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日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

手押しポンプの力

2016年04月20日 | 社会 政治


 子どものころ水道はなかった。多くの家庭の生活用水は井戸や手押しポンプ、時には川から樋などを使い利用した。井戸はつるべで、ポンプはハンドルを押し下げて吸い上げる。長く使用していないとパイプの水位が下がると呼び水を流し込んでいた。ハンドルを上下させるたびにガチャガチャと音を立てるのでガチャポンと呼んだという。

 生活に手押しポンプを使う時代はすぎ、庭の片隅にたたずんでいるのを見かけることはある。しかし、菜園に設けられたものには乾いた畑を潤したり、苗の植え付け直後の根付き用に散水したりと活躍している現役もいる。一般用に普及した歴史は意外に遅く、各家庭の台所や庭で使われ始めたのは昭和10年代中頃からで、水道普及が進むまでの20数年間活躍した。

 井戸水や地下水は年間を通して水温が15度くらいで夏は冷たく冬は温かく感じるなど、年間を通して快適な水温を保っている。夏、井戸にスイカをつりさげて冷やす、この昔からの知恵は冷蔵庫の普及まで続く。野山や畑が遊び場のころ、喉が渇くと交替でガチャポンを押し楽しんだ。今の自販機変わりだった。

 大きな災害が発生し、多くの人が避難生活という災害が頻発している。今も人力ではどうすることもできない熊本・大分での地震が継続している。その避難直後の声として水への要望が強い。そこで、手押しポンプを避難施設や公共施設、公園などに設置して、救援の水が届くまでそれを使用してはどうだろう。水質管理は必要になるが、その手間は人命には変えられない。停電でも使える器具は貴重だと思う。エコノミー症候群の予防策の一つに水を飲むとある、検討してほしい。
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下 校

2016年04月19日 | 社会 政治

 
 小学校に入学した二男が下駄箱に着くと「学校はいやだ」と大泣きする。それを先生に託す母親の心境とそんな二男を支える長男の姿を書いた投稿を読んだ日の午後だった。黄色いカバーを掛けたちょっと大きめのランドセルを背負って下校する姿を見る。朝、泣いて親を困らせた様子など微塵ほども感じさせない楽しそうな会話が聞こえる。列の先頭には見守りの当番らしいお母さんが振り返りながら歩調を合わせている。そんな児童らの姿を見ながら九州へ思いが移る。

 熊本県の小学1年生が「友達にあえない」と地震で休校になった寂しさを話していた。入学して10日あまり、学校という集団生活に溶けこみ始めたころの突然の休校、続発する大型地震、多くの人が避難している学校の状況ではいつ登校できかは誰にも分からない。危険な状況の中で登校させると、子どもを見送る親も心配な状態になる。避難生活の中で子どもらの心身を守ってあげてほしい。

 避難所となった学校、その学校に籍を置く教師の活動を投稿で知った。学校を熟知している教師らは避難した人らへのサポートを惜しまずされているという。投稿者いわく警察・消防・自衛隊は救助任務を負っているが、教師の活動は自主的なものという。熊本地震では収束の見通しが立たずボランティア希望の受け付けもできない状態。そんな中で教師らのサポートは心強いだろうと推測する。

 「バイバイ」、我が家の前の四つ角で3方向に散っていく児童の声と足音は下校時の見慣れた光景。時には立ち止まって相談らしきことも見かける。別れた後、ここからが昔と違う。今は宿題は後回しで習い事や塾に駆けつけていると聞く。下校しても解放されない子らが少しばかり気の毒だ。 
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情けないこと

2016年04月18日 | 社会 政治


 丁寧な診察と説明をモットーにされることで知られる医院の待合室はいつも混雑している。そんな待合室で知人と出会った。こんな遠方まで、と問うと医師の評判を聞いて受診しているという。そんなこともあってか、患者は幼児から高齢者まで患者の年齢幅が広いのは、単に診療科目だけではない感じがする。

 そんな医院の待合室もほかの医院と変わらず新聞や雑誌、子供向けの絵本などが並んでいる。その本棚に「本を院外に持ち出さないでください」という趣旨を書いた紙がお願いとして貼ってある。院外へ持ち出し、と書いてはあるがそのまま戻ってこないから困っての張り紙だろう。そういえば本棚の本が斜めに寄り添いあっているし空スペースが広すぎる様にも感じる。待合室の本を元の場所に戻さない人がいる、信じられない。

