湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネの地域学習活動・就労支援活動の実践試行を書き溜めていきます。

9/21&22 ひとり墓参と湘南あすなろ会定例会(火曜移動)

2010-09-24 11:42:57 | 引きこもり
2010/09/21 記
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連休、お彼岸初日。母方の墓参を頼まれる。父方と違って親戚は遠方。不便な場所に墓苑があることもあって、夏場しか会う機会はない。馬鹿だなと思いつつポメラと「発達障害の人の就活ノート」を抱えて出発した。目の調子が悪いので左目だけで読み書きすることになる。だから長時間は無理で、1時間ごとに目を休ませる。

うたた寝しつつ車内で読書。この書はマニュアル風に節ではっきり分かれているので、この手の状態でも何とか筋の程度は頭に入る。私の前の席の男性もiPad nano を聞きながら、眠気を伝染させたか舟を漕いでいた。予想外に車内はすいていて、降りてからのバスの方がひどい渋滞に難儀させられた。

母に携帯で連絡、なにやらリモコン操作されている気分。今夜は外食にしたいと言われて困った。硬いものはダメ。量の多いものはダメ。遠いところはダメ。まずいところはダメ。落着かないところはダメの、ダメ尽くしだからだ。

祖父の死を待つ在宅生活の枕元で父の宗教は偶像崇拝だからと、祖父母のひとりで写ってる写真と仏壇を焼いた。強制的に承諾を迫って承諾を得たと父と某信者のふたりが実行した。その父を介護しなければならない矛盾を抱えていた。ここの墓地はその混乱時、母方の菩提寺から無宗教の墓地へと移された場所で、住職からあなたたちは罰が当たるといわれていた。罰なら生まれたときから当たりどうしだからどうということはないが、意識的に遠方に押しやられたのには参っている。どのみち母を送ったら、私は無縁さんである。だから余計生の足跡にこだわる。圓朝だって牡丹灯篭で幽霊の足音をさせた。お足なしという古典は抑えても、足跡ぐらいいいだろう。

墓参りを済ませて、渋滞を大きく迂回して茅ヶ崎に戻ったら、南口駅前でホームレスの流れメンバーの宴会を目撃。++さんもいた。困ったなと思いつつ、今は話したくなかった。

@nifty の引き落とし日だと気付いたが、支払い用口座に入金しようとして祝日であることに気がついた。気が回らなくなっているときは、新しいことをしない。むしろ保守に徹する。

キャラバン隊懇談会中止の件をどうしようか悩んでいた。他の企画に差し替える気にならないのだ。サポセンを使えば会場確保は可能だが、年末まで公共施設が私が空いてる日程のすべてつまっているという状況がある。一方サポセンはオープン型スペースだから話し声が入り混じって落着かない。次の企画は12月まで無理という事情が有る。すべて解約すべきと思いつつ、未練が残っている。それを断ち切るためにも、現状を語って中止のお詫びはしてこようと言い聞かせ、敷居が高いがとりあえず入所事業所1ヶ所、お時間をいただいた。休日のため前の担当の方ではないので、話が伝わっていないので、経過から説明。伝達に誤解を生まないように謝罪してきた。

辻堂に出て、母を辻庵に呼び出して食事。みやじ豚の価値がわからないと私。浄めのワインを飲もうと母が言い出して驚いた。ひと口、付き合ったが、ハイカロリー食がいい母と、糖尿病治療食の私が、食欲では逆転。物足らなさを抱えて帰ってきた。

相模原から留守電あり。明日の巡回変更。


夜間傾聴:□□君(仮名)



2010/09/22 記
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@nifty の引き落とし日に、引き落とし用口座に入金しているしようもなさ。相模線で居眠りに徹しつつ、橋本経由でJR相模原へ。橋本3君(仮名)の件を済ませて、横浜に出る。

横浜と辻堂の巡回先に10/30中止の謝罪。遅い昼食をなか卵で済ませる。母の手術の件で、偶然午後までいらしたOTさんと母のクリニックで会う。家庭の持ち帰りメニューの件は全く想定していなかったようだが、その選択はありとのこと。父の老健に茅ヶ崎市の高齢福祉課から介護保険の判定員さんが行く件で、母のクリニックで母の相談中に確認電話が入った。24日合流である。気が滅入ってきた。

