2016/03/07 記
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昨日は、すみませんでした。母の入浴時、私が浴槽の中に滑り止めゴムを敷くのを忘れていたために、母が自分で敷こうと前かがみになったとき、浴槽の中で足を滑らせた。偶然私が浴槽の外で、シャワーの調整をしていて、後ろを向いていたときだったので、反転上向きになった母を即座に助けることが出来た。湯が張ってあったのが幸いした。仰天して身体を硬直させていた母を、浴槽内に座らせるのに、苦労した。幸い軽い打撲で済んだが、手の指をひねったようだった。
脱臼しているわけでもないので、寝床に連れて行き、安全を確保した上で寝巻きに着替えさせたが、さてベッドに入れない。レンタルしたてのベッド柵を母が握れないので、結局母を抱き上げてマットの中心に移動した。しかし重い。祖母のときの倍も重いと感じていたが、私の首に両手をまわさせ抱え込んだが、私は片足膝が骨折した後遺症があるのでふんばれなくなっているため、そこで再び膝を痛め、不安定になって母を乱暴に数cm上からマットに落とすことになり、母は母で、肋骨を折っているので、悲鳴をあげさせてしまった。
肝を冷やした。絶対にひとりで入浴させてはならないのだ。しかし世話は下手だ。自己嫌悪を起こしている。私の膝は湿布したところ、翌日痛みが抜けたが、母は利き手の指の痛みを訴えている。腰回りの打撲を、母は時間が経つと訴えるだろうと、隣にある茶の間の母の部屋側に座って作業していた。
いろいろなことを思い出した。父が認知症を発症したとき、せん妄があって、ベッド内から柵を抜いて投げ飛ばし、立ち上がろうとしたので格闘技のように押さえつけたこと、末期の肺がんで市立病院から家に帰され、高単位の麻酔座薬を入れるときに、祖父は満身の力をこめて、私の手の甲に爪をたてた。祖父を押さえつけたときの傷の痛みのことやら、とにかく、いろいろなことがありすぎた。
格闘技の前哨戦かなあと思いつつ、冷静に状況から距離をおけない未熟さゆえに、昨夜はブログをついに書けなかった。ただ、母が後遺症が軽かったので、ほっとしたというところだ。
私は高齢者人口の急増から、「在宅医療」が語られるときに、終末期の当事者の「我が家で最期を迎えたい」という言葉を盾に、介護負担を家族にしわ寄せしたに過ぎないように思えてならない。地域サポートと言っても、サービスの隙間だらけの状態の始末は、家族にのしかかるだけだからだ。
数年前、大船渡市の仮設巡回調査をしたとき、共同炊事場からのにぎやかな高齢主婦の笑い声と対照的に、静まり返った仮設の窓に、応答しない高齢者の影をあちこちで見てきている。デイや入所サービスも職員不足のところ、地元で頑張ってこられた施設職員の方のこともわかっているが、なぜ窓の向こうの方は、支援者の話題にすら上らないのだろう。「世間の迷惑」の論理が強い東北では、なおさらそうなのかと思う。
路上生活者支援をしている方は、経験されていることだが、体調悪化が目に見えている高齢の路上生活者の方に、故郷に戻らないかと声をかけたときの拒絶は、累積債務のための拒絶ではなく、ひとのつながりが切れられた、疎遠な場に戻れない、排斥を予感する絶望である。逆から見れば、血縁の恥であり、世間に顔向けできないお荷物となる。
そんな凍てつくような光景をみていると、とても「絆」を声高に語ることはできない。語れば偏屈者の拗ねと嫌がられることだが、阿修羅像のように、優しさの背後に鬼の顔がある二重さが人間である。私が「頑張り元気」と「絆」論になびかない論拠である。無意識集団の残酷さ、これである。
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今日、市役所関係課・市議会・県福祉事務所・市社協・サポセンに「わーくNo.062」を配布した。郵送分は先ほど投函。地域包括支援センターと病院関連は、懇話会ニュースのみにしているが、民生委員関係は、内容次第にしている。今回は連続して読んでくれている方向きなので、パスした。
これから人事異動が始まる。せっかく話が通じるようになった方もいなくなり、初めからやり直しとなる虚しい時期に入る。一方、地域巡回配布が逆に硬直を生み出しているが、その集団所属の絆から、ちょっと首を出し、外をのぞいてみればわかること。待つ以外ないのかなとも思っている。
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明日、拓人こうべとの懇話会日程調整に入る。
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確定申告の付け焼刃作業に入っている。領収書を見ていると、眼科診療回数がいつもの倍近い。網膜色素変性症が進行しているのか、老眼が重なってひどくなっているのか分からない。じわり、これはまずいなと眉をしかめている。詰め将棋、一手進んだかと。
夜間傾聴:ひとり(中途中止、すみません)
(校正2回目済み)