今朝、池袋に予定通り到着。なんとコートのチャックが壊れ騒動。病院外来仮眠の得意技を使わず、そっと我が家に忍び込んだ。大きな荷物は大船渡から宅配便でと企んだが、梱包しないと受け付けられないと、狭川急便集配センターに蹴られ、大船渡盛町のサンリアで包んで、店舗から発送した。逆に旅行先に送るというのは、私がよくやる手なのだが、大船渡では変なことを言い出さないでくれという怒りを抑えたモード、地域差がある。
2日目はまわり残しの大船渡町・盛町の仮設と、猪川町を歩いた。三陸町や立根町、昨日の残りの赤崎町・末崎町は徒歩の限界と諦めた。その代わり、元「さんさんの会」・イタリアレストランの++氏のところで食事をし、念願の遠野まごころネットの大関輝一氏と会うことが出来た。
++氏のところでは、原材料購入型被災地産食材の購入ルート作りの件で、難題の椿油・野田塩をはじめとして、あれこれ提案。++氏が困っていた。ただこれは、企業レベルの交渉ではなく、市民活動のスパイスとして機能させていくので、その辺のイメージがつたわっていかないもどかしさを感じていた。地元とのノード作りという目的は達成したかったが、そこに至らずに終わった。とりあえず、先方とは、次回お眼にかかるときに。
大関氏と会う件は、見守り支援の発想で被災地と湘南の支援者は、相手探しに難儀する状態だ。困窮者の思いを見守り支援を進めているグループは支援者間の連携が弱いのは困ったこと。また社会問題としての視点から現在のニーズに応える発想が弱く、定型化したケアの実施に収まってしまう。特定の支援者と被災者のコアな活動に閉じてしまいがちで、一般人の参加の誘い込みの形が弱いという問題を抱えている。ここからはみだした運動をどう作るかということになると、話せる相手が限られてしまう。だから気仙地域の活動の中で、その辺を踏まえているという意味で、大関氏の活動交流は意味が大きい。
大関氏に無理を言って時間を割いていただいた。仮設巡回の中で気づいたことや地元からの意見について話し合ったあと、遠野まごころネットの今後の活動との関連で、被災地現場から離れた湘南の地で、何がなしうるかという問題意識を伝えた。気仙地域の活動の中で、中古車利用のニーズがあるか話し合った。
車所有者のこと、運転者のこと、そのいくつかの仮想事例について、問題点を話し合った。実際、現場にはニーズがあることがわかった。ただそのシステムについて、私たち湘南で指摘されていたことと別の視角の現場の問題の存在を知った。
ある仮設では、商業一等地の公園に身体障がい者が住んでいるのだが、通行人に一等地の公共用地を使っていることを理由に、いじめや罵声を浴びせたり、投石をするという、地方の遅れた意識、影の部分の情報が入り始めている。障がい者の人権がいまだ認められていない土地の風土に驚く。東京・神奈川では考えられない話である。
また、学校のグランド敷地の仮設は、子どもの体育が出来ないと言う事態があり、小学生の親の話だが、体育の授業の度に、その都度、一定しない、他の小学校のグランドに車で送らねばならず、共稼ぎ家庭の家計を圧迫しているという話を聞いた。
実際、学校敷地の仮設は、棟ごとに、公営住宅に徐々に移すことが計画されており、仮説の一応の期限、2年以内に撤去を済ませるという。抽選で配置された仮設入居者が、短期で公営住宅に移動するということは、今の仮設コミュニティもすぐに崩されていくことを意味しており、様々な問題が個々の家庭で個別処理せざるを得なくなるという問題が広がっている。
仮設の入居者自身の自助活動の立ち上げが難しい状況が見えてくる。同時に被災地滞在型の支援活動でないと、関わりが困難であることがよりはっきり見えてきた。
3日の日に徒歩巡回したのは、次の通り。
●大船渡市猪川町長谷堂仮設団地
●大船渡市猪川町轆轤石(ろくろいし)第4
