日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

災害経験に学ぶ

2014年10月21日 | 生活・ニュース
 

 
 毎月、「市民の防災意識の向上と注意喚起を図る」目的でポリスメールとして防災カレンダーが届く。それには当該月に発生した過去の災害が発生日別に記載されている。10月の記載で記憶にあるのは北海道東方沖地震、鳥取西部地震、ルース台風、有珠山泥流災害、酒田大火などがある。安政の大地震、鎌倉や日向灘地震など知らないことも多い。北海道のときは「池の水があふれている」と叔母から電話、鳥取の時は直後に訪れることあり液状化の被害に驚いた。

 忘れられないのはルース台風。1951(昭和26)年10月14日、猛烈な暴風雨により錦川が増水し多くの被害をもたらした。その一つに臥龍橋の流失がある。この橋は錦帯橋の下流にあり、生活はもとより運輸交通のかなめだった。錦帯橋は前年のキジヤ台風で流失しており、川西と横山地区は孤立の状態だった。仮の橋が完成するまで渡し船が通勤や通学を助けことを思い出す。

 自然災害は繰り返される。8月20日の広島市の土砂災害から2カ月がすぎ、復旧復興の計画が進んでいる。その災害を教訓にして法の改正も予定される。今後は開発のまえに人命優先の検討を徹底させる施策を願いたい。

 東日本大震災でも言われたし広島の土砂災害でも繰り返されたのは「災害経験の伝承」だった。それは碑や石塚であったり、古い地名の由来などがあげられた。福島県の中学校で、津波のときは即座に山に向かって走るという訓練が継続されていて、東日本大震災ではその効果で全校生徒が命を守ったという。備えあれば、被害は軽減さるだろう。 


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のどかな盆地にも

2014年10月20日 | 地域


 盆地を貫いている道辺に車を止めた。収穫の終わった田は晩秋の柔らかいが、暖かかな日ざしを眩しそうに受けている。収穫の早かった田では、ひこばえ(蘖)が、田植えを終えたばかりかと見間違うほど大きくなり、中には2番穂がのぞきかけている。収穫直後の田では株の切り口が重い米粒を支え続けた疲れを休めている。空撮が出来たらなら、米の収穫後の田の見事なパッチワークが撮れる。遠くでゆったりと上る白い煙が情緒を添える。

 聞いた範囲では今年は米の収量が減った、という。今が旬の栗と柿、人によって実りの様子に違いがあり、良いと悪いとの差が大きい感じがする。盆地の中で見上げた柿も栗もよく生っていた。栗収穫後の集められたイガ山周囲には大きな栗の実が散らかっている。もういらない、と収穫人が残していったのだろうか。イノシシなど農家周辺に出没する野獣の餌になるのだろう。

 この盆地には芥川龍之介の父系である新原家の菩提寺・真教寺がある。そこに父子の碑が1987(昭和62)年に完成した。碑文の「本是山中人(もとこれさんちゅうのひと)」は龍之介が父の出身地を偲んで書いたもので岩国市の史跡に指定されている。碑文は依頼されて揮毫したが、龍之介が岩国での記憶を深く心に秘めて書いた望郷の一文という(いわくに通になろう参照)。龍之介フアンならずとも訪ねてみたい史跡だ。

 止めた車の左右に広がる田には休耕の姿は見えず、農業に活気あふれる感じがただよう。しかし、この地区もご多分に漏れず人口減少は進みガソリンスタンドが閉店寸前と教えられた。そういえば途中の1軒は立ち入り禁止のゲートが並んでいた。市街地でも人口減少が止まらない。そこからひと山を超えるとより問題は深刻になりそうだ。明るい農村の到来を願いながら急な峠道に向かって車を走らせた。
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予想を超えるか

2014年10月19日 | しっちょる岩国


 来る11月30日の隔年置きの第3回岩国検定に向けて準備を進めている。最大の勢力を注ぐ50問の問題、印刷できる段階になった。1字1句言葉を選びながら正確な内容を文章にする。見方やとらえ方がことなると表現が変わる。問題作りの難しさだ。何十問か作成しておいて、その組み合わせを変えて実行すれば、と労をねぎらってくれる人もあるが、問題にはこだわっている。

