「じゅうのう、はどこにありますか」と言う声に振り返ると、私よりかなり年配に見える女性が若い若い男性店員に聞いている。「じゅうのう?それは何でしょうか」と実に丁寧に問い返している。その姿勢は好感の持てる応対だった。女性の説明で私にはそれが何か分かったものの店員には伝わ分からない。
「じゅうのう」は辞書で引くと「十能」とあり「炭火を盛って運ぶ道具。金属製で木の柄がついている。火掻」と説明されている。子どものころはどこの家でも薪を使ってかまどで煮焚きしたり風呂を沸かした。その後の灰や燃えかすを取り出したり運んだりした懐かしい道具の呼び名が十能で、火箸とコンビだった。
電気炊飯器、給湯器、オール電化、ガスなどと火を使わない生活で育った人らには到底想像がつかないだろう十能の話。この地方にLPガスの普及が始まったのは1960年の前後から、それまでは薪が家庭燃料の主軸だった。お節介と思ったがスコップの形から説明したら店員さんは理解し「申し訳ありません、私どものお店には置いておりません」とまたまた丁寧なお詫びに、つられて私も頭を下げていた。
十能を買われるとは不思議に思い「何に使われるのですか」と聞いてみた。「こんどの日曜は自治会の側溝掃除です。十能なら私でも溜まった土を少しくらいは掬いだせると思いまして」と話された。入梅前になると自治会単位で域内の側溝掃除が毎年ある。蝿や蚊の発生を予防したり、大雨のときのスムースな排水などが目的になっている。
それにしても、かなりの高齢に見えるこの方も、側溝に流れ込んだ土砂などの排出作業をされる。そう思うと、頭の下がる思いと一緒に、これが過疎高齢の現実なのだろうかとなにか割り切れない苛立ちを感じた。それでも若い百均の店員の真摯な姿勢に少し救われた。その女性は「ナフコに行ってみましょう」と店の出口に向かわれた。
(写真:我が家に残っている10の能力を秘めている何昔かまえの十能)
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