湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

3/4 関東到着、すぐに鶴嶺公民館木下講演、映画「第4の革命」鑑賞

2012-03-07 04:52:02 | 引きこもり
2012/03/04 記
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夜行長距離バスは、走行中照明を消してしまうので寝る以外ない。そこに夜間傾聴の転送電話が入ってくる。専用携帯を置いてくればよかったと後悔した。非常時の連絡用に普段使っているので、電源を落とす気になれないからだった。やむなく応答、こちらの状況は勿論察してくれないから、冷や汗をかきながら声を殺して相手の軟着陸をすまさせ、なんとか説得して電話を切った。

朝5時すぎの池袋は若い連中だけの街になっている。定食屋で食事をしたあと、ジッパーがこわれたコートを抱えて、とりあえず一度家に戻ることにした。12:30からは、萩園の鶴嶺公民館の講演会がある。仮眠ともいえぬ仮眠を取って時を待った。

鶴嶺公民館は「公民館まつり」をやっていた。その祭企画の中に「東海新報社」の木下繁喜氏の講演会が行われることになっていた。昨年、県立鶴嶺高校のボランティア塾と、茅ヶ崎市内で関係者向きの連続講演会をお願いしたことがあり、今回はその会の参加者の方が、アンコール講演のような形で、地域講演会を企画したものだった。会場に10数分前に到着。会場はやがて地域の高齢者の方々で満席になった。50名入ったのではないか。

市の防災対策課の課長の顔も見えた。話は木下氏独特のプライベートな話から、家族の喪失と家の全壊という出来事、一瞬の偶然が生死を分ける厳しい現実などの話へと話題が広がっていく。そこにいるかのような気分になっていく。地震体験後、過去の津波体験があるがゆえに、大規模災害への常識があって、ここまでは津波がこないと判断したことが悲劇の始まりだったと木下氏は語った。

微妙なところであるが、自分の常識で判断するから過つのか、それとも本来ひとは異常なことを受け入れることに抵抗感を持ち、平静を保とうとするから過つ(平常性バイアス)のかというところが不明瞭だったが、被災者と非被災地の人の心情をつなぐ大事な講演だったように思う。

ただそのあと、Q&Aに入るに連れて、萩園の津波被害予測と対策の話(防災論議)ばかりに話が移って、なんとなく「防災の啓発」に講演が集約されていくことへ、私は違和感を感じていた。

仮設生活が始まった被災地では、災害がもはや済んだことなのではなく、生活の危機と家族喪失の悲しみの心の整理のまだまだ途上にある。「被災者の支援」が姿を消して、自分の地域の防災の課題に話がずらされていくのは、結局は被災者の心情に共感しているわけではないことを露呈していることではないのか。防災の課題は重要であり、意味のないことと言っているのではない。東日本大震災は終わっていないし、「生傷は癒えていない」のだということを私達は忘れてはいけないのだ。

時間切れと主張する主催者に無理を押して挙手を続け、「仮設巡回を終えて、表面には見えない、生きていくことへの心の深い悲しみの克服に、被災者を孤立させてはならないという危機感を募らせて帰ってきたこと。まだ東北は終わっていない、これからも支援を続けてほしい」と発言をした。終わると同時に、まったなしに次の沖縄民謡のチラシが配布され、追い出されるように会場は閉鎖されたのだった。

このあと大槌町の見守り支援をしている方や、発言に共感したという方が私に声をかけてくださった。意味があったなと思ったものの、木下氏の監修による東海新報の写真集の補佐の意味で、仮設生活期に入った被災地の状況や、ひととの出会いによるひとの出来事の話を描いた●「フリスビー犬、被災地をゆく」の書籍紹介のチラシを事前配布していた。そのチラシの簡単な説明をしたかったのだが、時間に追われて、それは全くできなかった。

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私は結局、4日間、担当している子との連絡をしなかった。変則的ではあるが、会える子には会っておく必要があった。ところが18:30からは、次の企画が待っていたために、橋本2君を拝みこんで、橋本から海老名まで出てきてもらった。彼が連絡を取ったらしく、南大沢君から電話が飛び込んだ。別にどうということでもないのだが、4日間空くとやはり気になるのだ。今回は新しい内容の話はしないことの了解を取り、今後の予定確認をして終わった。

しかしそれでも、相模線で茅ヶ崎に戻るのは時間がかかる。北茅ヶ崎から市民文化会館まで速足でたどり着いた時は、開演20分前だった。この企画は「第4の革命」という再生可能エネルギーへの切り替えの実現可能性を語る映画だったのだが、私はこの分野の映画がすんなり心に、はまっていかないのだ。東電や行政・経営者団体が言うように、「切り替えのつなぎに原子力が必要」と言う論理とも違う「主導者の問題」なのだった。

第1の革命(農業革命)、第2の革命(産業革命)、第3の革命(原子力革命)、そして第4の革命(再生可能エネルギー革命)という人類史の技術の流れがあって、第4の革命の技術が拓く、技術の可能性の世界を追う内容なのだった。

第一の革命を火口(ひぐち)に、第2・第3の革命は、資本の集積と支配をもたらせた。ところが第4の革命はエネルギーの地域・集団所属のユニット化をもららすが、それが社会変革にどう結び付くかが明らかにされていないのだった。インターネット・メールがジャスミン革命を導いたような分析だ。消費経済の「新商品を使うと、こんなことができる」というCMと区別が無いのだ。高性能にスマートに物事ができるという購入意欲をかきたてる論理は、欲望の論理として資本の消費者操作に使われてきた。食品産業のグルメ番組の爆発は、「千とちひろの神隠し」の両親の家畜豚化に揶揄されたように、商品社会の愚かな従属から抜け出ない資本の操作に飲み込まれている様に見える。

現に再生エネルギーへの転換は、資本の出資によって国家を交えて推進されている。再生可能エネルギーは、マリやバングラディシュの零細産業の有効な起業エネルギーとして活用できそうだというのはわかるが、先進国モデルが無い。このエネルギーが、次のジャスミン革命のような社会構造に触れる変革のエネルギーになるかということの切り口が無い。

まるでiPadフアンのそれのような語り口では、資本支配は切れない。その意味で第4の「革命」は「革命」足りえていないのだ。「浅い!」それが私の感想だった。

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一度家にもどったとき、日にちの期限が来ていた図書館の書籍を更新し、茅ヶ崎駅のコインロッカーに入れておいたのだが、母に煮魚などの惣菜を買い込み、本数が少なくなった夜間の路線バスが来ていたので、荷物をとりださずにバスに乗ってしまった。

夕食を作っていたのにという母の仏頂面の視線をさけて、トイレで怒りの冷却時間をかせいで、母の用意した夕食を掻きこみ、書類の山積みバリケードの向こうに、座り込み、ひといきついたのだ。・

明日は、家事とメモの整理して行く。夜から授業。



夜間傾聴:こちら側のレギュラーに、長期欠勤を謝った。


(校正2回目済み)


コメント
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