 初回の検定の後「テキストが欲しい」という声が多く寄せられた。そこで、蒐集した資料を簡潔にまとめA5版100頁強の「いわくに通になろう」を発行した。発行とはいえ、市民有志の会の活動なればその費用に制約がかかる。初版300部、追加100部は好評の中で完売できた。追加の要望は届いていたが再発行は資金的に無理となった。

 第3回への打ち合わせの中で、テキストのCD化が持ち上がった。注文を受けた都度作成すれば、本の発行ほどリスクはないと判断し、テキストのCD作成を行った。検定メンバーで何枚注文があるか、あてずっぽうな予測を出しあった。上は3桁から慎重な数十枚まで出た。今の注文受け数は2桁の後半、さてどうなるだろう。

 受験の受け付けも始めた。ある企業では、お客様と接触する中で地域の知識が必要と、毎回、新入職員教育の一環としてまとまった人数の受験申し込みもあり喜んでいる。市外からの申し込みも届いている。ご当地検定のブームは下降気味で打ち切られたとこもある。さて、岩国の第3回はどうなるか、11月15日まで申し込み受付け中です。
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真っ青な下で

2014年10月18日 | 自然 季節


 3週間ぶりの週末の真っ青な空、何十年か前の祭りの世話を思い出す。各地の秋の行事主催者や世話人はホットされているだろうと我がことのように喜んだ。にわか仕込みの秋の空。秋空・秋天・秋高し・天高し・空高し・秋晴・秋日和といくつもの表し方があり、各々の空の様子は異なる説明がついている。詩歌でも身いつけないと辿りづらい秋の空の違いのいい回し、難解だ。

 コメ作りの知人の「収量が落ちた」という会話には、際立った残暑がなく稲の作柄が心配されたことの証だろうか。夏は南からの風が秋になると北からのそれに変わる。秋の初めに身も心も軽くなるような爽やかだった風も、朝夕は身に沁みる感じに変わった。秋風にも呼び方があるようで、ある方の文章に「爽籟(そうらい)」という辞書にたよる語句が載っていた。これは「さわやかな風の響き」と広辞苑が教えてくれた。

 ブログでは冬の使者のひとつカモが姿を見せたと載っている。カモは秋からに冬にかけてロシアや北極圏から飛来して来る。越冬し春になると帰ってゆく。鴨といえば「鴨の浮き寝」や「鴨の水掻き」が慣用句としてなじみ深い。どちらも絶えない人の苦労の例えとしている。

 ブルーは青や藍色の意味に続いて「憂鬱なさま」でブルーな気分とある。政治資金の使途問題で今日の公務出張を中止した女性大臣の疑惑に対する国会答弁は、うちわ配布大臣の薄笑い答弁よりは真摯な態度に見えるが、大臣の心境は空のブルーとは違うはブルーだろう。その去就の決断は身内からも方向が示されているという報道が今夕には多い。季節が変わりという一過性では済みそうにない。政に身を置く者は当落のための「鴨の水掻き」ではいつかは溺れることを教える。
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暇を出すころに

2014年10月17日 | 生活・ニュース


 父は新築して2年ほどで急逝した。その家は私が定年になるころ30数年の年月を過ぎる。定年後の棲家として改修するか新築するか、考えられる諸条件を折り込んで家庭内協議、結論は新築とした。場所を決めるに当たっては、加齢を考えて買い物や通院などにも便利な場所、それに広さを折り込んで相当な期間探し、今の場所で手を打った。それか20年が過ぎた。

 棟上げから1カ月後、阪神淡路大震災が発生。当時のわが家も大きく揺れたが、それ以上に建築中の物件が心配になった。幸いなことに何の異常もなく無事だった。震災被害地の仮設住宅建設へ必要ということで、便器やエアコンの入荷が遅れ、建築業者も慌てた思い出がある。何とか手配でき入居にこぎつけた。引っ越しの最中、東京でサリン事件が起きる。よくよく大きな事件に関係する新しい我が家、いささか行く末を心配したことを思い出す。

