湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

父の帰宅後/学習支援と生活支援

2009-10-10 12:02:45 | 引きこもり
2009/10/09 記
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嵐が去って、嵐(父)が帰ってきた。どういうことなのだろう、私や母はアレルギーがあるせいか、春や秋の季節の変わり目に体調が崩れるのだが、父はこの時期、異様に快調になる。私が子どもの頃から、このずれが、棘の残る様々な嫌な思いをこの時期思い通りにならないと、父から脅され、非協力をなじられてきた。今から思うと、彼岸がからんでいたからだろうと思われた。

父は、同居の母方の祖父母と父方の曾祖母との相性が最悪だった。その不満がぶつけやすいところに精神的ないじめとなって、父の不満がトラウマチックにぶつけられてきた。意図的に、相手の誇りを剥奪するような、目に見えぬ強制の毒が、いまも心の中に生々しく記憶が刻まれている。対外的な信用があった父の二面性への嫌悪のようなものが激突し、反面教師のような形をとって、私の心の基礎の一角を形作っている。トラウマの連鎖はこの思いを鵜呑みにしたとき生まれるのだと、高校生になるころの私は自戒のように、このつり橋感を意識してきた。フランクフルト学派の書を読みふけっていた。

父を介護するとき、理不尽な抵抗を受けることがある。それは家父長を演じていた頃の父の頃から変わらない、衝動的な感情の爆発であるのだが、猿のマウンティングに似た服従表明を強いる内容でもあった。無論このような要求は受け入れないので場面を切り替えてしまうが、まだら認知症が進んでいる今も、それを欲してというより、相手の気持がわからない結果、感情を剥き出しにしてしまうのだった。介護を行いつつ、私は何をしているのだろうと階段を降りながら苦味を反芻している。その思いは父に不快感として伝わっているには違いないのだ。

昨日は Big Issue の懇談会が台風上陸の関係で延期になった。この企画中にショートステイから父が帰宅するため、対策に階段介助ヘルパーさんを2名つけていた。企画が中止になったため、私はその場に立ち会うことになった。女性2名が体重70kg台の父を誘導するのだが、ヘルパーさんを気遣った父の満面の笑顔がつき刺すように私の目に飛び込んできた。

私は父がベッドに到着した頃、父のベッドサイドにお茶と軽いおやつを持っていった。しばらくご無沙汰の息子の白髪頭を見た途端、父の笑いは退潮し険しい顔になるのだった。男の介護は常にこの無意識の服従要請にさらされる。馬鹿馬鹿しいが重なるようにアザは残る。祖父の介護のときは、全くこういうことがなかった。だから、父のトラウマ的な権力願望の二面性とその崩れが余計見えてしまう。

冷蔵庫の余り野菜を解決するために、鍋物を鬱憤晴らしに作ることにした。まさに主夫の発想である。

台風があがった午後、父の見張りを母に任せて補充の食材購入と、Tさんとの合流&相談を目的に駅前に出た。

Tさんの販売するBig Issue の販売部数調整と、嵐で流れた会合の再出発の手分けをしていた。Tさんの提案で、越冬パトロール前に、湘南版路上サバイバルブックの発刊を提案する予定が台風で流れてしまったので、延期後の予定が定まる前に、路上生活者支援の湘南ネットワークに提案して、素地を作っておこうということになった。越冬期の配布を考えると、11月では時間が足らないのだ。

夕方という時間は、明け方とともに逢魔の時間である。携帯が鳴って相模大野の彼の母親が同僚のもとへ電話を入れてきた。彼は入浴中リストカットをしていた。主治医と連絡をとったが、当分通学は無理ということで、退学かあるいは支援を継続してもらえるのかという問い合わせだった。裏返せば母親の不安が見える。主治医とも連絡は取っているが、この形で**君がかけがいのない命を追い込んでしまったことを、私の十字架のように抱えている。その再現のように思えて、唾を飲んだ。主治医は彼を抱える時間と機会を粗いメッシュで掬い上げる以上のことが出来ていなかった。同僚と相談し、地元保健所の知人とつなぐことと、母親の相談役の役割を残して、彼との距離を一時置くことにした。ここから先は、経営者に通告し休学手続きを取って、暗黙の了解の下の私達のボランティアとなる。

