「いちりゅうまんばい」。僅かなものから多くの利益を得ることから、些細なものでも軽んじてはいけないという戒め。「稲」の別名、一粒の種から一万倍もの収穫があるということ。小さな善行が実を結んで良いことが起こること。小さな仕事でも地道にこつこつやれば、一粒万倍で利益をもたらす。少しのお金でも無駄にしてはいけない。
この四字熟語にはこうした多くの解釈が載っている。「出家して親を捨てるのは忘恩であるという非難にたいして、一切の衆生(しゅうじょう)を棄てないとう大慈心をおこすことこそ真の報恩である」と説いた「報恩経」が出展という。平凡に暮らす身では経の解かれんとする真髄にはとうてい届かないが、4字だけ眺めるとその喜びが分かる。
仲間うちで楽しむ農園作業は月1回、その日に雨が降れば2カ月ぶりの畑仕事になる。おつまみ、として長い歴史を持つピーナツ、それを植えていた。夏の雑草にも負けず育ったそれの収穫をした。たったの一粒が数えられぬほどに増えている。今年は日照不足などで、少し小ぶりだったが「こんなにも」と思うほど分け前があった。
熟語の解説をなるほどと思わせるピーナツの数。年だから、年金生活だから、それは若い者に任せよう、など言わずに、小さなことでもやれば年を加算したよりいいものが起こせるかもしれない、土付のピーナツをもぎ取りながらそんなことを思っていた。