 台風対策や室内通気の改善工事、外壁塗装の保守工事などいくつかの出費は重ねたが、来春、人でいえば成人の月日を重ねたことになる。この期間、1度も手を加えなかったのが畳、畳表の返しは3年目に、そんな話は耳にしていたが、そのころは傷みなどほとんどなく見送っていた。最近、年月を経て畳表の薄い茶色も貫禄備わり、痛みも見え始めたので表替えを決めた。

 新築以来、床板を見るのは初めて。「全く傷んでいませんね」は畳職人の床板評価。たいした埃もなどもなく安堵する。夕方、イグサの香りを張りつけたような青々した畳が返ってきた。何事もなかったかのように寸分も違わず元の位置におさまる。縁も表も新製品、もう替えることはないだろう、そう思いながら、空雑巾で拭く。色がより鮮やかになる。
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市助の業績を再確認

2014年10月16日 | エッセイサロン
2014年10月16日 中国新聞「広場」掲載



 ノーベル物理学賞に日本の3人が選ばれ、大きな感動をもらった。その発明の効果を、日常生活で無意識に使っていることに驚いている。

 受賞理由の中に「20世紀は白熱電球が照らしたが、21世紀は発光ダイオード (LED)によって照らされる時代になるだろう」という選考委員の言葉があった。

 白熱電球は日本のエジソンと評され、日本の電気事業の基礎を確立した岩国市出身の藤岡市助に連なる。

 市助は日本の照明の先駆者たった。エジソンの白熱電灯発明を知り、これが今後の室内照明の方向性と見定め、今の東芝の前身となる電球製造の白熱舎を創設した。

 白熱電球の下で蛍光灯が発明され、その明かりの下でLEDの研究が進み、実用化されノーベル賞に輝いた。

 錦帯橋近くの公園に市助の銅像が立つ。その視線の先には、LEDが使われた照明用の電灯がある。今日の受賞を予測していたかのようなその姿を見ながら、郷土の先人の業績をあらためて誇りに思う。
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人こそ人の鏡

2014年10月15日 | 生活・ニュース


 市内の公共施設の駐車場はあっても狭いなど、車社会に対応した施設とは言い難いものがある。利用者は駐車場探しで集合時間に遅れるときもあるとか。管理者にはそれなりの言い分はあろうが、解消の策など聞いたことがないから、建て替えでもない限りこの状況は変わらないと思う。

 だからといってマナー違反が許されることにはならない。視覚障害者誘導用の点字ブロック上への駐車。駐車禁と線表示してある。その上に堂々と車を置く神経が理解できない。止めた車の真正面に「黄色のブロックは視覚障害者誘導用です。ブロックの上や近くに自動車や自転車を置かないでください」と大きな立て看板が置いてある。

 新聞閲覧室で目にしたのは数紙の新聞を膝に置いて別の新聞を読んでいる高齢の男性。読みたい新聞は膝にはなかったので用は済んだが、これもマナー違反だろう。閲覧室は居住性が良いので居眠りでなく爆睡近い人も時には見かける。持たれている新聞が気の毒な気がするが、まあ、閲覧者に迷惑をかけてはいない。

 マナーは成人してから急に身につくものではない。子どものころから、いろいろな場所に見合った社会共通のマナーを親は子供に教えなければならない。ルールやマナーをおろそかにする行動は危険を呼ぶ。進化する社会には新しいマナーが誕生するだろう。年を重ねてきたが「人こそ人の鏡」という、これからも日々精進しなければと自分に言い聞かせた。
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イノシシの牙力

2014年10月14日 | 生活・ニュース


 高速山陽道玖珂ICを降りて広島カープ2軍練習球場へ通じる国道。とはいえ地方の山間部の盆地、民家を外れると街路灯もなく月夜以外はおそらく真っ暗、歩いて通る人はいないだろう。昼間はそれなりの交通量はあるが、夜間はこちらも激減していると思う、そんな道沿いの農園で月に1度だが楽しんでいる。