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茅ヶ崎市図書館開架棚の Big Issue が好評のようだ。カトリック教会の正面なので、路上生活者への炊き出しをしている方たちが読んでいるのかなと初め思っていたが、どうやらそうでもないようだ。子どもコーナーの一角で一休みしている若い母親が、Big Issue を眺めているのを見つけた。その前は、入口際の棚の脇で学生風の髪の逆立った兄ちゃんが、立ち読みをしているのを見かけたこともある。読者層は買っていく層よりも若い。面白い現象だと思っている。

Tさんとの打ち合わせのとき、辻堂駅の構内に若い路上生活ビギナーが、袋を沢山かかえてうずくまっていることが話題になった。持ち物からして学生が抜けていない様子。話しかけても応答が無い。

ところが最近、この傾向の青年を湘南台や大和で見かけることがあるとTさんに話したところ、茅ヶ崎に居たサラリーマン崩れのようなスーツ姿の方が、早々にいなくなったという話が帰ってきた。路上に馴染んでいないから不況だねという話に。

辻堂の彼には、買物の中からサンドイッチを取り出して手渡してきたが、明らかに金の尽きた元ネットカフェにいたニートだと思う。まだ身元をさかのぼれる所持品を持っているので、非正規、解雇かなと思わされた。地元支援者の連絡法のメモを私の名刺の裏に書いて手渡した。メモをポケットにしまったから、対話は成り立ったのだろう。

この名刺が路上サバイバルガイドだったらと思う。(未完)

夜間傾聴:自由が丘夫妻(仮名・傾聴にあらず)
     相模大野4君?(仮名・母親)
     □□君(仮名)





2009/10/10 記
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夜中、父が認知症の本領を発揮した。午前2時、私を呼ぶ声に、すわベッドずり落ちかと駆け上がってみると、椅子に座った父が食事の待機をして、「さめたままでいいから」というではないか。もわっと体臭。便が近いなと紙パンツを下げてびっくり。シーツから紙パンツまで尿で湿っていた。気温が下がっている。父が歩き出すのを制止しながらシーツ交換、作業用シーツをベッドに敷いて紙パンツ交換と着替え。

午前3時半、父転倒。昨日は長門・南田夫妻の認知症介護の話題の番組があった。肝機能低下による毒素が原因の脳機能障害としての認知症だという話。私の父のように血栓による脳の萎縮の認知症とは違う。番組では肝機能の回復と同時に、認知症が劇的に軽減されている様子が紹介されていたが、脳の新しいバイパス、代替機能の可能性が期待されるのはリハの訓練を受けている中の、一部の機能回復の話で、CTで素人が見ても萎縮がわかる状態では、生殺しのように機能が失われていく。その進行を抑える程度の話なのだ。父の転倒もその場からの離脱が極端に不器用になってきていた。持ち上げれば私の腰が壊れる。歩行器を父の脇に置いたが、そのときグリップがぬるりとした。慣れているから介護用ラテックス手袋をしているが、介護慣れしていない人は立ち尽くしてしまうだろう。

30分近い起立の結果、椅子に手をつき手で階段を昇るように、ベッドサイドにしがみつき、私の補助の後押しでやっとベッドに戻った。父の手足が小刻みに震え、悪い方の手はすっかり萎えていた。半身麻痺に犯されていない側の足を倒れたコマの軸のようにして、手で床を突き放しつつ反転し、後ろ向きに立ち上がる方法は、動転している父には通じない。あぐらをかいた状態ら、片手で周囲のものにすがり(これが元凶。家具転倒等)身を引き寄せるようにして立つことにこだわるが立てない。尻をまわすので、まさに床への味噌すり運動になってしまう。いわゆる四つんばい状態にする指示に従わないので無理。そこで横向きに寝かせ、腰と膝を屈曲させて、開店させれば四つんばい状態になる体位を取らせて、私が力づくで四つんばい状態を作り出し、股の間に両手を押し込んでいくことで尻を上げる、いわば赤ん坊から学ぶ起き方を使い、ベッドサイドに誘導したのだった。這ってベッドサイドへという試みも、半身不随に近い状態だと、安定した進行が出来ない。それでこの案に落着いたのだった。

