日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

ついのすみか

2020年02月14日 | エッセイサロン
2020年02月14日 中国新聞セレクト「ひといき」掲載


 ついのすみかはこの春で25年がたつが、忘れられないことが幾つもある。
 棟上げの後、程なくして阪神大震災があった。この地も大きく揺れた。急いで現場へ走り、異常がないのを確認した。引っ越しの日には地下鉄サリン事件が発生した。相次ぐ重大事にわが家の先行きを本気で案じていた。

 土地を探したのは家を建てると決めてからだった。私は卒業した小学校区内にこだわり、足踏み状態が続いた。ある日、仕事から帰ると妻が「見て」と1枚の紙を差し出した。折り込みチラシの裏に、フリーハンドで間取りを描いていた。
 「土地が決まらないのに」と思いつつも、準備することに異存はない。妻の案は増え続け、真剣さに押された。それでI冊の方眼紙を渡して柱や戸、壁の表し方などを教えた。

 妻が方眼紙に描く間取り図は、次第にチラシの裏のものより進化していった。やがてちょっとした図面になった。ただ、いずれの案も仏壇の位置が家の中心だった。妻の望む家の姿からわが家に必要な部屋、その配置が何となく決まっていくようだった。

 土地が決まって、設計士は打ち合わせに入ると、妻の間取り図を見て「参考にします」と受け取った。
 私は勤めの帰り、遅くなっても建築現場に立ち寄って進捗状況を確認した。妻は毎日、方眼紙の図がどう変わっていくか、報告を楽しみに待っていた。

 母校の小学校から徒歩5分。満足している。
コメント (2)
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