湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

ベッドまわりの床材張替え効果はあるものの

2009-10-25 07:08:54 | 引きこもり
父の部屋の床を汚れ対策から、拭くことに出来る床材に、ベッド周りを敷き直した。出入り口の床が緩くなっていたので、板を入れて補強。この部分も、ベッド周りの延長として、同じ床材を敷いた。父の部屋の半分弱が新しい床材になった。工事は床補強の分を除いて、見積書と領収証を準備した。7万円ちょっとである。介護保険では、関連工事は20万円以下なら1割負担で出来ると思い込んでいた。祖母の介護の時代のつもりでいたのがいけなかった。

ケアマネさんに話を持ち込んだところ、まず工事は内容審査があって、事前に届出が必要であること、工事前と工事後の写真が必要であること等、数年前から非常に審査が厳格になっていることを知った。その上、掃除の軽減の工事は対象外だとのこと。ちょっと痛かった。祖母の時代、廊下の手すり取り付け工事のときのつもりでいたのがいけなかった。もう十数年前のことである。

カトリック教会の路上生活者支援の湘南ネットの25日の会合にあわせて、ビッグ・イシューの佐野代表との懇談会(11/16)のチラシを作りに巡回の帰りに茅ヶ崎サポセンに寄っていた頃、母は父の排便騒動に巻き込まれていた。

昨日は、一日中雨模様。市内の主要幹線道路が異様に渋滞し、バスが予定通りに動かず、タクシーも捕まらない状態が続いていた。

予定より40分遅れで帰宅すると、玄関を開けた途端、便の悪臭が鼻を突いた。茶の間に母がへたばっていた。この気温で強い悪臭がしているときは、よほど広範に便が散っているのだが、さすがに父の部屋に飛び込む気にはなれなかった。

母は頬杖をついてTVを見たまま、私の方を振り向かない。声をかけたところ、堰を切ったように状況報告が始まった。要は父が大便始末に失敗し、便をこぼしながら階段上に出てきて母を呼んだということ。父は身体が硬く、かがんで自分の尻を拭くのが困難になっていた。だからなおさら紙パンツ内の排泄を説得していたのだが、父は片言も耳を貸さずに、大便のときは騒動を起こすのだった。週に2回、家族は悪夢を見なければならなかった。最低限、便意を催したときに私達を呼べと言っているのだが、いつも便を振りまいた後、始末がつかなくなって私達を呼ぶのだった。決して事件に父は学ばなかった。掃除中の後始末の様子にさえ、身構え、居直りの罵声を私達に浴びせた。私達は忍耐することにいつの間にか慣らされていた。

母の説明を聞きながら父の部屋に上っていくと、父は座り込んでTVを眺めていた。悪臭が部屋に立ち込め、窓を開けようとすると、「寒いから開けるな」と父が怒鳴った。不思議なもので、この悪臭、本人は、よほどのことがない限り気が付かないのだ。しかし、ゴミ袋に捨てられた介護用手袋の数に驚いた。ポータブルトイレのバケツをこぼす事態にはならなかったが、父が汚れた手であちこち家具を触ったらしく、母は床だけではなくそれを追いかけて拭いていたらしい。

母が父の手を拭こうとして、跳ね飛ばされたという。父は無言で後を向いていた。紙パンツ交換が暴れるので、ひと騒動だったという。父の腰に巻いた毛布をはずして驚いた。紙パンツは乾いていて、シーツが無残な状態になっていたのだった。脱いでトイレに行こうとして、間に合わなかったということが読み取れた。このおしめ拒否のたったひとつが家族を拘束し、父の意固地が作業量を膨大に拡げている。ホーム職員さんたちや来客のときのよそ行きの顔と家族に向ける顔が違うことから、まだ父は正常なのだと思いつつも、その都度、喉元までこみ上げる怒りを飲み込んできた。その息遣いを父は察知している。

静かに指示しつつ、父を椅子に下ろし、母はシーツ交換を、私は父の清拭を分担した。父の暴発が考えられたからだった。20リットル用ゴミ袋がいっぱいになった。用意していたぼろきれは、たちまち使いきり、アルコール入りのウェットペーパーと、キッチンペーパーを事件のときは使うことにしていたので、汚物ゴミの山が出来上がった。

雑巾は範囲が広いと、後始末の労力がかかり、1階も汚物の悪臭が立ち込めてしまう。洗濯機を使うときも後始末の清掃をしないと、一家の衣類に悪臭がうつってしまう。基本的に、父の衣類はバケツの予備洗い後、洗濯機を使い、私達の衣類は混ぜずに洗濯する。雑巾はバケツ洗いし、汚水はトイレと風呂場の排水口に流す。この時間がかかる上、私は脚の怪我の後遺症でしゃがむことが出来ないので、腰に異様な負担がかかってしまう。母は両手に掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)の持病があるので、長時間の水仕事が出来ないという状態にあった。雑巾を干せば悪臭は周囲に立ち込める。そういうことで、広範な汚れのときは、紙を使って清掃する。

清拭中、父はサイドテーブルの上のミカンに手を伸ばして食べようとした。糞尿がついた手で平気で食物をつかんでしまう。父は認知症を患う前から、男のバンダリズム(野蛮主義)を誇張する癖があって、散々悩まされてきた。認知症を患ってそれは演出ではなく、本性につながっていることを知り、過去の記憶に塩を塗り込められているような痛みを感じる。父のトラウマから連なる一連の歪みを観る思いがある。

2度目の家具の清掃を終え、ゴミ袋を庭のペール缶に詰め込み、風呂に入った。3時間が過ぎていた。母の部屋の清掃時間を合わせると、どう考えても6時間は掃除していることになる。炊飯の時間を合わせれば8時間近い。通勤仕事をしている個人が、父のような状態の家族を抱えたら、その方は1週間と持たないだろう。加えて夜間の転倒や、危険行為の監視が加わるのだ。ハイ・ストレスを受け流していく知恵は、プロでさえ限界がある。在宅介護というのは、どうしようもなさと付き合あうこと、飲み込まれる危機に身を晒していくことである。

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これを書いている、朝4時。父の部屋のTVが点いた。音量を下げにいき、父の尻が出ていることに気が付いたが、黙って階段を降りてきた。まもなく7時、父はここで眠る。8時の朝食のとき、起こすのにひと騒動。8時半、私の睡眠時間が始まる。11時半までの3時間と、夕食後の1時間半が私の睡眠時間。体力を使う仕事なら、とうにつぶれている。

夜間傾聴:□□君(仮名)
     相模大野%君(仮名)
     多摩センター君(仮名)

(校正2回目済み)

コメント
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