湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

3/4 「わーくNo.062」残頁分/印刷終了

2016-03-05 06:25:13 | 地震津波災害ボランティア

2016/03/04 記
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「わーくNo.062」残頁より


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**災害弱者支援の懇話会ゲスト探し
  ~神戸をまわってきました~
  (障がい者支援/高齢者継続支援関係)

●2月16~18日に、「『災害医療と被災者の保健』茅ヶ崎懇話会」のゲスト講師探しに、神戸と大阪を回ってきた。高速バス2泊の金欠旅行なので、実際の巡回に当てたのは1日だけ。4~5月予定の「被災障がい者の被災生活支援」関係者と、7または9月の「被災高齢者避難生活支援」関係者を探し当てる仕事だ。

●懇話会は一般講演ではなく、懇談形式でケア関係者が現場体験を拾い出して行く活動なので、
参加者自体の問題意識で面白くもつまらなくもなるリスクを抱えている。だから話題の豊富な現場の方を選んで、セオリーからはみだした体験談も聴くことがあるし、ゲストに相談を持ちかけることもある。参加者はその議論を持ち帰り、平時の日常活動に活かしてもらうという変則的な少数対話を積み上げている。

●東日本大震災の仙台のような都市部を除く、岩手・宮城の沿岸部の支援では、漁業と農業の村共同体の絆が濃く、地縁集団の結束を前提にした支援活動となることが多い。しかし「世間に迷惑をかけない」という戒律が、個人の事情、ストレスを覆い隠していることもあり、特に障がい者・寝たきりまたは認知症高齢者・単身高齢者の存在は覆い隠され、いわゆる都市型災害の状態とは、違う側面も見られた。湘南は都市のベッドタウンまたは周辺都市であり、職業や血縁の結びつきが弱く、被災からの長期避難や一律支援の困難さ、集団行動の取りにくさがある。この意味で阪神淡路大震災は、都市型の災害であり、建物倒壊と火災という湘南に通じる被災の形を取っている。また20余年の経過によって、被災者の変貌した生活に対する長期支援などの支援の経過が役に立つという判断から、神戸・大阪をまわることにしたというのが、経緯である。

●以前は他界されたが黒田裕子さんという訪問看護の旗手のような現場実践家を招待した。今回は、それに続くゲストとなるが、被災障がい者支援関係者には、長田区の「拓人(たくと)こうべ」の代表の福永年久さん、被災高齢者支援関係には東灘区の「よろず相談室」代表の牧秀一さんをお願いした。ふたりとも阪神淡路大震災の体験者であり、現場支援活動を続けてきた方だ。まだ日程の調整は済んでいないが、是非、懇談を利用して欲しいと思う。

●「(特非) 拓人こうべ HP」
●「NPO法人 よろず相談室 HP」
●「福永 年久さん経歴」
●「牧 秀一さん経歴」


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2/26 ☆ガンジー和尚の聴く力
~傾聴への道は寺から発す~他3編

●「ガンジー和尚の聴くチカラ~傾聴への道は寺から発す~」
●「ガンジー和尚の聴くチカラ~“仮設”に潜む声に耳をすませば~」
●「ガンジー和尚の聴くチカラ~言うは易(やす)く “聴く”は難し~」
●「ガンジー和尚の聴くチカラ~“傾聴”の道も一歩から~」

*NHKの「東北☆未来塾」は、若者が東日本大震災被災者に、どのように協力できるのかということをゲストを呼んで、実践的に可能性をさぐっていくという番組だ。しかし「災害ボランティア」という活動は、その一面で「おしかけ」と紙一重で動いている。被災者のニーズの最大公約数が明確な急性期の避難所環境作りや、がれきの撤去、物資調達と配分というような活動があるが、そこに若者が関わるということと、仮設住宅が出来て以降の関わりは、質が変わってきてしまう。場や物を媒介に関わってきた支援が、より被災者の想いと、現在なしうる具体的な個別支援、例えば半壊した自宅の片付けや、娯楽仲介活動などへと広がり、一方では被災者の結びつきを促進するサロン活動(食事会・お茶会活動)が始まって行く。短期訪問支援者の仕事、長期滞在支援者の仕事が摸索されていくが、そこに落とし穴があった。支援者が帰った夜、家族やひとり部屋の中で暗澹たる将来に悩む沈黙していた被災者のこと。世間に迷惑をかけないという戒律に縛られて、嘆きと絶望の淵を彷徨い耐えている被災者がストレスをためているということに蓋をするように、公共活動を支援している支援者の論理がそこにあった。