 熊本・大分両県を襲った地震、その被災地で避難され留守になっている家や事務所が空き巣に荒らされているという。そういえば、東日本大震災の時も同じ事案が起きていた。避難という苦痛の最中にその家の物を盗むという行為がどのようなものか、善悪が判断できないとは人もどきではなかろうか。勿論、平常の時でも物を盗む行為は許されない。

 待合室で子ども連れの母親同士の会話。「熊本で起きたような地震に原発事故が重なったらどうなるのかね」。子どもを持つ親だけでなく、口に出すか出さないかの違いはあるが大方の住民が懸念すること、母親なればこそより強い思いだろうと聞いた。震源地が原発の存在地へ向けて移動している見方もある。母親の危惧が危惧で終わることを願っている。
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出番待ち 2

2016年04月17日 | 地域


 花見客も途絶え錦帯橋畔も久しぶり閑散とした日。錦帯橋の上流に架かる錦城橋のたもとにクレーン車の長いアームが伸びているのが遠くから見える。花見の時期が終わり駐車場で何かの工事が始まったかと、わざわざというか歩数稼ぎに錦帯橋を渡らずその方へ向かう。アームが少しも動く様子がない、なんだろうとこの年にしても興味がわく。

 アームから吊るされたロープの先端が見え始める。大型トラックの荷台に積まれている木造の船を吊り上げる準備中だった。バランスよく吊り上げるには、吊り上げる物を水平に上げる、それは現役のころプラント建設の現場で機器の吊り上げを見て知っている。それは荷となるものへのバランスの取れたロープ掛けをすることが肝心だということを。微調整を見ていると、ロープ掛けしていたとび職の右手が頭上でゆっくり回り始める。

 クレーン車のエンジン音が重く響き始めるとアームから伸びたロープがゆっくり巻かれ始める。船が荷台から浮くと、とび職の合図でアームがゆっくり左に旋回を始める。大きく手が回されるとエンジン音はもう一段高くなり船は空中を滑るように横移動すし台車に乗せられた。ロープ掛けとクレーン操縦の見事な仕事を久しぶりに見させてもらった。

 新造の船は錦帯橋鵜飼遊覧のやかた船。これから仕上げが行われるのだろう。錦帯橋の鵜飼は吉川広嘉の時代からというから400年近い歴史をもつ。烏帽子や腰蓑など古式豊かな衣装と巧みな手綱さばきで鵜を操りアユを獲って見せる。この新造船、篝火に映えて今夏の鵜飼を盛り上げてくれるだろう。
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出番待ち

2016年04月16日 | 生活・ニュース


 名勝・錦帯橋近くの飲食店入り口の水槽で群遊しているヤマメ、彼らは生きている今を懸命に泳いでいる。この水槽ではいつも川魚が群れている。少し数が減り泳ぎやすくなったかな、と思うといつの間にか補充され混雑している。仕出しに食事を提供する店の繁盛度のバロメーターのように思いながら見て通り過ぎる。

 旅番組では有名料理店の有名料理長の豪華な飾りつけの料理に感嘆の声が上がる。食材は料理長厳選の品々というから美味くないことは絶対ない。そんな旅番組も地方に出ると食材は地産地消となり、食材そのものの美味さを地域の主婦層が中心になってもてなしている。どこの街に行っても「プチ東京」と言われる昨今、地産地消はIJUターン推進の任も担っている。

 さきの水槽もしばらくすると解禁になるアユと入れ替わり、ヤマメと同じで料理されるのを待つ。そうとは知らず群遊する姿を見ると哀れにも思うが、旅人の口から「美味い」とほめられればそれが本望を遂げたことになる。望みかなって満足となれば魚冥利に尽きるだろう。

 4月も半ば、ランドセルに黄色のカバーを掛けた入学から1週間目の小学1年生、少し緊張が解けたのか、上級生に付き添われ話しながら登校している。上級学年の新入生も新入社員も新しい環境に慣れ、それらしく動けるようになっただろう。出番には出場すべき番という意味があり待たれていることを意味する。アユは群遊の中からすくい上げられて本懐となす。今年の新入社員の特徴は「ドローン型」という。何とか着地点についた、これからどんな飛行を見せてくれるか楽しみだ。
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雲と天気予報

