湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

「わーく」準備メモ(02)

2009-10-16 07:49:57 | 引きこもり
「わーく」準備メモ(02)

「わーく」の活動は、いわゆる手帳を持った障碍者の日常生活的なネットワーキングの実現と、社会参画的就労を支援者とともに実現していく、オンライン活動を組み込んだ、活動の契機作りと発酵の活動だ。

一方、社会的困難を抱えながらも連携に戸惑い、途中下車のような空疎感や孤独の堂々巡りをし、地域に潜在している手帳を持たない数多くの青年達がいる。消費者という仮面のもとでは、その範囲において仮想的なつながりは持ちえても、自分の名刺、「私」を名乗ることが出来ない青年達がいる。先読みの結論付けによって、今・ここの私の世界を否定している彼らに、出発点として手足を伸ばし始める本格的な「ごっこ」活動、強力な腰掛活動が「わーく」である。

地域の居場所を地域公共活動(潜在ニーズ)に求め、生きるというテーマの、人の出会いと連携の場を生み出していく、その強力なスタッフに化けるのも彼らである。競争と商業的な喧騒にかき消されている地域のネットワーキングのニーズを抱えた相手の発見を通して、自分なりの仕事の場を企画実践していく典型的な活動が「わーく」である。「わーく」は典型的であることにこだわる。真似のできる創造的活動を作る。この枠組み作りは移殖可能であれば、実績は各地に感染する。ウィルス並みの感染力を持ちたい。

「わーく」は異なる道を歩んできた人々が、交差する接点に生まれる活動、周辺領域の接面に生まれる活動だから、双方の活動でありながら連続した過去への論拠を持たない。出会うことによって、ニーズという相互の契機を活かし立ち上げる活動である。

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一方、私たちの日常のテクノロジーとなった携帯電話を使ったネットワーク活動は、様々な障壁にぶつかる。

そのひとつは、オンラインネットは仮想世界に閉じたものであって、あなた達は直接の対面活動を行うべきだという偏見がある。今、固定電話で相手と話すことは人間関係を歪めるものだから、電話利用は、やめようという主張を、私達は認めるだろうか。百歩さがって身体障がいのためにベッドから立ち上がれない方が、戸外の友人と話す電話や電子機器対話を、人間を歪める仮想空間に閉じた行為と断じるだろうか。コミュニケーションツールの背後の文脈を、ゲーム・2ちゃんねる的消費文化と断じる偏狭さ、そこからはみだす世界は膨大に広い。彼ら流に言う「直接の対面活動」を促進するツールという提案が、ばっさり切り捨てられるのはどんなものだろうか。支援者、当事者の親などが提案を当人から遮断してしまう。一知半解の壁。

もうひとつは、「携帯電話は難しいから」無理というもの。これは確かに操作が困難な方がいる。しかしそれをカバーするテクノロジーは量産にまでは至っていないが実用的な商品が生まれてきている。しかし一方で障碍者の日常にも携帯電話が既に使われていることを踏まえての反論だろうかと思う。

もう4・5年前になる。本人活動の知的障がいの青年たちの集まりだったが、携帯電話の扱いを紹介する会合だったのだが、その会の調査では、5年前で携帯電話の所持率が90%を超えていた。中には家庭からの連絡の受け専用という人もいたが、それも立派な活用法である。すでに「メール」が活用されていた。だから「難しいから」という部分は、障碍を一律に論じる誤りを犯している。

あとひとつは携帯電話は「利用料が高いから」というもの。これも契約次第だ。受信にウェイトを置いた契約も考えうる。フォトフレーム型の受信法もある。発信を情報の「直接対面活動手渡し」による受け渡しをすればいい。この「受け渡し」自身も社会参画活動ではないか。携帯受信機能付きのタイプでも本体購入価格が2~3万円、利用料が月千円前後。

最後は「文書は無理だから」というもの。これは一律ひとつのネットワークを作るつもりはないということ。主軸は日常生活の1コマを共有する画像交流ネットを運営することだ。参加してもよし、裏方を支えるもよし。就労支援の外側を包み込む、お互いを知ることによるネットワーキング。