目の調子も悪いので、家で小休止。

18時半から湘南あすなろ会の定例会。SFCのビッグイシュー販売は順調。あすなろ会の基本カード作成提案を巡る誤解は、時間をかけないともつれるばかりだということで、秋の行政との懇談会は日送りしたほうがいいだろうということになった。平塚パトロールの日程確認。Oさんから9条の会の上映会チラシをいただく。米海兵隊隊員訓練のドキュメント。ベトナム戦争帰還兵がPTSDを抱えて就労できず、起業した話を思い出して話すが、残念、言葉をかぶされてしまった。構えなくてもいいのに。ありがたく当日の券をいただいた。

疲れが出ている。家に戻って仮眠。夜間傾聴は、緊急性の有るものを除いて、遠慮してもらった。


夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)

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9/20 「便利屋」と「野菜市」、自由と生存の家の新聞記事から

2010-09-24 06:45:38 | 引きこもり
2010/09/20 記
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朝起きたとき、古いフィルムを上映したときの細い傷がちらつくような視野にたじろいでしまった。今の私の存在している世界が、急に過去の生命を失った世界に貼り付けられたような死の世界、自己喪失の恐怖すら感じていた。やがて左目は生命不在の平板視から抜け出し、ゆっくり現実にもどっていくが、右目は普段見えている視野の部分、周辺部までちらついたままなのだ。ドライアイ目薬を注してしばらく眼を閉じていると両眼ともだいぶ復活するが、右目失明のタイマーが動き出しているようで、その現象が起きたとき、失明の覚悟を飲み込んでいる。

昨夜はキーボードの前で眠っていた。9/18の朝日生活欄に「仕事 ないなら作れ」という「フリーター全般労働組合」のメンバーが立ち上げた「自由と生存の家」(四谷)の就労支援活動が紹介されていた。記事に「野菜市」「便利屋」の起業の話が出ており、記事は就労困難者の自前の地域起業の可能性を探っていた。この記事は残念ながら有料DBからしか読めないが、自由と生存の家紹介の記事としては、就労企画ではなく団体による住宅紹介の話として読売新聞が取り上げていた。「若年貧困者に住まいを 労組が集合住宅借り上げ」がそれだ。

つい最近も、過激派出身という私の経歴が問題になったのか、湘南あすなろ会の活動が誤解される困った事態が起きた。拒絶された方は、現場二十年近い実践を現場で積み上げてきた方だった、レッテル貼りにときどき出会うので、その時はがっかりさせられることがある。

私は、特に労組がらみの活動には紹介を慎重にしてきた経過が有る。私は活動の内容から離れた空中戦ほど不毛なものはないと思う。不登校・引きこもり・軽度発達障碍と教育というホームグラウンドからの発想起点を私は持っているが、今の私の一番の地域の役割は、つなぎ屋だと思っている。ホームレス支援へと活動を拡げたのは、初め、実際の販売員++さんを支援するつもりだったこともあるが、それも「地域の生活・就労困難な方のセイフティネットと地域起業」というところからホームレス支援の領域に踏み込んでいる。

机上の空論をしっかり生み出し、それを地に結ぶのが私の仕事だと考えている。既存の活動の中にもすばらしい活動があり、それが隣り合わせでお互いを知らずに熱心な活動している。そこを横断的につなぐことで新たな活動を生み出していく、寄る辺の無い境界線の活動だと思っている。だから「○○労組」は「●●系」という固定した見方から、常にはみだしたいと願っている。様々な分野の情報の中でも、火中の栗のような分野だから、大事な内容の記事の中でも、まずは皆が納得でき、見通しの開けた課題を優先して提案している。厄介な課題を先に出してつまらない食わず嫌いに出会うのはもう沢山だからだ。

この新聞記事を読みながら、私はそこに紹介されている「便利屋」の紹介に違和感を感じていた。思いつく様々な仕事に取り組んでいる貪欲な姿勢はわかる。しかし取り組みに時代が無い。仕事創出という目的は、社会的企業とも言えなくはないが、活動が小さく当事者に利益が閉じている。

