湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

結局、まとめた報告になりました/路上生活者支援の湘南ネットの話

2009-10-27 06:16:18 | 引きこもり
母の旧知の友人のご主人が船橋の病院で亡くなったと連絡が入り、祖母の葬儀のときも協力してくれた方なので、午後、私にメールを残して野田線馬込沢の御宅に飛び出していきました。食道癌の手術後、経管栄養で長年闘病生活をされていたのですが、徐々に衰弱。誤嚥性肺炎で亡くなりました。ご主人は自己主張が強い方で、通院介護や調整で10年近く苦労されており、母と愚痴友達のような支え合いをしてきました。

昨日は父がデイサービスの日で、16時半の帰宅時間に家にいなければならなかったのに、母が近所の医院から帰ってすぐ出かけてしまったので、私がすっかり迎え待機を忘れていた関係で、階段介助ヘルパーさんから緊急連絡が形態に飛び込み、17時すぎに家に飛び込むという失態を演じてしまいました。

昨日は北風吹く雨模様の天気だったので、外で待たせてしまうことは影響が大きかったのです。幸い交通渋滞があって到着が遅れ、事情が判明したので、私と携帯電話確認後、少し待っていてくれたので、父は数分待ちの状態で家に入ることが出来ました。階段介助のヘルパーさんが、訪問最後の場所と時間延長して対応してくれたため、階段介助も普段どおり済ませることが出来ました。

ところがホームからの日誌を見て、父が便予定日に浣腸をさせなかったことがわかりぞっとしました。案の定、帰宅後、排便転倒騒ぎが始まり、私は巡回を延期せざるを得なくなりました。

昼の巡回後、母に依存してTさんと茅ヶ崎社協を訪ね、茅ヶ崎サポセンで文書作りを済ませて、辻堂に移動。買物補充をすませて、バス待ちのベンチで雨の中、うたた寝をしている最中に携帯が鳴ったのでした。デイサービスを忘れるなぞ、母が待機していることに寄りかかっていたからで、このときタクシーがつかまらなかったら、大ごとになっていることでした。母のメールが届いていたことも、このとき気が付いたという具合。

父をひとりに出来る状態ではなく、母が終バスで帰宅するまで、最終的にはSECOMの緊急出動ボタンに、家族がいながら頼る、変則事態覚悟の泥仕合ならぬ便仕合格闘技を行っていました。夕食を作る必要があり、私が1階に降りると、糞尿だらけのまま、足をもつれさせ階段に出てきて降りてしまうのです。

私が今回延期した方は、相模大野の%君で、軽々しく延期できる状態の方ではなかったのです。同僚に電話しつつ、正直言って限界を感じていました。昨日は、引きこもりの息子さんを抱える地元の方から問い合わせがあり、市北部の方で歩きで訪問は、夜間対応が難しいことで、一度お邪魔するものの、方法を考えないと丁寧な仕事が出来ないと思案していたときに重なった延期判断でした。地元の方は数日後にお邪魔することになっていますが、工夫が必要です。

%君は、今日父を2泊3日のショートステイに送り出したあと、準備していなかったメンソレータムADを補充しに、買物をしてホームに届けます。薬より交通費が高くなり矛盾を感じますが、前日、父の帰宅時間を忘れたためなので、仕方ありません。こういう行き違いの用事が介護には頻繁に生まれます。

帰りは湘南台経由で相模大野の%君宅を訪ねます。ここから横浜寿町へ。NPO法人「さなぎ達」の代表S医師にN君の件と、11/16 14時からのビッグイシュー懇談会への参加勧誘等々を済ませ、18時から川崎でLD懇話会参加し帰宅という日程。LD懇話会は「フィンランドの教育事情及び発達障害との関連について」という久々の学齢期の子たちの話。私は教科学習という観点よりも、生活と職業教育、自主性と創造性の観点から得るものは無いかということを「フィンランド・メソッド」が日本に紹介されて以降の日本の反響を踏まえる形で聴いてきます。そして「わーく」の取材のアポを**さんと会えたら、してこようと欲張りなことも考えています。父をホームで預かってくれるからこそ動けるということを実感として感じます。