もうひとつは「インフォメーション放送活動」だ。地元の障がいや就労関連の会合や当事者諸企画の紹介や、参加者取材レポートとか、就労しているひとたちの取材、企業取材などの裏方記者スタッフによる地域ミニコミ活動だ。

このふたつを、SNS環境に個人情報が守られた範囲で情報交換していく。

このふたつのネットの外側に、会員提案で昔風に言えば「会議室」、「文字メーリングリスト」がSNS環境の中に展開される。こちらはメーリングリストの設置以外は、基本は自主運営。基本はというのは、誹謗中傷、虚偽書き込み等を管理する担当者を置くからだ。

主軸は画像交流ネット。加えてインフォメーション放送。余芸に文字メーリングリストという構成である。就労支援情報は、インフォメーション放送を育てていく延長に生み出していく。画像中心であること、音声を乗せるので、ipadなどスローペースのポッドキャスティングの方向にも進む。視覚障がいの方への配慮は後手になるが、両立できるコンテンツを考えていく。

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「わーく」のSNS環境は、障がい者関係のプロバイダの上に置く。ネットワークの性格をはっきりさせるためだ。

画像交流ネットの記事編成は、分散編集型を使う。編集スタッフ相互のオンライン体制で、各自の家のネットで手がけてもらい、期日限定の縛りの上で、間に合ったものをノード(結び目)で集中管理する。その中央編集かけたものを会員に流していく。

(つづく)

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我が家の修築と私の眼科検診のために小休止させてもらいました

2009-10-16 06:34:50 | 引きこもり
ここ数日、家族の用事に追われている。水曜日は父のデイ・サービスに出かけるタイミングにあわせて、糞尿のシミだらけの父の部屋の床を張替え、拭き掃除可能な床素材に敷き直し、父が戻ってからは1階の老朽化した床の一部を修繕した。その際の家具の移動、床清掃などの「後遺症(?)」、割れた陶器の始末など…ご想像にお任せします。母が鬼に見える一日。

勿論、夜はTさんのBig Issueの定例会だったものの懇談会の日程がもろに若松町ショップ開店と重なり、調整が着かぬまま、溜まった大戸屋チケットを使って、金欠窮状のTさんと会食。Big Issue 初動資金を守った。

翌朝は私の眼科定期検診。東京の某クリニック。まるまる一日、その大半は検査と診察の順待ちの時間だったのだが、左目は相変わらずだが、右目の網膜剥離が進んでおり、網膜色素変性症の精密検査に引き込まれた。治療法は無く、症状を遅らせるだけなのだが、いずれ失明する。この病気の場合、完全失明よりは、明るさだけはわかるというような失明になる例が多く、私の場合、物の形が汚れたガラスの向こう側のような状態になりつつある。「進行していますね」と言われ、3ヶ月おきの検診を毎月に切り替えることになった。私の勤務地相模大野にも、網膜色素変性症の県患者の会の顧問、専門医のクリニックがある。予約制の現在の検査機器の揃ったクリニックでは逆に即応が出来ないので、片方が保険外診療になるが、体制の取り直し治療となった。旧い傷だらけフィルムの映画画像を、光量の足らない旧式の映写機で映し出しているような明滅する視野で、右目の世界が動いている。観念しないといけないかなと思いつつ、帰路の車中で腕組み。

サポセンでTさんにBig Issue新号を手渡して帰宅。正直言って王手を刺されている気分。新しい床に転倒を繰り返す父の状態を久々に持て余している。訪問看護師のAさんがこの日飛び込み、父は元気だ大丈夫という応答。入所先探しに力を入れる必要に迫られている。

今朝は訪問介護のKさんが応援に入る。シーツ交換、清拭等。

発想を右目治療から左目保護に切り替えることになりそうだ。

ちょっと小休止をもらっていた次第。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     相模大野%君(仮名・母親)

(校正2回目済み)

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