湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

3.25 補 精神障害者の被災企画に参加して

2024-03-27 05:04:00 | 地震津波災害ボランティア
2024/03/25補
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(続きです)
3/25
母をリハに送り出し、生協の配達を受け取って、糖尿病の薬補充通院。外来で通院高齢者さんの付き添いの方と話した。ラテン系ハーフの方。介護報酬の改定の話や寝たきりの方の防災の話。広域災害のとき、疎開施設確保が難しく、県内に収まらないだろうという話。どうするんだろうと語っていた。

買い物をして店を出ると、
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母のトイレ通勤あり
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先ほどの事業所の車。先ほどの高齢者を送り、次の方の買い物支援で、リンゴを買ったという。忙しい。人材不足という先ほどの話をおもいだした。
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なかなか集中した時間が得られない。まもなく母が帰宅する。ベッドメイク。目が治ってきたが、本調子ではない。鍋に湯を沸かすが、沸騰する水面が見えない。愕然とする。
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蒲田の会の中で語った「御用聞き支援」には、語らなかったつづきがある。それは、「活動を担うのは誰か🎋ということだ。地域の要考慮者名簿は、民生委員が管理しており、御用聞き支援は、この名簿がないと巡回が難しい。ところが、かれらは、フットワークが重い。地域災害ボランティアをたちあげても,名簿はみせてもらえさない。だから、会員に民生委員をいれなくてはならない。すると、会が走れなくなる。

また,地域の若手の確保の課題。御用聞き支援の実行者をどうあつめればいいのか。<高校生災害ボランティア話

こうした未解決課題がある。ここまでは、話さなかった。

(校正1回目済み)

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3/24 補 精神障害者の被災企画に参加して

2024-03-27 04:59:00 | 地震津波災害ボランティア
2024/03/24補
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(前回の続きから)
3/24 蒲田ポルケ主催の会参加

会の問題意識は、福祉避難所を含む避難所の集団生活が精神障害や発達障害の方々には,全く合わないこと。安全確保できる環境と建物内の自宅なら、まず在宅避難を中心にした避難法を推奨すること。やむなく避難所を利用する場合、静かな,干渉されない環境の確保と、困難軽減のツールの利用を考える。

音に敏感な方には、遮音ヘッドホンや、避難所設置の段ボール遮音箱、光に敏感な方のサングラス、連続緊張ストレスに敏感な方への仮眠環境提供の中の仮眠マスクを紹介していた。

しかしこれは、小手先技で、いっときも早く安全な居場所に移動することがもとめられる。私には、引きこもり・不登校の当事者の避難が重なってみえた。自閉症スペクトラムの広がりはさらに、社会経験の抑圧に苦しむ人々につながったいきづらさを抱えた層に連なる方達の選択肢としての在宅避難を焦点にした検討が必要だと語られた。

私は、寝たきりの障害者・高齢者・傷病者が脳裏にうかんでいた。

ただ、公的避難所偏重の公共防災対策では、福祉避難所を置く程度が限界である。自主避難所・在宅避難・車中生活は,成し得るが孤立する。

この孤立化に対する議論がない。今回の会の企画も、ここへの言及がなかった。わかっているが、検討不足が実情。

また、精神障害領域の課題となる治療常用薬の確保の課題も語られた。

私が提唱している「御用聞き支援(物資や情報の仲介支援)」は、そこにはまる活動だった。意見交換のタイミングで、私はその解説を行った。

御用聞き支援が、在宅避難・自主避難所に対応する活動であること。急性期が過ぎた頃から始まる地元活動であること。健康確認や医薬品仲介という医療・福祉専門職の外周支援であるため、短期支援には向かず、長期支援者が必要なこと。危険回避のためチーム行動が必要なこと。

まだかたりきれませんが、長くなるので、くぎりましたが、一石を投じることはできたようです。

私の目は撹乱し、床の電源コードやマイクコードが見えず、足元が震えげんかいがきて、席に戻ったが、誰も知らないことだ。しかし、ゆとりのない語りは、ひとの心にとどかない。やるべきことはやったと、閉会後、主催者に挨拶してかえろうとしたとき、2名の参加者から声がかかった。ひとりは横浜の精神障害者施設運営をしている方。維新の国会議員の後援会長さん、もうひとりは、区内の訪問看護ステーションの方。名刺交換しつつ話していると、話の輪に大田区の精神障害者の地域生活支援団体の方が入り、反響が確認できた。種は蒔いた、あとはそだててくださいと、念じていた。レスは珍しいことだった。
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帰りの蒲田は雨の中。その日の夜は,目を瞑っても白い輪の乱舞が続き,母のトイレ通勤の寄り添いが、何回も壁にぶつかってしまった。

(校正1回目済み)

p.s.  ハッカーさん、ありがとう。
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