湘南オンラインフレネ日誌

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9/23 健康診断結果は入院?/日本電子出版協会企画に参加しました

2010-09-25 09:21:22 | 引きこもり
2010/09/23 記
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健康診断の結果を聞くために某病院を受診した。案の定糖尿病と指摘され、状態は入院が必要とされてしまった。私はしばらく糖尿病治療の主治医のところに行っていない。健康診断なら設備のある病院で検査したほうがいいだろうということで、普段糖尿病治療にかかっていない病院で検査を受けた。私がデータシートを見せて欲しいと言ったが、総合診療科の高齢の医師は「糖尿病は自覚の無い病だから怖い。すぐに入院の準備をしてください」と私の要請を全く無視して説明し続けた。

II型糖尿病として診断を受けて4年目になるが、昨年春から通院していない。その時点では食事療法に任せる程度の指示だった。私が通院していないのは、父の介護が深刻になってきたからであって、飽食の結果ではないのだと説明するが、医師は全く人の話を聞かなかった。

「酒と煙草をすぐにやめなさい」というので、「問診表をみてくれ」と応答した。私は煙草は昔から一切吸わない。酒も年間にビール5~6本であって、私の仕事は夜もある。飲んだら仕事にならないからだ。「問診表を見てから診断してくれませんか」と応答。問答の末、入院とは「指導入院」で、糖尿病のメカニズムと治療法の集中指導が目的であるとわかった。

私は父の糖尿病治療で食事療法を支えて十年になるし、自分の治療にも質問が出来る研修講座に何回か出ている。「指導入院」は経験済みだし、飽食するほどの金が無い。むしろ不規則な食事、外食依存、そして母のハイカロリー食の残り物始末が悪化の原因と医師に伝えた。形勢が悪くなってきたとみたか、看護師が出てきて、「検査がしっかり出来るから、うちの病院に通院するように」という。驚いたことに「予約を取っておきました」というので、「キャンセルしてください」と応答、結果の検査シートをもらって帰ってきた。

ここの総合診療科では、今年の春先、私がみぞおちの胃の違和感があるので検査を受けたが、このときは、今回とは違う医師が診察した。私が○をつけた数行の問診表だけを見て、「呼吸器だからレントゲンとMRI」と言って、看護師に指示を出した。突然のMRIにはびっくりしたが、MRIのある系列病院にまわされて撮影することになった。このときも、私になにも質問しないで、問いの粗い問診表だけで診断するので、「症状の様子を聞かないのですか」と問い、それでも結局みぞおちは呼吸器だと診断、肺の検査の結論を言い渡された。結局移動した系列病院の医師から、「きれいで全く問題が無いではないですか、大丈夫。みぞおちは、胃の検査をしたほうがいいですよ」と、高いMRIの検査費を払ってきた。

この奇妙な診断した医師の外来患者は私が午前の最後であり、私が看護師に「胃の検査はしてくれないの」と質問している間に医師はいなくなった。地下の売店に飲料を買いに行って見ると、先ほどの医師がおにぎりを買い込んでいた。「早く来ないとすぐになくなる」と売店の店員さんと話しているのを聞いてしまったのだった。胸部MRIは胃も写るだろうと思って撮影したが、それは診断外、MRIのある病院の医師は診断してくれなかった。

今回ペプシノゲン検査を加えて健康診断をしたが、糖尿病が要治療値であること以外の部分は、検査結果問題なしと出ていたので、従来のクリニックか他の糖尿病科に通院を再開することに決めた。しかしここの病院はひどい。最低限患者の問診は直接して欲しい。問診表のみの結論宣告はひどい。患者を全く問わない医師が、同じ病院でふたりめというのは、そこに病院の方針が入っているのを感じる。

ともあれ、糖尿病通院治療は再開しなくてはならなくなった。朝、母が食べたいと意思表示した食材を夕方に買って帰ると、食べたくないと押し返される。その料理をそのまま捨てるだろうか。つい、勿体無いからと食べるハイカロリー食が私の糖尿病を悪化させているのは常々悪い予感があった。これからはそれを捨てなくてはならない。しかし、黙っていたら入院させられ、初級指導させられていた。総合診療科は客引きなのかと思う。

