2024/01/17 記
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ハッカーさん、こんばんは。
母の普段着のボタンがとれました。さあ困った。母は指先の巧緻作業が出来ない。握力も幼児なみだ。私は眼球数cmまで近づけないと見えない。針が危ない。昔,電子工作の時使っていた虫眼鏡スタンドを出した。目の保護用。
目の発症前なら数分で済むボタンつけ、40分。いや、まいりました。
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阪神淡路大震災から29年。消火後の長田区と地域FMのFMわいわいの後方支援を、塾生と一緒にやっていました。
その頃の本職医療チームの方を十数年前、懇話会や、茅ヶ崎市の高齢者支援講演会に講師依頼しました。翌年亡くなって、それからずいぶん時が経ちました。
能登半島地震の大きなテーマが、被災高齢者支援。阪神淡路大震災の懇話会テーマが「医療福祉系支援は専門職だけの仕事か?」という話。「外周支援の定式化」が残され、やがてそこから「在宅避難者のための御用聞き支援」が生まれたのでした。
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嫌がる母をリハに送り出して,私はビッグイシュー受け取りと、市役所まわりをしていました。昨日アポを取った市議に面会。そこで薬剤師会への橋渡しを依頼。無理と、きっぱりことわられ、やはりねと、まあ納得。でもうわさの種は蒔けました。
防災対策課は、高齢福祉課とともに、福祉施設のBCP(事業継続計画)提出期限受付時、能登半島地震が起きてしまい、板挟みの最中。市民をむげにするわけにもいかず、まず、ボランティアで席をつくってよ、そうしたら座るからの論。最後は火中(渦中より切迫)の保健所と、情報不足の障害福祉課を除いて、種まき終わり。
さて高齢身内会員(80〜90代)は置いておき、どう新たな協力者を集めるか腐心。まずは、募金活動からか。注目は下記。ただ私は澤田さんを知らない。様子見しつつの紹介となる。
〜澤田智洋さんの活動〜
⚫︎能登の障害者に届け | 届け.jp
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(校正2回目済み)