湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

9/17 父の老健を訪ねて 生活が見えなくなっていく/兄がお世話になりました…から

2010-09-21 12:12:47 | 引きこもり
2010/09/17 記
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平塚市立図書館に書籍交換に行って、父の老健にまわる。今回は時間の余裕がない。今回も父の様子が不可解な元気さを感じさせるが、それが逆に不安に感じる。父は昼間、フロア中央の食事をするテーブルの椅子に座ってTVを観ている。その位置はTVの近くで、父は新聞を独占している。父のいるフロアは認知症フロアで、その新聞を他の方が読むような雰囲気ではない。父はその新聞を押しのけたり、たたみ直したりしているが、内容に関心を持って読んでいるようには見えない。

私が着くと満面の笑みとなり、職員の方が歩行訓練をしているのだと、そばで語りつつ車椅子を持ってくる。父は指示に従い、笑みを絶やさずテーブルにつかまってしっかり立ち上がる。これは家のベッド生活では危うかったところだ。しかし姿勢がちょっと崩れると危うくなり、職員の方が飛び込んで車椅子に移したが、父は落下するように尻餅状態で座った。しかし次の瞬間、笑みが復活する。一生懸命笑みを作っている感じなのだ。

エレベータのロックを解除してもらい、車椅子を一階ロビーに移動し、父の近況を聞きだしながら海鮮太巻き寿司を食べさせる。巻き寿司にしたのは、父は片手が麻痺しているのでにぎり寿司だとこぼしやすいからだ。父は勢いよく食べながら、質問に答えた。昼食のメニューを聞くが、「全部食べた」と父は応答する。父は「出されたものは残さず食べなければいけない」と、きつく仕付けられた。もう一度質問しても、父の口から昼食の内容は、ついに出てこなかった。

気付いたのは、応答の快活さと裏腹に、身体が脱力して椅子にはまり込む感じが強まっていることだ。父の背後に窓が有り、その先に中庭が広がっているので、窓を指差しながら、「この前はあそこの席でビールを飲んだねえ」と私が少し父を試した。車椅子は後を向くことが難しい。首を向けようとして戸惑うか、立ち上がろうとするか実はそれを試していた。父は関心を示す風もなく、「中庭は散歩するところだ」という。前回、一緒に食事をしビールを飲んだことを私が語ると、父は「ビールは美味しい」と答える。納涼祭の出来事自身を忘れている。「また中庭でビールを飲もうねえ」と語りかけると、大きくうなづいた。我が家の近況はついに話せなかった。

部屋にもどり、父を車椅子からテーブルと組んだ椅子に、職員さんの手を借りて移動させて、私が、「又来るから」というと、父は「無理して来なくていい」という。私が席を離れると、父は力なく前方のしきり柵をぼんやりみている様子。すでに私に関心はない。フロア責任者に父の近況を立ち話で聞いたが、夜中の徘徊が止まったこと、職員とする個人別のゲームは楽しんでいること。健康上の心配はないことを語ってくれた。前々回の私をみると手を振った父の快挙を説明すると、「何かをして欲しいという請求は、してくれますよ」という。しかし私は、父の沈み込んだ身体が気になっていた。営業スマイルは、在宅時は客にしか見せなかったものだ。家族には体調のいいときは怒りを、悪いときは無関心を示し続けていた。だから、私への営業スマイルの奥に虚無があるか、鮮明に家族が思い出せないのか、いずれにせよ、そこに抑圧的なものを感じるのだ。

時間に追われて時間予約していたタクシーに乗って、愛甲石田に出た。ここから相模大野はすぐだ。

相談を一件済ませて、代行授業。と言っても3人抱えた個人授業のようなもの。この子たちは、もうすぐクラス分けされていく。中途の新入生たちだ。得手不得手を教科から調べていく検査中心の授業。家庭生活や学校生活の様子を聴くことはしない。