父も私も汗をかいた。更に父の着替えをして、紙パンツと濡れた着替えを持って階段を降りると背後で父の立小便の音がしていた。「今畜生」と思うが、戻る気にはなれなかった。

午前4時過ぎ、突然大音量でTVが点き、慌てて音量を下げに飛び込んだ。父はまさにタヌキ寝入り。怒られると思ったのだろう。背を向けて尿臭い毛布を頭からかぶってしまった。

午前6時。父が階段の上に出てきた。母はいつ退院なのだと聞く。車を呼べという。さすがに母が起きてきて、寝ていなくてはダメだと声をかけると無言でベッドに戻って行った。安全確認のために父の後を追った。

午前7時半、食事を食べていないと言い出した。いつも我が家では父は8時に食事を摂る。この30分が痛い。仮眠することに失敗。

午前8時、同僚から電話が入る。相模大野の青年の母親が倒れたとの連絡。朝刊を取りに出たところで立ちくらみを起こしたらしい。近所の目があったから救急車を呼べたが、父親が出勤した後、家の中で失神したらどうなっていただろう。父親から同僚に電話が入ったのだった。携帯電話を明かしてしないから、彼は8時には本校にいたことになる。ネットカフェ並みだ。

親戚の応援を得るとのことで、当座は超えたが、私達のように学習支援の方向から拡張しているものではなく、生活支援の支援者が必要。

午前8時過ぎ。父の部屋のベランダ側のカーテンが開いた。また歩行器なしで部屋を歩き出していた。焼きビーフンの簡易朝食を持っていく。2分後にはきれいにビーフンは無くなっていた。

結局徹夜状態9時前に仮眠。11時過ぎに父の部屋の床の張替えの日程確認の電話が飛び込んできた。結局昨夜は何も手がつかなかった。

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元女優・南田洋子の意識混濁状態の表情と、最近の表情と比べると意志の眼差しの変化や、対人認識の明瞭さは確かに劇的だった。しかしその映像は、介護者との関係が混乱している段階のもので、せん妄を起こしている様子はなかった。当時101才の末期の祖母が、私を故き叔父と間違えて失踪を叱る闇をかぶった眼差しは、あの番組の表情とよく似ていて背筋が寒くなった。最終的には尿毒症を起こして逝ったのだが、物へと変わっていくその手前のこの世を手放していくその眼差しだった。部屋の障子に亀甲模様のきらめきをみたり、庭にうずくまる人の影を見たりと、祖母は言動の混乱というよりまだらのせん妄から、落ちていったように思う。

父の場合、強いトラウマが最後まで介護者を悩ませるだろう。昨日は横浜のBig Issue 販売員のN君に今後の流れを伝えに県サポに立ち寄った。彼は生活保護をもらったようだ。その意欲の差がすでに販売に出ていた。どうせ売れないと思い始めると、通行人にも彼が何者であるかが伝わらなくなる。冊子は掲げ、看板を置かなければ、彼が何者であるかはわからない。今日半日で3冊だと嘆いていたが、注意をしたもののひとの弱さを感じざるを得なかった。

このブログを見ている方、横浜駅西口鶴屋町の神奈川県民ホール(県サポ)の三ツ沢線下の橋の付近で販売しているN君から、是非冊子(\300-)を買ってもらいたい。

昼食の時間なので、昼食後、続きを書きます。

(つづく)

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