社会的企業は社会の公共的ニーズに応える市民活動ビジネスだ。戦略性と言おうか、時代を孕んだ公共性を担う、そこにこそ「協働」のプラットホームが生まれる。公共性がひとをつなぐ、サービスを求める側、提供する側双方からなる市場が拡がるのだ。実際当事者の仕事探し、仕事作りは内容の選択肢どころか、対象を見つけること自体厳しいという実感は有る。

しかし逆に言うと、ある事態を抱える者が社会に食い込む活動は、その事態を共にする者の拡がりの活動でしかない。サービスを受ける側は全く動かない。支流の無い川のようで、他の活動の参入が企画されていない。社会をどう動かすか、その力学が無いのだ。

私たちが作りたい便利屋は、様々な課題・領域から横断的に参加するひとの協働の芽として展開したい。そういう展望をそれぞれの領域の活動に込めたい。

記事に紹介された「野菜市」も面白い活動だ。市民活動の中には、エコの有機野菜の活動をしている団体がいくつかある。農園があり、流通や店舗販売活動をしている方もいる。その現場に就労支援活動から無償で人材を紹介していく。これを地域おこしと結び付けたなら、行政の支援、地元商店会の参加も可能だろう。これは緩やかなエコの時代ニーズに乗ることでもある。自前で市を立てるのは現実的な活動だろう。しかし皆が参加できる公共圏の活動に命をこめる活動があるのだ。活動が換骨奪胎されないような活動が戦略性を持った活動だ。この「野菜市」を主導するところに、生活・就労困難な人たちの社会的企業活動が根を貼れたらと思うのだ。大きな企画を作り生協や商店をも動かすような活動が出来たら、そこに就業の受け皿が拡がるだろう。(大阪のエルチャレンジのような公園プロジェクトと取り結べば、ホームレスの仕事つくりも活性化するだろう。)この大風呂敷企画は、単独で社会に突っ込む方法よりは大きな受け皿を生むだろうし、そこからまた新たな活動が生まれてくるだろう。その協働の芽を形作り、着手していく中間支援活動が必要。そう思うのだ。

優れた活動は完成図を描かない。活動がそこに至る筋書きに落とし込められるからだ。多様な活動が出会い、発火して流れを生み出していく、その参加の可能性と志向性を描いていく。スポーツの試合が勝敗の筋書きを描かないのと似ている。「野菜市」などはそのいい例だろう。小さな原資・人材から始めて様々な活動が取り結び拡大しうる。その過程は稲作のように将来の収穫を待つのではなく、その過程自身「市」として価値還元されていく。勿論市場にはキャパがある。しかし「市」は変容をやめないだろう。飛び火も生まれてくるだろう。しかし初めは、リンゴの一個の投擲かもしれない。そういう種のような活動がいる。

協働と共益の活動を動的に描く。そのことを念頭において障壁を超えていく。

就労支援は社会へのあてはめ活動ではない。IPSリカバリーの活動が萌芽的に捉えている、ひとが自分の希望にそって自分の道を進む情熱の治水でありながら、自由である活動が検討されるべきなのは、就労が営みであってゴールではないことを知っているからだ。

実はこの「便利屋」「野菜市」の記事は市長交渉のときに、地域起業の事例として、地域採用の就労支援活動の眼差しから、それを見直してみないかと提案しようと思っている。あの「労組」記事を出したから左翼だというような底の浅い発想に行政が流れないような魅力をどうこめるか、参加の自由さと変容可能性が漂う企画、そんなことを夜中に考えていた。

市民活動、当事者活動だからこそ始められることは何なのか、その鍵はキャッチボールなのだろうなと思っている。企業の収益活動に横取りされない価値の毒気をどう埋め込むか、そういう悪事も考えていた。私のやりたいことは、社会的困難者の自立支援であって収益可能性ではないからだ。

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母の点滴口作りの手術をする前に、リハのメニューをたてて実行しようと母に勧めている。一日30分の歩行とするなら、買い物をしようと言っている。何時と決めず一日一回、必ずやるとしようとも言っている。連れ添うからと説得している。地元主治医のリハはOTさんらしいがPT的視点の提案も可能だろう。自主メニューを組んでもらおうと母に言っている。勿論応答は濁っている。今月中にクリニックと話をして選択することに。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     ******君(仮名・こちらから)

(校正1回目済み)
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