 そんな場所なので夜間活動する動物には絶好の餌場になる。1昨年、スチール製の防獣ネットを畑仕事として設置した。農事に詳しい仲間の意見で、ネットの下部には鉄条網を張った。これでイノシシは入り込めない、と太鼓判をもらった。以降、イノシシに作物を荒らされることはなくなった。ホームセンターの店員が「防獣ネットですから」と自信ありげに説明した通り効果はあった。

 そんな防獣ネットの周囲はイノシシが餌とする土中の生き物を探すため「ほじくり返している」。イノシシから見れば「ほじくり出している」のだろうが、容赦ないそのほじくった跡に野生を忍ばせる。ふと、人の過去を徹底的にほじくり出す週刊誌の見出しを思い出す。

 ネットの周囲をほじくりかえし餌さをとるのは彼らの生きるすべ、願わくは、その跡を平らにしておいてくれたら助かるのにとかってに思う。雑草を根ごと掘りかえしている、その牙のすごさに人力は及ばない。そんな牙を磨きながら、昼間はどこから農作業を眺めているのだろう。
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一粒万倍

2014年10月13日 | 生活・ニュース


 「いちりゅうまんばい」。僅かなものから多くの利益を得ることから、些細なものでも軽んじてはいけないという戒め。「稲」の別名、一粒の種から一万倍もの収穫があるということ。小さな善行が実を結んで良いことが起こること。小さな仕事でも地道にこつこつやれば、一粒万倍で利益をもたらす。少しのお金でも無駄にしてはいけない。

 この四字熟語にはこうした多くの解釈が載っている。「出家して親を捨てるのは忘恩であるという非難にたいして、一切の衆生(しゅうじょう)を棄てないとう大慈心をおこすことこそ真の報恩である」と説いた「報恩経」が出展という。平凡に暮らす身では経の解かれんとする真髄にはとうてい届かないが、4字だけ眺めるとその喜びが分かる。

 仲間うちで楽しむ農園作業は月1回、その日に雨が降れば2カ月ぶりの畑仕事になる。おつまみ、として長い歴史を持つピーナツ、それを植えていた。夏の雑草にも負けず育ったそれの収穫をした。たったの一粒が数えられぬほどに増えている。今年は日照不足などで、少し小ぶりだったが「こんなにも」と思うほど分け前があった。

 熟語の解説をなるほどと思わせるピーナツの数。年だから、年金生活だから、それは若い者に任せよう、など言わずに、小さなことでもやれば年を加算したよりいいものが起こせるかもしれない、土付のピーナツをもぎ取りながらそんなことを思っていた。
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釉薬の秘密

2014年10月12日 | 陶芸


 陶芸の最後の手順は釉薬をつける。その後は窯にお任せとなる。その釉薬とは、陶磁器の表面をガラス質にするためにかける薬品で、かけることで液体や気体などが浸み込まないようになる。教室には何種類かの釉薬が準備されている。使用前になると指導員が容器内の釉薬を手動攪拌機で均一にして使用状態にしてくれる。釉薬置き場には、釉薬がけの注意事項と釉薬ごとにつける時間、それは秒数が掲示され1秒から8秒という短時間。

 釉薬によって仕上がりの色が異なる。作品に見合った色合いにするため釉薬の選択には全員が神経を使う。年数は重ねたけど、重ねただけの色合いにはなかなか仕上がらない。たまに、思いもしなかった色艶に仕上がることがある。何かを間違えてそのようになったので、それを再現したくても処方が分からない。もしかしたら、それは逸品かもしれない。

 釉薬、その調整には細やかな神経が使われている。指導員は容器の中の釉薬を均一にするだけでなく、その濃度にも気を配っていることを知った。水溶性なので水分が蒸発すると濃度が増す。釉薬ごとに適正な濃度があり、フロート式陶芸用濃度計を使い適正な濃度に調整している。容器に2桁の数字が書かれているが、それが濃度を示している、と知った。

 適正な濃度の釉薬に注意事項を厳守し、所定の秒数したした時に最適の色合いになる、改めて説明を受け反省をする。長く多目につければいい色になるように思っていたが、大間違いだった。水を加え乍ら濃度調整する濃度計の単位は「重ボード」、高校時代の化学実習で使ったとおなじだ。そういえば、真剣に濃度調整したことを思い起こす。
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