2016年04月15日 | 自然 季節


 「春に三日の日よりなし」という。日よりはこの地方では晴れの天気を表す。早い周期で天気が移り変わることを表す。桜のころは菜種梅雨や花散らしの雨などそれらしい言い表し方で呼んでいる。行楽の予定を立てるのに苦労された人も多かろう。また洗濯物を外に干すか否か惑われた人も多かろう。

 天気予報は観測技術の進歩で8割以上当たる、というレポートがあった。その対象範囲はわからないが確かにアナウンサーの言い方が変わってきた。ラジオの時代、「明日は雨が降るでしょう、今夜は曇るでしょう」など必ず「でしょう」という推量の丁寧な言い方で聞いていた。

 最近は「帰宅が遅くなる人は折りたたみ傘を持って、レインコートを着て、レインシューズが必要」などと教える。こんな親切が外れたら、置き忘れたり、恥ずかしい目、時にはみじめな気持ちにもなるかもしれない予報を自信満々で出している。観測技術の進歩を感じる。

 祖父は頭上を見上げて登校前の私らに「今日は傘を持っていけ」と教えてくれていたがその確率は記憶していない。雲が西に流れると雨、雲の動きが速いと雨など聞き覚えの予報もある。祖父の見なかった雲、それは飛行機雲で飛行機のエンジンから排出される水分が冷やされ水滴になるもの。これがいつまでも残ったり広がるときは天気が下り坂になる。すぐに消えれば晴れが続くサインという。天気予報と空模様の関係は面白そうだ。
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清流の旅

2016年04月14日 | 地域


 錦帯橋の架かる錦川は清流として知られている。その源は市内北部、標高千メートル級の山々の嶺から始まる。その源流近くには本州西限と言われるサンショウウオの棲息、全国一の美味と称されたこともあるアユの群れる支流など自然に恵まれたいくつかの支流を集め、流路110キロと県内最長の長さを誇り、河口近くに三角州を形成、分岐して瀬戸内海に至る。水量豊富、水質良好で流域を潤し、瀬戸内海工業地帯のひとつを誕生させた。

 そんな錦川も穏やかな流ればかりではない。時には渦を巻く濁流となり流域の人を恐怖に包み、また、堤防を乗り越え大きな被害を残しもする。水害を防ごうと護岸工事が進むと流域の景観が変わる。さらに不要と言われ建設中断されたダムの建設が再開されるなど、川を棲み処にする生き物には苦難を強いている。

 それでも清流は下へ下へと下っていく。いくつかの吊り橋を見上げ、コンクリーの橋脚をするりと避け、沈下橋では身を沈めるようにくぐり抜ける。時には淵でくるくると渦巻きをして楽しむ。両岸は錦の織物のように美しいことから錦川という呼び名になっとされる景観、そうして錦帯橋が見え始める。

 ここで、市民生活に欠かせない上水の取水口へと一部の仲間は入っていく。鳴子岩を過ぎると錦帯橋までは川幅は広がりゆったりした流れに変わる。この川面では夏に鵜飼が行われる。ここから流れが変わる。錦帯橋の橋台を浸食から守るため川底に石が敷かれている。ここではこの敷石に沿って流れ方が変わる。そこでの波状は水量や風などで変化し2橋目、3橋目、4橋目と3種類に変化する。錦帯橋下流側の瀬をすぎると川幅は広くなり街のたたずまいの中を下っていく。もうすぐ清流の役目を終える、もう一度下ってみたい錦川、清流はそう思う。
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菖蒲咲け

2016年04月13日 | 自然 季節


 桜は咲いて絵になり散って絵になる。あれほど賑わった花見の盛りが過ぎた。それでも何分かの花を残している公園の桜、遅れて花をめでる人のカメラに収まる幸運な花もある。撮る人は楽しそうだ。堀に散った桜もすっかり姿を消しいつもの落ち着いた水面に戻った。花も桜が終わればボタン、ツツジ、サツキ、アジサイなどとこれからは目まぐるしく入れ替わる。

 公園の11万株といわれる菖蒲の花も観光客誘致の目玉になっており菖蒲祭りも開かれる。昨年は「手入れがされていないので花勢がない」と教えられた菖蒲池の整備が行われている。新しい株の植えつけ、水張りと工程は多く残っているだろうが、どんな菖蒲が咲くか期待させる。

