引きこもり
2011/02/15 記
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右目の曇りガラスの視野の隙間から外界が見えている。わずかだがこれが両眼視のとき案外役に立つのだが、今回は左右両眼ともかすみがかかっており、この隙間もかすんで役にしない。ただ昨日から左眼のかすみがだいぶ晴れた。思い切って午前中、炭谷氏講演会のお知らせを持って、茅ヶ崎駅周辺の参加要請巡回に出かけた。透明ガラス越しに砂埃りを浴びた後、そのガラス越しに太陽を見ると、ただまぶしいだけではなく、視野の太陽側の砂埃りが輝いて外界が見えなくなってしまうように感じる。ガラスをはずしてみれば、砂埃りなどないので、汚れたガラスが影響を及ぼしていることがわかる。一般に「ハレーション」という現象だ。これが裸眼でも見える。ガラスのような役割をしているのが網膜で、目に飛び込む直射日光がハレーションを起こす。手を目の周りにかざし直射日光を遮ると、ハレーションが消える。手のような働きをするレンズの仕掛けがある眼鏡が遮光眼鏡だ。

今回の慈恵医大眼科は、めがねを作るに当たって、そのハレーションを度数化して遮光ガラスの色調と濃さを決める。だから検査前は、目に負担がかかることを避けて巡回しておきたかった。

「ソーシャルファーム」の合時代性や、講演の対象を説明しながら、以下のところをまわった、

茅ヶ崎市>かながわ生協某店舗(再)・雇用労働課・雇用労働課勤労市民会館ハローワーク関係者・市議・市社協・生活クラブ生協湘南事務局

市社協には、企画後援を依頼申請をした。今回は市内のみ。

ぐるりまわって、立ち食いソバで昼食を誤魔化し、横浜で途中下車。県サポに県の図書更新を行って、武蔵小杉経由で目黒へ。目黒から三田線で御成門に出た。

検査を受ける前に、市障害福祉課からもらった視角障がい者手帳申請書の用紙を眼科窓口に出した。診断書を書いてもらうのだ。検査時には、目にかすみがかかっていることを伝えた。

検査は細かかった。病院契約の眼鏡店と相談して検眼が終わった。視角障がい5級と診断された。診断書だけ来週に取りに行くのは嫌だと主張したところ、手が空いている他の医師がその場で診断書を仕上げてくれた。

夕空は時雨れていた。落ち込む気持ちを払拭するために早足で、地下鉄に飛び込んだ。明日、診断書を持って、市の障害福祉課に行く。炭谷氏の資料も持ち込むので、なんとなく違和感。

今回は診断は受けられなかったので、点眼薬を請求できなかったが、目のかすみはアレルギーではないかと検査中問うと、少し目が赤いですと眼科検査員(OMA)さんの話を聞いたので、病院帰りというのに薬局で市販のアレルギー点眼薬を買って点した。

耳詰まりの方は相変わらずで、以前の突発性難聴のときとは感じの違う耳鳴りが続いていた。薬局にあった血圧計でも正常値なので、翌日耳鼻咽喉科に行こうということにした。電車の騒音の中、音量が低く話し方が不明瞭なアナウンスは、音があることがわかるという程度で、声としては全く聞こえなかった。

さすがに家に直行したが、点眼薬が効いたようで、目のかすみはだいぶ晴れてきた。遅れていたデータチェックと、個人メールの返信をして、久しぶりにPCを消した。


夜間傾聴:休み(橋本2君は明日に)


(校正1回目済み)

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