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診察を終えて、昼食を食べる気にならず、そのまま横浜に出た。たまっていた用件で先に県庁まわりを済ませて歩いて石川町へ。次はLプラザで、手続きを頼まれていたある中年の方の就労相談の予約と、この方の経過の参考情報提供を済ませてきた。

この方は当時、社会人再進学組として、私が短期間担当したことがある方で、進学断念後、連絡が切れていた。今回再挑戦と入学手続きに本校を訪れたが、入学は勧められないとお断りした。

前回の経過を踏まえて、進学ではなくむしろ再就職の支援が大事と判断したのだった。ハローワークに行く前に、ここで一度就労相談をしておいたほうがいいと、Lプラザを紹介していた。この方の支援は、私にとっては、いわば生業からすればサービス、就労支援活動からすればボランティア活動だった。ボーダーの傾向を感じさせる方で、こちらの心理&就労相談を優先したのは、境界線の障がいを疑われる方は、ハローワークでは相談が難しいだろうという私の判断があったからだ。要するに忙しいところで相談するのは不向きと判断した。当人と話してあるので相談予約完了。ここは若年者以上の年齢(34歳~)の方の専用窓口だ。

午前中から動き出すと体調が狂う。四肢のあちこちが痛むので、神保町の教育会館の喫茶でちょっと休んだ。今日は巡回を入れていなかった。16時から日本電子出版協会主催の「DAISYとEPUBが提案する出版の将来と最新のTSS(音声合成エンジン)」という講演会に参加した。

「わーく」は、画像放送とSNS環境環境の提供を行うが、私の未熟さからくるいくつもの技術的問題と人材確保が難しく、若年層の社会的弱者の緩やかなコミュニティ作りにオンライン環境を提供したかった。引きこもり青年も、成人障がい者もなかなかどこかで出会うことが難しい。そこに社会参加の橋渡しとなる携帯ネットワークが出来ないかとまさぐり続けてきた。

また、地域起業の仕事作りとして、これから進む電子出版の分野に職業開発していくために、もうひとつの準備を進めていた。携帯創作小説という道も否定はしないがその道ではなく、図書館・公共認可の書籍電子化作業の社会的企業化の道だった。アメリカの出版物はすべてDAISYという形式の電子出版物としておきかえ、保管されている。この電子図書が出版社の義務になっている。日本も点字図書館の保管様式は紙メディアの点字から、電子図書のDAISY形式に変わった。学校の教科書もDAISY形式の出版物を併行して国会図書館に納入することが始まっている。一般書籍の電子化、電子出版は大手出版社の市場になる。著作権やら流通ルートなどのところで競うのは新参者には無理。仕事の孫受けをもらうのがせいぜいだろう。しかもここは電子読み取り技術が入るので、デバッグとメディアのコーディネート(文字・画像・音声)の組み込みが仕事の種になり、納期も早い。だからまずは保護的環境の中で、図書館仕事の下請化の道を開こうと思っている。小説創作と逆に、出版物起こしが仕事になる。これが就労可能の受け皿を広げてくれる。そして図書館海援隊プロジェクトの意志は、ここにも交渉可能性を求めることができる。電子化の仕事のニーズは膨大なものになるので、障がい者参加も可能な職域が拡がる可能性がある。

この技術的な成熟の段階を紹介するのが、今回の企画だった。電子出版のメーカー側の技術開発の速さは、やっと一般人が参加できるところまで降りてきた。あとは指導者作りと、公共のニーズを社会的弱者の仕事に開く行政参加の仕事作り交渉が必要なのだが、足場を組む段階に入った感がある。それを全国・県・市町村どのレベルで、どう開始していくか。一介の地域活動家の動き方をまさぐっているのだ。

マイクロソフトや、アドビシステム、ジャストシステムなどから次々と開発ツールが提供されてきた。今回も各社のデモがあった。スキャナ読み取り文書をワードで修正して、アドオンソフトでDAISYに変換できるようになった。ここがひらけば、仕事になる。そのデモをしっかり見て来た。新しい職域の誕生はオーバーではない。ネット系の団体と国際支援関連の民間団体の参加もあった。

「わーく」第二の仕事は、この職域環境を整えること。仕事作りである。


夜間傾聴:□□君(仮名)
     橋本3君(仮名・こちらから)


(校正1回目済み)

コメント
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