 昨年、県外の写真愛好家のグループと出会った。みんな大型で高価そうなるカメラ、それにふさわしい交換レンズ、手のひらサイズのデジカメやスマホでは撮れない作品を狙っている。しかし、そのマナーは池の周囲に設けられた狭い通路に三脚をいくつも並べて占拠状態、花を観賞する人らを困らせていた。この菖蒲を各地に発信して貰いたいが、観光地での撮影マナーも撮り込んで欲しい。

 菖蒲池では、就労継続支援事業所の皆さんが植え付け作業中。そのすぐ側に在ったバラ園、ボランティアの手で咲き誇っていたが撤去され今は広場になっている。その詳細を知る由もないが花のシーズンに大きな穴が空いた。菖蒲池はバラ園のそれを補うように咲きほこってほしい。
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つばめは好かれる

2016年04月12日 | 自然 季節


 子どものころに聞かされた話に「ツバメが巣を掛ける家は丈夫で安全」という記憶がある。また、ある人は火事を起こさない家ともいう。その真偽は別にして、人の心休まる家ということと共通している。悔しいかな、我が家にはこれまで1度も巣を掛けてくれない、いや、その下見らしきことにも出会っていない。心怠るな、という戒めと受け止めておこう。

 ツバメといえば、田んぼ水面をすれすれに飛びかい、その端に来ると急上昇し再び水面まじかを飛ぶ。目にもとまらぬ早業で捕らえた虫を巣へ持ち帰る。そんな田園地帯の中央に道路が完成、一帯は商業と住宅地に変わり、田んぼは消えた。それころから何代目かのツバメらは、アスファルトやコンクリートの路面上で補虫に余念がない。飛ぶ速さは時速50㌔というが、行きかう車や自転車を避けることを会得している。天敵から逃れるときは200㌔に達するという。

 そんな、こころよい軽快さから国鉄時代の特急列車につばめの愛称がある。国鉄バスの横についていたシンボルはつばめのマークで懐かしい。京の五条の橋の欄干に立ち弁慶を謝らせた牛若丸の動きはつばめのような早業。森昌子の熱唱を涙で途切れさせたのは越冬つばめ。つばめが高速で飛ぶフォームは見た目にも美しく害虫を餌とすることからも日本人には好かれるのだろう。

 新聞を取りに出る、電線で何羽かのつばめがミーティングをしている光景は桜の咲き始めるころと同じ。数は2羽の日も数羽の日もある。これから巣作り子育て、そして南下の準備、短い滞在中に人の一生涯にも当たる働きをする。見上げてみるが我が家に飛来の兆しはないようだ。今年も見上げての応援に徹しよう。 
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新幹線は続く

2016年04月11日 | 回想


 園児だった息子を連れて山陽新幹線新岩国駅建設工事を何度も見に行った。博多までが開通した日、大濠公園で開催中の小規模な怪獣博覧会へ息子を連れて行った時の話。ものは試しと「今年、小学校入学ですが」と切符購入時に話すと「子供さんは無料です」と返事、大人一人分の往復切符で済んだ。あれから40年余、まだ「新」幹線かという声もある。

 20年間走り続けた0系車両、その後新型車両が続々と登場、運行システムの革新など便利さは増したが、新幹線の呼称は開通時から変わっていない。また、次々と新しい路線が開通し、3月には北海道から九州鹿児島まで「新幹線」での旅が可能になった。北海道上陸は2度ある。1度目は親戚の葬儀、吹雪に見舞われそのすごさに驚いた。2度目は永年勤続で4泊6日の家族旅行。今は役目を終えたトワイライトエクスプレスを復路で利用した。

 そんな北海道新幹線が市内のスーパーに登場した。といっても実物ではなく、開通当日の映像で見た新函館北斗駅の「H5系はやぶさ弁当」、15㍍と言われる先端部分に似せて作られている。お子様に大人気です、と弁当が紹介されている。弁当だけでなく、軽快感のあるスマート車両と色あいもいい。

 新幹線を利用して旅、職場の懇親旅行で1度か2度くらい、そのほかは出張での利用。夜行寝台利用から新幹線へ変わる。東京出張は日帰りになる。朝7時前に出発、午後一杯会議、駅弁を買って東京駅19時発に乗車、日付の変わるころに帰宅する、長年続いた出張パターン。こうして書いていると車中で出くわしたいろいろを思い出す。それはまたの機会にしよう。
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