*被災者の悩みの個別性も、そのころから浮き上がってくる。そこに必要とされてくるのが、悩みに寄り添う他者の存在だ。個別訪問活動や傾聴活動だ。この辺の背景を踏まえれば、傾聴活動は、支援活動の質を問い、最低限、悩む被災者を孤立させない活動だ。宗教人や心理臨床家が得意とする分野だが、それを一般支援者がかかわり易くするスタイルを提案している活動が、サロン活動や足湯の活動だ。この番組は若者に傾聴の研修をする内容になっているのが残念。被災地を実習の場として利用している。また、集団内の雑談会は貴重だが、他人の前では話せない人々もいる。それは個別訪問活動だが、そこに寄り添い支援の手を伸ばせないものか、それを問う必要を感じる。

 

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●2/19 NHKスペシャル「震度7 何が生死を分けたのか」

●NHKスペシャル「震度7 何が生死を分けたのか」

☆被災の教訓は時を経て融合して、新たな知見をもたらす。この番組も阪神淡路大震災の
被災後20余年を経て、被災資料の大量統計処理を通して浮かび上がった知見をグラフィックに紹介して行く番組だ。それらは、すでに指摘されていたことも多い。しかしその指摘にエビデンスをと結びついたものを一般向けに紹介するという意義がある。

☆医師による遺体検案書を元に、発災時から時間を追って、生存していた負傷発症者が次第に命を落として行く。発災時から1時間以内に亡くなった方は3,842人。当日亡くなった方の75%を占める。建造物倒壊による圧死、呼吸ができなくなるための圧迫死だった。次のピークが火災によるものだったが、停電の時間中、発生していなかった火災が、時間をおいて発生したのは、電力復旧による「通電火災」だった。震災により発熱器具・短絡による可燃物火災が原因で、その後、「簡易感震ブレーカー」が開発されたが、阪神淡路大震災の風化と共に、利用促進活動も立ち消えになっていった。

☆発災数日後、周辺消防署からの救援部隊が出動するが、道の崩壊や個人の安否確認車による大渋滞により、緊急車両が足止めされるという事態が起きる。これは東日本大震災時にも問題が繰り返された。現在は防災計画の中に迅速な交通規制が求められるようになってきているが、帰宅困難者の流出による車道占拠など、問題は繰り返されている。
                      
☆防災活動は婦人・高齢者と子ども、自営業者中心の地元地域防災と、勤務時・出先被災の地域防災とに分けで、避難計画が練られるようになってきたが、村共同体のような地縁の絆とその共同体要請の縛りが薄い都市型被災では、地域課題に対する関心が薄い,いわゆる平常性バイアスが強くかかる。一方居住地ではない地域の防災については、よそ者感があるなか、公共の訓練の形をとったリーダーの強い関わりがないと、活動は立ち上がらない。こういう「重い腰」が、地域防災を繰り返し振りだしに戻るように、なかなか上がらない。ましてや、急な避難が無理な障がい者や高齢者の家庭は、諦めやその場対応へと対策を忌避する傾向が強い。こうした負の要素が防災の必要性の風化を生み出しているが、この番組で絞り込まれた対策は、最低限拡げていかなくてはならない。轍を踏むなと感じるのだ。


---- ここまで ----

やっと「わーくNo.062」が完成した。神戸巡回で2月は休刊させてもらったので、2ヶ月ぶりの刊行だ。今回は2015年度のまとめ号のような内容を込めている。

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母の体調回復順調。もう年中見守る必要はない。
木曜日の朝のダメージがまだ残っていて、柱に頭をぶつけたり、手に持っている包丁を探していたりと無茶苦茶。母の非協力と来客で、15時すぎまで家を出られなかった。18時近くまでファミレスで仕事のふりをして仮眠。1回注意された、いびきでは言い逃れできない。

カジキマグロの切り身にマーマレード・マスタードソースをかけて夕食。手をかけたグリーンサラダは全部残された。

夜間傾聴>ふたり

(校正1回目済み)

 

コメント
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