レポートを書いて、次の授業予定を伝えて終わるが、そのうちのひとりが「兄がお世話になりました」と言う。平凡な名前だったので気にならなかったのか、その女子中学生の顔から、兄とはだれかが言われてすぐにわかった。こういう挨拶をしてくれる子は少なくなった。この子の兄貴は高校を一年留年しただけで済み、専門学校に通っているという。こういう情報は嬉しい。「宜しく伝えてください」と応答するが、次の巡回に移動中、この兄貴の学習環境が一向に思い浮かばないのに焦りを感じた。

理由がわかった。彼は学校の教科担任と対立して休学したが、成績には不安がなかった。高校卒業認定試験を受けて大学進学を目指して高望みして失敗。浪人せず専門学校の道を選んでいた。「家には来ないでくれ」と本人が希望を出していた。それは兄弟が問題を起こしているからと言っていた。今から考えると、その兄弟が妹さんだったのだ。気付かずにいた出来事の突然つながったリアルさに、身が引き締まる思いがした。

次の巡回は東林間だった。ここは昔、ある塾の時間講師をしていたところだ。今その塾は教室閉鎖している。大和の方に移動したと噂を聞くが、名前を変えたらしく電話帳検索にかからない。

ここは強烈な体験をしたところだ。仕付ける方針の塾内の穏健派は、生徒から敵として矢面に立たされる。塾長との対立の最中、子どもが自傷事件を起こした。その子が退塾し、その事件の責任を取って辞表を出した苦い思い出があるところだった。

私は自分の塾を閉じて他の塾や予備校を転々とした。祖父母の介護に自営収入の限界を感じていたときに、自分の塾でも問題が起きていたからだった。生徒間の性の問題だった。私には見えていなかった。

その後、ある進学塾兼予備校と、収入補助に、この塾に通い時間講師をしていた。車で通勤していたので遠方とはいえ出来る組み合わせだった。祖父が末期の肺ガンで家に戻されていたので、夜間の介護は夜間傾聴をしている私の役目だった。出勤は9時だったので、週五日は睡眠時間が帰宅後の仮眠を入れなければ4時間を切っていた。残りの一日に時間講師を東林間で行っていた。

だからここを通ると、その息苦しい記憶が蘇る。今回の青年も東林間には対面指導に適した喫茶がないので、家庭訪問している。右目が霞むので延長せず、時間内で切り上げて東林間に戻り、中央林間で急行に乗り換えて藤沢に出た。遅い時間の買い物は難しい。ダイエーも閉まっており、食事を済ませて隣のコンビニで買い物。母にケーキを買い込み辻堂へ。01系統の終バスを延々と辻堂駅前ターミナルで待たされて帰宅した。

今回は自宅の仮眠時間がとれぬまま、夜間傾聴に入った。待機しながらメールの応答を書いていると、すぐに時間が過ぎてしまう。考えてみると、父の介護の手が離れたが、若松町のゆめたい店の一角にもしも事務所を借りられたとしても、「わーく」の今後の活動拡張(授業企画作り・当事者懇談会企画・紙メディア発刊・画像放送テスト放送開始)と「湘南あすなろ会」活動拡張(BI販売2人体制作り・パトロール参加恒常化)等の生活困難者の就労支援活動以外に、地域交流のゆめたいの諸活動にまで手を広げる私のキャパがあったか疑問だということに改めて気がついた。活動内容が、たい焼き屋さんの接点があるが、現行の場から就労支援活動の起点にしていくことは無理と思われた。

うとうとしているとワンぎり電話。1時だった。睡眠中は電話をはずしているし、夜間は起きているので、いたずらの意味はない。ご近所さんが夜中うるさいという意味を込めて、電話直後、窓が大きな音をたてて閉まることもある。今回もそれだった。

今夜はメールにマイクロファイナンスの話を書いていた。ムハマド・ユヌスの話ではなく、ジャック・アタリ氏来日のときの講演資料集の話だった。日本の展開は途上国支援に留まるだろうかという話を加えて書いた。だれもがマイクロファイナンスというと消費者金融かと聞く。生活困窮者の就労支援の話だと言っても通じない。社会構造の差もあるが、社会活動としての就労支援は育っていない。だから話が通じないという面も大きい。

夜間傾聴は、今回からぶり。連休の影響かなとも。


夜間傾聴:なし


〔校正2回目済み)

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