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一昨日、カトリック茅ヶ崎教会の路上生活者支援「きずな」の会合に参加してきました。Tさんからは湘南ネットの会合という事を聞いてきたのですが、実際は「きずな」主催の法律相談会でした。茅ヶ崎・藤沢・一部寿町という共催型の相談会だったため、確かに湘南ネットには違いないのですが、拍子抜け。私はつい、社会活動・市民活動のなにげなく考えている枠組みの常識なる隠語で発想しています。活動経験者の言葉と市民一般の言葉とは、ずれていることをTさんとの会話で感じてきました。私が踏まえるべきことでした。

しかしここで、いくつかの経験をさせてもらいました。茅ヶ崎駅頭の路上生活者の元気なひとたちの大半が、衣類取得と食事会に集まっていました。目的のビッグイシュー懇談会(11/16)への関係者の参加要請と、生活支援ガイドブックの発刊提案は、相談会が終わった後の場でということになり、17時まで3時間待つことになり、父の紙パンツや、入れ歯洗浄剤と夕食の当番として食材補充の買物時間と重なるため、中途で抜け出しました。

14~17時の会の中で話し合い参加できるものと思っていたのですが、ここで観たものは、待合室室内で、Tさんは仲間と歓談。そこを渡り歩くようにチラシを配っていたのでした。私が発想していたのは、企画会議参加の指導者や積極参加者の話し合い自体を予測していたわけで、Tさんにしてみれば、この場自体が仲間に会合を伝えられる場だったのです。Tさんの方が自由、私が私の言葉でTさんに問いかけても、それはTさんの常識を言い換える素材に化けてしまうのでした。目的は達成したものの、主導者たちには17時からでは相談するわけにもいかず、予定伝達だけして帰ってきました。

買物はコインロッカーに一時預けてきたのですが、空いていた場は、路上生活の女性の常連さんの居場所。露骨な空転の会話を重ねつつ、引き出す荷物をじっくり観察されてしまったという、少々居心地の悪い作業でした。おむつがあるからということより、共通の話題が無いことでした。それが証拠に、彼女得意の演歌を聴くこととなったのでした。

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私の巡回している青年たちは、ふたつの団体からの方です。ひとつはキャッチアップの学習指導と通学支援を目的とした、サポート校風の進学予備校、先方からは下支えと呼ばれている訪問活動。もうひとつは進学塾の長期在塾生のケア的進学サポート。この両者とも、社会的引きこもりの青年の中でも、発達障碍や、精神障碍を抱えた方への比重が多く、たまに帰国子女の生活習慣と言語の差からのいじめの重荷を抱えた子が入っていたというような様々な挫折を抱えた青年の支援が実情であるわけです。そこに、元私が講師として在籍していた塾にいた青年たちが便乗しています。

固定的で付き合いは長くなります。電話傾聴と訪問巡回の形でつながりますが、臨床心理士とつないだ方がいい場合が多く、その都度紹介しますが、協力関係を結ぶというより、当事者さんたちが仲介後離れてしまう問題を抱えています。
その体制もなかなか迅速な対応が出来ないこともあって、減少の一途というのが実情です。父の介護との両立では出来る仕事ではなく、ましてや現在会員制でクローズのサポートですが、オープンは個人で出来る状態ではない情況が拡がっているのが実情。だから進学指導の枠の中ではなく、そこに生涯にわたる就労支援の場面の地域セイフティネットを組んで、競争原理の暴走への歯止めをかけていくことが必要なのだと思っています。大上段ふりかぶった物言いになりましたが、綱渡りをしていると、自分を納得させる儀式が必要になる。そんなものでもありますから、お許しあれ。

台風一過、ゴミ袋を出しつつ。


夜間傾聴:相模大野%君(仮名・母親)
     小田急相模原君(仮名)


(校正1回目済み)

コメント
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