●大船渡市猪川町轆轤石第5
●大船渡市猪川町下権現堂
●大船渡市大船渡町山馬越
●大船渡市大船渡町永沢
いずれも雑談なし。轆轤石にて通行人と話。
夜間傾聴:なし
(つづく)
(校正2回目済み)
2日目はまわり残しの大船渡町・盛町の仮設と、猪川町を歩いた。三陸町や立根町、昨日の残りの赤崎町・末崎町は徒歩の限界と諦めた。その代わり、元「さんさんの会」・イタリアレストランの++氏のところで食事をし、念願の遠野まごころネットの大関輝一氏と会うことが出来た。
++氏のところでは、原材料購入型被災地産食材の購入ルート作りの件で、難題の椿油・野田塩をはじめとして、あれこれ提案。++氏が困っていた。ただこれは、企業レベルの交渉ではなく、市民活動のスパイスとして機能させていくので、その辺のイメージがつたわっていかないもどかしさを感じていた。地元とのノード作りという目的は達成したかったが、そこに至らずに終わった。とりあえず、先方とは、次回お眼にかかるときに。
大関氏と会う件は、見守り支援の発想で被災地と湘南の支援者は、相手探しに難儀する状態だ。困窮者の思いを見守り支援を進めているグループは支援者間の連携が弱いのは困ったこと。また社会問題としての視点から現在のニーズに応える発想が弱く、定型化したケアの実施に収まってしまう。特定の支援者と被災者のコアな活動に閉じてしまいがちで、一般人の参加の誘い込みの形が弱いという問題を抱えている。ここからはみだした運動をどう作るかということになると、話せる相手が限られてしまう。だから気仙地域の活動の中で、その辺を踏まえているという意味で、大関氏の活動交流は意味が大きい。
大関氏に無理を言って時間を割いていただいた。仮設巡回の中で気づいたことや地元からの意見について話し合ったあと、遠野まごころネットの今後の活動との関連で、被災地現場から離れた湘南の地で、何がなしうるかという問題意識を伝えた。気仙地域の活動の中で、中古車利用のニーズがあるか話し合った。
車所有者のこと、運転者のこと、そのいくつかの仮想事例について、問題点を話し合った。実際、現場にはニーズがあることがわかった。ただそのシステムについて、私たち湘南で指摘されていたことと別の視角の現場の問題の存在を知った。
ある仮設では、商業一等地の公園に身体障がい者が住んでいるのだが、通行人に一等地の公共用地を使っていることを理由に、いじめや罵声を浴びせたり、投石をするという、地方の遅れた意識、影の部分の情報が入り始めている。障がい者の人権がいまだ認められていない土地の風土に驚く。東京・神奈川では考えられない話である。
また、学校のグランド敷地の仮設は、子どもの体育が出来ないと言う事態があり、小学生の親の話だが、体育の授業の度に、その都度、一定しない、他の小学校のグランドに車で送らねばならず、共稼ぎ家庭の家計を圧迫しているという話を聞いた。
実際、学校敷地の仮設は、棟ごとに、公営住宅に徐々に移すことが計画されており、仮説の一応の期限、2年以内に撤去を済ませるという。抽選で配置された仮設入居者が、短期で公営住宅に移動するということは、今の仮設コミュニティもすぐに崩されていくことを意味しており、様々な問題が個々の家庭で個別処理せざるを得なくなるという問題が広がっている。
仮設の入居者自身の自助活動の立ち上げが難しい状況が見えてくる。同時に被災地滞在型の支援活動でないと、関わりが困難であることがよりはっきり見えてきた。
3日の日に徒歩巡回したのは、次の通り。
●大船渡市猪川町長谷堂仮設団地
●大船渡市猪川町轆轤石(ろくろいし)第4
●大船渡市猪川町轆轤石第5
●大船渡市猪川町下権現堂
●大船渡市大船渡町山馬越
●大船渡市大船渡町永沢
いずれも雑談なし。轆轤石にて通行人と話。
夜間傾聴:なし
(つづく)
(校正2回目済み)