湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

8/30&31 目の異常と父の老健を訪ねつつ

2010-09-07 11:50:48 | 引きこもり
2010/08/31 記
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夏期講習の授業中、突然右目が真っ白になった。汗が入ったのだが、顔に付いていた刺激物が入ったらしい。20分後、授業が終わって、急いで洗顔したが、視界はぼんやりとした像を結ぶが、右目の視力が戻らない。初めてのことだった。

マイティアという涙液で洗浄し、正しい判断ではないだろうが、プロスタグランジン剤レスキュラ目薬をさした。ソファーに横になって目を閉じた。

次の授業は演習。机間巡回なので、TTで組んでいる相棒の*君に5分の猶予をもらった。救急外来以外診療は終わっている時間なので、覚悟して目を閉じていた。

幸い視界は徐々に回復し、授業が終わる頃には、ほとんど視力は回復した。しかし驚いた。経過を見ると油脂と何かの刺激物が飛び込んだが、なんとか涙で流すことが出来たという経過だと思う。驚いた。突然目が痛み、すりガラスの様な視界になってしまったのだから。

月曜日、講習に向かう前に地元の眼科に飛び込んだ。私の主治医は御茶ノ水なので、地元の行きつけの眼科医を持っていない。地元医に網膜色素変成症であることを告げると、検査機器が足らないのでと敬遠されて、昨日の事件のような話には、背景が引っかかって、本訴になかなか入れない。

結局受診時、症状がでている訳ではないので、簡単な目視検査後、洗浄して終わり。様子を見るようにとのことで、生理食塩水だろう涙液をもらってクリニックを出た。

そんなことがあって一日、目を休めた。夏期講習が終わり9月に入るこの時期、また不登校・引きこもりの恒例の波頭がやってくる。まずいなと片眼を閉じて食事した。なにやら、ちっともうまくない。

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10/30(土)の14時から企画したIPS-TOKYOのリカバリーキャラバン隊の方々との懇談会のチラシ原案を作った。

今回は対象が難しい。精神障がいの領域の活動なので、いつもの松の実会さんに打診するだけではなく、枠を広げて知的障がいの関係や発達障がいの関係者にも話を広げたいと思っている。ただし関係者手渡し50枚のみ。

IPSリカバリーそのものが、ひとの情熱をしっかりととらえた方法であり、支援者のバックアップの方法は、適応範囲が広いのだが、知的・発達の領域や、引きこもりの領域でも条件付きで使える。ところがこちらでは未経験ゆえに関係者に説得がいる。

チラシの中にIPSの様相を伝える表を挿入したが、どうしたものかと考えている。一般向けに配布するのではなく、関係者向けだから、納得しないと、話は手渡しした会の責任者のところで止まってしまうからだ。

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月曜日は、父の入所した老健に立ち寄る日だった。父の衣類はレンタルしてもらっている。その支払い2万円を事務室に持ち込む日だった。清潔では有るが、上下がばらなのだ。小奇麗にしている方は近くにお住まいの方で、一日おきに洗濯物を交換している人と職員の方に伺った。施設の方に、お任せいただいていいのですよと、きめ細かい配慮のお言葉をいただいた。実際、自宅で洗濯は負担が大きすぎる。

そんな話をしていると、父は私が見えたようで、手を振った。なんでもないことのようだが、これは驚異だった。認知症が軽くなっているのだ。周囲に関心を持つことが出来る証しだった。手を振り返し、職員の方に食堂の椅子から車椅子にトランスファを依頼。このときも、父は指示に従って、大きなテーブルのへりにつかまって立ち上がって車椅子を待った。指示に従った。今までの父なら、自分から近くの車椅子に制止をきかずに移ろうとしていただろう。その変化は大きなものだ。職員の方にそのことを述べ、感謝した。

車椅子を押して玄関ロビーまで移動し、父の好きな寿司を食べさせた。父の施設内の生活や、コミュニケーションの様子を問いかけてみたが、間を置いて「大丈夫だ」の応答が繰返されたり、昼に何を食べたかも思い出せないのは以前と同じだった。しかし、不可解な笑みがあった。不可解なというのは、共感的なものではない営業風の笑みだった。以前はこの笑みは、自宅来客時、父が振りまくものであり、家族には威圧的であったことを思えば、冷たいものを感じてしまう。私が右目の調子を壊し、対面で話している最中にも、私の片眼を閉じている状態を父は対面していながら発見できなかった。しかし、父は苦痛を抱えている様子はなく、来週の「秋祭り」を楽しみにしていたので、とりあえず安心して帰ることができた。

しかし「母への伝言はないか」との問いかけには、何を問いかけられているのかわからない風で、丁度事務室から出てきたフロア責任者の方が大きな声で、より簡単な表現で、私の問いかけを遠くから繰返してくださったが、父は「大丈夫だ」を繰り返すのだった。どう状態を母に伝えるか、悩ましい宿題をバスの中で考えていた。

父の定位置まで車椅子で送り、父に手を振られて送られたことは、母に伝えるべきことを考えていた。微妙なニュアンスは必要ないのかなと思いつつ。

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私の帰宅時、母は近所のかかりつけの内科医のところに出かけていた。リハを行う間は携帯を身から離しているので、私の帰宅は伝えられなかった。母の夕食の下ごしらえをし、メモ書きを残した。ただ、そのメモははじめ父と同じ「大丈夫だ」と書いていたので、苦笑いしてしまった。私は小田急相模原の遅い時間帯の巡回があって、時間が間に合わず駅前までタクシーで移動した。帰りが終バスに間に合わねば往復タクシー、時間が短いので給料は最賃+αになってしまう。しかし母は孤食感を訴えているので、遅い夜食というわけにも行かなかった。母は集中力がなくなっているので、調理は熱湯をこぼしたり、包丁を足元に落としたりするので、電子レンジをかければいい状態にしておくことが、暗黙の行動メールとなっているのだった。ボトックス療法の後遺症は、そろそろ3ヶ月を経るので回復してくるはず。そうなれば下準備ももう少し軽くなるだろうと思っている。

小田急相模原という駅は、本当に飲み屋以外の喫茶を探すのが難しい駅だ。いつもは海老名まで出てもらったり、ご自宅にお邪魔させてもらっている。彼は自転車でやってくるので、バスの時間を気にする必要はないが、訪問は時間的に無理だった。雑談とも学習ともつかない時間を過ごしたあと、けばけばしいネオンと赤提灯の通りを彼と駅前まで歩いた。

厚木で乗り換えて茅ヶ崎に着くと、01系統の終バス辻堂駅行きに間に合った。夏期講習と巡回を重ねるのは限界かなと思う。

母は和菓子を私は夜食を掻き込み、父の巡回報告はなんとも疲れに色あせたものになってしまったが、一番大事なことは父が手を振ったこと。話がなんとか伝わっただろうか少々不安なのだった。

明日は夕方から講習に入る。

夜間傾聴:小田急相模原君(仮名・延長戦)


(校正2回目済み)


コメント
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